憧れですか?
「おかえり。遅かったね。」
夕方になりアジトへ帰ったなまえは、廊下で兵部とすれ違った。
なまえは先ほどぐるぐると悩み考えていたことを思い浮かべる。
彼になら聞いてみても大丈夫だろうか。
少し難しい顔をしながら兵部を見つめたなまえに、彼は首を傾げた。
「どうかしたかい?」
「少佐、聞きたいことがあるんだけど…」
そう切り出すと、真木のことなら彼は仕事で夜中まで帰ってこないよと言われた。
確かに知れてよかった情報だが、なまえが聞きたいのはそのことではない。
首を横に降り否定すると、「ごめん、ちょっと早とちりしたね。何が聞きたいんだい?」と兵部は優しく尋ねてきた。
なまえは少し躊躇ったがやっぱり聞いてみることにした。
「あの…、恋と憧れの違いって、何…?」
「恋と憧れ?」
「うん…」
話してみると、兵部は黙ってしまった。
やっぱり聞かない方がよかったのかもしれない。
自信をなくしながらなまえは俯き、もじもじと居心地が悪そうに動く。
兵部は顎に手を当ててしばらくの間考え込んでいた。
「難しいな……うまく言えないけど、例えば小さい子が大人に抱く感情は恋というより憧れなことが多いかな。」
「大人に…」
「そう、もちろん例外もあるだろうけどね。小さい子は割と周囲にいる大人に憧れを抱くんだ。それを恋だと錯覚する子も多い。」
「そうなんだ。」
「なまえはないかい?大きくなったらパパ…キミの場合真木だけど、彼と結婚したいと思ったこと。」
「………」
「ないかな。だけど例えるならそういうのが憧れだ。」
黙っていたなまえを見て否定したと思ったのか、兵部はそう言った。
そして説明を続けていく。
「恋はその人によって違うから一概には言えないんだけど、相手を見るとドキドキしたり、顔が赤くなったり、一緒にいたいと思ったりするっていうのが簡単に思いつくかな。」
「………」
「あとはその相手には幸せになってほしいけど、自分以外の人と一緒にいて幸せに感じられるのは嫌だったり…」
「ありがとう、だいたいわかった。」
「もういいのかい?」
「うん。」
恋の説明はもう聞かなくても一緒だ。
先ほど兵部はなまえの気持ちを憧れの例として挙げたのだから。
「でもどうしたんだい、急に。好きな人でもできたのかい?」
「ううん。友達に借りた漫画に出てきたから聞いただけ!」
「そうか。」
「私宿題してくるね!」
「あ、なまえちょっと待って!」
そこにいるのが少し嫌になってなまえは駆け出そうとする。
しかしそれを兵部は呼び止めた。
「今度の日曜日、キミにも任務に出てもらおうと思ってね。」
「任務?」
「もちろん簡単なもので、大人も同伴するけど。」
なまえくらいの年になった子にはやらせるようにしてるんだ、と兵部は言う。
それを聞いたなまえは彼と別れたあと言い様のない気分で自室に向かった。
「任務、か…」
兵部が言うには子供はなまえの他にも何人かいて、同伴者は真木と紅葉らしい。
憧れているのかもしれない真木との任務。
自分の気持ちが恋ではなかったことに少なからずなまえはショックを受けていた。
もちろん父親代わりの人間に恋をするなんて変な話だとは思っていたが、それでも。
だがこれは、逆にいい機会なのかもしれない。
真木が任務中どんな風なのか、なまえは見たことがない。
ずっと彼に近づきたい、彼を支えていたいと思っていたのだから、仕事する姿を見たらますますその気持ちが強くなるかもしれない。
そして、自分の気持ちが憧れであることに納得できるかもしれない。
なまえは算数のプリントに書いた自分の名前を見つめた。
***
「なまえ。」
コンコンと音がして、そろそろ寝ようとしていたところで真木が部屋に入ってきた。
夜中に帰ってくると聞いていた割には随分早い時間だ。
「悪い、眠っていたか?」
「ううん、起きてたよ。」
スーツを着た真木は、どうやら帰ってきてすぐにこの部屋に来たようだ。
何かあった?と聞けば、短い返事が返ってくる。
「実は日曜日、なまえも任務に出ることになってな。」
「あ、それ少佐も言ってた。」
「少佐が?」
「うん。それがどうかした?」
「…いや、俺から話すように言われていたから少し疑問に思ってな。」
あの人から言われたのなら別にいいんだ。
そう言った真木は、あまり夜更かしするなよと笑って部屋を出ていった。
「………」
バタンと閉まったドアを見つめて、なまえは考える。
今日の夕方のように、真木を見てドキドキすることはなかった。
***
「行くぞ。」
「う、うん。」
翌日の昼、なまえは真木と共に仕事へ出掛けた。
といっても、ほとんどこなすのは真木と紅葉でなまえや他の子供たちはその姿を傍で見ているだけなのだが。
真木は髪でできた羽根で、なまえは念動能力で飛んでいく。
向かう先は教えられていないが、なまえはわくわくした気持ちで隣にいた。
本当はまだ子供のお前には見せない方がいいのかもしれないがな。
そんなことを言ったあと真木は淡々と事を運んでいった。
危険など皆無の仕事を子供たちは傍で見ている。
紅葉に指示を出す真木は普段とは違った雰囲気を出していて格好よかった。
仕事する真木、そして紅葉を実際に見て、こんな風に彼を支えたいという気持ちが強くなる。
彼が憧れの対象だというのは正しい気がしてきた。
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