尊敬する人
書類の作成をしながら真木は溜め息をつく。
本来ならば今日から葉と海外に駆り出されるはずだった彼は、何故か担当から外されてしまった。
仕方なくまだ期限まで余裕のあるデータを処理しているが、どうも時間が気になって仕方がない。
先程から、時計を見ては溜め息をつき、その度に手を止めていた。
あと1時間もしないうちに、なまえの授業参観は始まるだろう。
行ってやりたいが、本来ならば仕事があったのだし行くのは躊躇われる。
「…お前、何でここにいるんだよ。」
「…っ……」
急に声がして振り向けば、瞬間移動で現れた兵部が真木の背後に立っていた。
「何で、と言われましても…」
「なまえの授業参観なんだろ?」
せっかく空けてやったのにと呟く兵部に、何故それを…と口を挟めば、彼は笑って1枚の紙をポケットから取り出す。
「キミがこの間渡した紙の束に混じってたぜ?大切なものなんだからぞんざいに扱っちゃ駄目だろ?」
そう言って兵部は真木の目の前で紙をヒラヒラさせた。
見つからないと思っていたが、そんなところにあったのか。
「…すみません。」
兵部から紙を受け取り、真木はもう一度それに目を通す。
「そもそもキミは働きすぎだよ。確かにキミの資料はあると助かるけど、なくてもなんとかなる。」
「………」
「不必要だって言いたいわけじゃない。ただキミにはもっと自分のしたいことをしてもらいたいんだ。」
親だからね、と付け加えた兵部は、ぽんと真木の頭に手を載せる。
「行ってやれよ、あの子もそれを望んでる。」
「……ありがとうございます。」
真木は頭を下げると、空間ホールを抜け走っていった。
「……まったく。成長しないな。」
彼の後ろ姿を見送った兵部は、数年前にも似たようなことがあったと思い出し苦笑する。
だが、だからこそ見ていて面白いとこぼして真木の部屋を去った。
***
あと10分で授業が始まる。
なまえは自分の席につき、時計と後ろに並ぶ保護者陣を交互に見て溜め息をついた。
来なくていいと自分から言ったものの、やはり気になってしまう。
今日の授業テーマは“自分の尊敬する人”で、そのために皆作文を書いてきた。
もちろんなまえも書いてきたし、その人物は言わずもがな真木である。
だからこそ、誰よりも彼に見てもらいたかったのだが。
「………」
中には夫婦で来ている家庭もあるのに、自分を見に来る人物はいない。
周りを見渡せば皆そわそわしているし、先生も正装で少し緊張気味。
隣の席の子なんか、後ろを向いてお母さんに手を振っている。
あと1分もしない内にチャイムも鳴る。
つまらない。
そう思ったときだった。
「…う、そ……」
ガラッという大きな音が聞こえ振り向けば、教室の入り口に真木の姿があった。
保護者であるというプレートを首から提げた彼は、よほど急いで来たのか息を乱している。
先生も保護者も生徒も驚き彼を見つめているが、チャイムが鳴り先生は冷静さを取り戻した。
「それでは授業を始めます。」
起立、礼、着席、と日直が号令をかけ生徒もそれに従う。
だがなまえは、今しがた来た真木が気になって仕方がなかった。
なんで?どうして来たの?と心の中で問いかけるが誰も答えはくれない。
しかしちらりと後ろを振り返れば、それに気づいた真木は他人にはわからないほどだがなまえに笑みを向けた。
「…っ……」
それが、暗に頑張れと言われているようでなまえの頬に熱が集まる。
真木ちゃんが来てくれた、頑張らなきゃ。
先程までつまらないと思っていた気分はどこかへ飛んでいき、真面目に授業を受けようと前を向く。
そしてなまえは他の生徒同様、少しそわそわしながらいつもより張り切った。
***
「真木ちゃん!」
授業終了後、真木に一緒に帰ろうと約束した。
それに頷いた真木は校門の辺りで待っていると約束する。
ホームルームを終えたなまえは、教室を飛び出すと、一目散に真木のもとへ駆けていき彼に抱きついた。
「帰るぞ。」
「うん!」
マンションまでの道を歩いていく。
こうして2人で並んで歩くのは随分久しぶりだと思った。
「尊敬する人物、か…」
しばらく無言だった真木がそう呟く。
「宿題で書いた作文なんだよ。」
「そうらしいな。」
仕上げた作文は、なまえが数日かけて書いた力作だった。
発表したのは数人だったが、その何人かになまえも選ばれたため真木は彼女がどんなことを書いたか知っている。
しかし聞いたときは、その内容を初めて知ったため驚いた。
周りの保護者たちは皆子供から聞かされていたようで、微笑みながら見ていたというのに。
「まさかその相手が俺だとはな…」
「だって私の尊敬する人なんて、真木ちゃんしか思い付かないよ。」
「……そうだな。」
なまえの言葉に真木はフッと笑う。
「“仕事に一生懸命な、優しくて頼もしいお父さん”だからな。」
「…っ……」
その言葉はなまえの作文に書かれたものそのままだった。
確かにそう書いていたが、実際に本人に言われると恥ずかしい。
なまえは歩きながら真木の背中をバシバシと叩いた。
「痛い痛い。悪かった。」
「全然悪く思ってない!」
真木ちゃんの馬鹿!と大きな声で叫び先を行ってしまったなまえを、真木は目を細めて見つめる。
成長したと思っていたが、まだまだ中身は子供でちっとも変わっていなかった。
「お父さん、か…」
昔はあれだけ嫌だった父親と言う言葉も、今では自分からそうであると言い出せる。
先程なまえを怒らせた言葉も、数年前なら言えなかっただろう。
自分も、少しずつ変わってきているのだ。
そんなことを考えながらなまえのあとを追う。
結局そう遠くまで行かなかったのか、すぐそこの曲がり角に赤いランドセルが見えて真木はまた笑みをこぼした。
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