今日は特別




見事な秋晴れだ。

隣で興奮しているなまえに少し落ち着けと言いながら、真木は思う。

今日はなまえの幼稚園の遠足の日で、保護者も一人同伴してバスに乗っている。

この歳の子供たちはやんちゃで、先生だけでは面倒を見きれないからとそういう制度なのだそうだ。

遠出をして急に親が恋しくなった子供が泣き出すのを防ぐためでもあるらしい。

幸い、真木の風邪は2日で治り今は健康である。

遠足というものに行ったことがなかった彼は、保護者でありながらもこの行事に深く興味を示しながら参加していた。


「楽しみだね真木ちゃん!」

「そうだな。」


基本的には親子で隣り合って座席に座る。

しかし仲のいい者同士で座りたいという子供もいて、そういった子たちはその友達の親と席を代わってもらっていた。

今は1人ではしゃいでいるなまえだが、いつ仲のいい子と座りたいと言い出すかわからない。


「そうなったときは悲惨だな…」

「ん?」

「いや、何でもない。」


まぁ、そうなったときは隣に座る誰かの母親には申し訳ないが、自分は持ってきた本を読めばいいだけの話だ。

なまえの交友関係の方が大事なのだから。


「ん……」


真木はなまえの頭を軽く撫で、窓の外をぼんやりと眺めた。


そうして頭を撫でられているなまえもまた、遠足という行事に興奮しながらも、どこか冷静にあることを考えていた。

この遠足が終わったら、真木を支えてあげられるくらい成長できるようたくさん努力しよう。

だから、彼に甘えるのは今日が最後だ。


「真木ちゃん。」

「どうした。」

「ううん、何でもない。」


その分今日は目一杯甘えようと、なまえは真木に擦り寄り幸せそうに笑む。

そんなたくさんの意味を持った遠足のバスは、速度を変えることなく目的地との距離を着々と縮めていった。



昼食時に一旦集合する以外、館内の散策は自由なのだとバスの中で言われた。

とは言っても館内でお弁当が食べられる場所は一ヶ所しかないため必然的に集合することになるのだが。

目的地である水族館に着くと、真木は降りていく人たちを見て改めて個人単位で来たのではないということを認識させられる。

先生に解散と言われると、ほとんどの子供たちが仲のいい者同士で親をつれて行ってしまった。


「お前はいいのか?」


そう問えば、なまえは笑顔で頷き真木の手を握る。


「うん。今日は真木ちゃんと回るって決めてるもん!」


答えた彼女の瞳に迷いはなく、どうやら真木に気を遣っているのではないようだ。


「そうか。」

「早く行こ!」


ぐいぐいと真木を引っ張るなまえをまだまだ子供だと思いながら、彼は引かれるがままについていった。


2人が初めに来たのは珊瑚を取り囲むように小さな魚がたくさん泳いでいるエリアだった。

この水族館は昼に集合する場所を中心として東側と西側に分かれている。

なまえや他の子供たちが選んだのは西側。

こちらは水槽が少ない方らしいが、大抵の人は午前に西側を見て回り時間のある午後に東側を見に行くらしい。

色とりどりの魚を目にしたなまえは一気に興奮したようで、真木の手を握る力を無意識に強くさせた。


「見て見て真木ちゃん!」

「そんなにはしゃぐな。」


口ではそう言いつつも、楽しそうにしているなまえを見るのは悪くなく真木は微かに笑む。

初めからこれでは最後まで回りきる前に疲れて眠ってしまうのではないかと少し心配してはいるが、それでも止めようとはしなかった。

ふと周りを見れば、平日であるというのに一般客も多く、なまえを可愛らしいと言いながら見ている者もいくらかいた。

だがそれは他の子供に対してでも同様で、なまえ程ではなくとも“魚を見て興奮している小さな子供たち”としか彼らの目には映っていなかったようだ。


なまえは周りのことなど全く気にせず、魚を見ては早く他のものも見てみたくて別の水槽へと進んでいく。

真木もまたそんななまえに引っ張られるがまま、適度に魚を見ては感心していた。


「次行こ!」


一頻りこのエリアを見終え、次のエリアへと歩を進める。

そこには所謂生きている化石がおり、ここでもまたなまえは興奮しながら魚を見て回った。

深海魚などもいて、色も地味で形も綺麗とは言いがたかったが、初めて見る彼女には関係ないらしくただすごいすごいと喜んでいた。

そうして川魚のエリアや、海獣のいるエリアなどを回っていく。

時間が経つのがとてつもなく早く感じられ、ちょうど西側すべてを見終えた辺りで集合時刻10分前となった。


「待て、なまえ。」

「何、真木ちゃん?」

「そろそろ集合の時間だ。一旦戻ろう。」

「やだ!もっとお魚見たい!」


駄々をこねたなまえに、どうしようかと真木は眉間に皺を寄せる。


「…じゃあお前だけで行ってこい。俺は戻って弁当を食べてくる。」


お前は要らないのか?と問い手を離して歩き出せば、意外にも彼女はすんなり戻ると言った。


「置いてかないで…!」


もちろん置いていくつもりなどなく、本当に1人で行ってしまっていたら追いかけるつもりだったが、子供であるなまえは簡単に信じたようだ。


「あぁ。行くぞ。」

「うん。」


離れてしまった真木の手を再び強く握り、なまえは彼と共に集合場所を目指す。


「真木ちゃんのお弁当楽しみだったから要るもん。」


小さななまえの呟きに、そういえば弁当箱を買いに行ったときからわくわくしていたのを思い出し、言うことを聞かせるためとはいえ真木は少し罪悪感を覚えた。



集合場所で待っていた先生に来たことを告げ、真木となまえは適当に空いていた席につく。

全員が揃うと先生が弁当を出すよう指示し、合図したあと皆が一緒にいただきますと言い出したのを聞いて真木は驚いた顔をした。


「幼稚園ではみんなでこう言うんだよ。」

「そうか。」


経験のない真木はこの光景を見て、こういう風にして協調性を身に付けさせるのかと感心する。

だがなまえに食べないの?と問われ、すぐ弁当へと意識を戻した。


「美味しい!」


普段給食であるなまえは弁当を見るのが初めてで、とても美味しそうに弁当を食べている。


「皿に載った出来立ての給食の方が美味いだろう。」

「ううん。真木ちゃんのお弁当の方が美味しい!」


本当にそう思っているのか、物珍しくてたまたまそう感じただけかはわからないが、作った側としてはこう言われると素直に嬉しく思うのだった。


食事が終わり、始まり同様皆で声を揃えてごちそうさまと言う。

東側のエリアには人気の生き物が多く、なまえも他の子供たち同様午前より興奮している。

また各々が動き始め真木たちも立ち上がると、すぐ近くでなまえを呼ぶ声が聞こえた。

見れば、男の子とその母親とおぼしき人物がこちらを向き、男の子は笑顔で手を振っている。


「なまえちゃん、昼から一緒に回らない?」


彼は母親をそこに残しそう言いながら自分だけで駆けてきた。


やはりなまえにも一緒に回るような子がいるのではないかと思いながら、どこかで見たことのあるこの子が誰だったかと記憶を辿る。

そして、彼がなまえのジャングルジム事件の子だとようやく思い出した。

こうして何度も目にするということは、日頃よく遊んでいて仲が良いのだろうと真木はぼんやり思う。

自分と紅葉と葉がそうであったように、この年の子供は男女関係なく遊ぶため、見ていてなかなか微笑ましい。

この子と回るということはこの母親と何か話さなければならないのかと考え出した頃、なまえが発した言葉は真木の予想に反し意外なものだった。


「やだよ。今日は真木ちゃんと一緒に回るもん。」

「な…」


なかなかキツいことを言ったなまえを見れば、然も当たり前というような顔をしていた。

そのまま自分の腕に抱きついた彼女を見たあと男の子を見れば、傷ついたような表情をしていた。

だがすぐに無理して笑顔を作り、なまえの意思を尊重する。


「なまえちゃんお父さんと回るの楽しみにしてたもんね。ごめんね邪魔して。」


彼はそう言うと、あっさりと再び母親のもとへと行ってしまった。

真木は子供の彼にあんな無理をさせてしまい申し訳なく思った。


「…いいのか。」

「今日は真木ちゃんと回るって決めてるんだもん。ほら、早く行こ。」

「…次に断るときはもう少し優しく言え。」


子供は素直にものを言うため時に残酷すぎることがある。

腕を引っ張るなまえに小さく溜め息をつきながら、真木はそう思った。


東側のエリアには有名な生き物がたくさんいて、案の定なまえは午前よりも興奮していた。

ジュゴンのエリアやイルカやラッコのエリアは人気が高く、カメラを構えた者がたくさんいる。

ジャングルにいるような生き物のエリアもあり、物珍しいと賑わっていた。

そうして真木は彼女に引っ張られ続け最後に辿り着いたのが、一番奥にあるショーエリアだった。

時間的にもこれを見終えたら集合場所に行かなければならないだろう。

そう思いながら真木はなまえの希望でなるべく前の方に座る。

水飛沫が飛んでくるかもしれない、そんな席だ。


ショーが始まると、見ている子供たちは目をキラキラさせていた。

それは大人も同様で、感心しながら見入っている。

隣のなまえの楽しそうな様子を度々窺いながら真木も見ていると、ショー恒例のゲストを呼ぶコーナーになった。

アザラシに触りたい人ー!と係の者が言えば、子供たちは皆元気よく手を挙げる。

もちろんなまえも挙げていたが、残念ながら当てられたのはなまえの隣に座っている子供だった。


***



「残念だったな。」


帰りのバスの中、真木は窓側に座るなまえにそう言った。


「ううん。その分真木ちゃんと長くいられたからいい。」

「………」


この言葉といい擦り寄ってくる行動といい、今日は少し甘えすぎではないかと思う。

しかしこういった行事に初めて参加した真木は、それを簡単に許してしまっている。

いつもと違い妙にそわそわしてしまう気持ちが理解できるからだ。


「なまえ。」


なんとなく呼び掛けてみる。

しかしあんなに甘えていたのに彼女から返事はなかった。

不審に思い覗き込んでみると彼女は幸せそうな顔をして眠っていた。


「あんなにはしゃぐからだ。」


苦笑して、眠るなまえの頬をそっと撫でる。

この体勢では首が痛くなるだろうと、真木は彼女を寝かせ頭を自分の膝の上に置いた。

多少窮屈なため足は曲げさせているが、座ったままよりは楽だろう。

もう一度頬を撫でると、その時なまえがいたのと反対側に見覚えのある子供が座っているのに気がついた。

昼食後なまえに話しかけた男の子が、こちらを見ていたのだ。


「…さっきはすまなかったな。」


小さな声で話しかければ、彼は首を横に振る。


「なまえちゃんがお父さんのこと好きなのは知ってるから。」

「…………」


彼はそう返すと、バスの天井についているテレビに視線を戻した。


子供であるというのにしっかりしていると、真木は思う。

だが同時に、今のなまえが急にこんな風に大人びてしまうのは寂しいなと感じた。

今はまだ、多少我が儘なくらいがちょうどいい。

自由にさせ過ぎるのも問題だが、幼いうちから窮屈に過ごさせるとつまらない人間になってしまうかもしれない。

もちろん隣の男の子がそうなるとは思っていないが、自分のように自ら背伸びしすぎてしまうのはよくないだろう。


「徐々に成長していけばいい。」


流されているビデオの音よりも小さな声で呟いたため、その言葉は誰の耳にも届かなかった。







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