パーティ
パーティーには、温度がある。
それが世界各国から人が集う豪華客馬の社交場と、言い換えられる規模なら尚の事。スタートタイムとクローズタイムなんて、ただの目安。招待客は皆、銘々が思う時間に彼らの目的に倣って訪れては帰って行く。長居するのが礼儀だと躾けられた人も居るなら、ホストの失礼にならない程度の退場がマナーだと言う本もある。
「ねえ、こちらやっぱり…華美過ぎないかしら……」
露になったドレス姿の自分が、開かれたレセプションエリアの丁寧に磨かれたポールに映った時クラルは、自室で見た時とはまた違う動揺を露にした。会場へはトッパーコートを移動時の礼儀として羽織っていたから尚更かも知れない。
けれど、それをマリアのファーストールと一緒にエントランス横のクロークへ預けた今、柱に映る姿はなんだか心もとない。臍までV字に開く胸元へ、首元から飾られたハイジュエリーに手を添える。指先はドレスと同じ素材のロンググローブで隠されて、それは手や腕の形にぴったりと仕立てられ、肘の少し上まで覆われている。
「そんなの、今日だと地味なくらいよ」
立ち襟のフロントをジュエリーブローチで留めるホルターネックドレスはいつかに仕立てた物。けれど今日は以前と違いフロントで留める事をせずにすっと盾に入る切れ込みを大胆に開かせていた。そうしてその鎖骨からマリアに比べたらささやかな胸元までを、耳を華やかすイヤリングとセットのレイヨンプレシューで彩っている。
本来なら襟を閉じる為に僅かに覗くだけの肌色なのに『折角の客馬パーティーに、それは勿体ないわ』と言うやフィッターを呼びつけたマリアは、呼ばれて来た女性の手でクラルの衣装をマリアの思う通りに調整させたのも、『そのドレスならとっても良いもの持ってるわ!』と、スーツケースのジュエリーボックスからベロアのケースを取り出して『ほらこれ、カッコいいでしょ?』『え……まって、マリア、こちら…ヴァンクリーフェン、』『ほら、ドレッサーに座って!ついでにへアセットもしてあげるわ!』クラルを仕立て上げたもの、マリア。
クラルはうっかりしていた。マリアは社交に対して煩わしさを感じていても、人を彼女曰くかっこ良く仕立て上げる事が大好きなのだ。
「本当はもっと首元を開かせて、バストを強調しても良い位だもの」
「……これ以上は、無理よ」
だから着せ替え人形にされる事なんていつもの事だったのに。
クラルはちょっと俯いて、隙間から微かに覗く胸のラインを隠す様にビジューのクラッチを抱き込んだ。胸元は質量のあるジュエリーで視線を拡散してくれると言っても、完璧にじゃない。心もとないったら、ない。素肌にはマリアにはたかれたシャイニーパウダーの粒子が、きらきらと光っている。首元からはモン・パリの華やかなフローラルシプレーが昇って、まるで別人になった気さえする。恥ずかしい。
「もう。隠しちゃ駄目って言ってるでしょ」
それでも、マリアにめざとく咎められて、腕を取られる。
「いつもみたく、しゃんと、堂々としてなさい。その方がうんと上品なんだから」
「……それなら、胸元はきちんとした方が…」
クラルは、マリアの真剣な目を見つめて今日何度かも分からない事を思った。私やっぱり、ココさんにお会いできない。こんな姿見られたら、約束どころじゃなくて……いいえ、それより、たっぷりお説教になりかねないわ。
それでもマリアは、そんなクラルの心労なんてつゆ知らず。全く呆れちゃう、とばかりに自身の腰に手を充てた。手首を飾るバングルがきらりと光る。
「あのねぇ、ただの企業晩餐なら良いけど、今日みたいな日には地味って言ったでしょ。それに、周囲見て見なさいよ」
声に従って、辺りを見回した。クロークを抜けた先に現れたウェイティングラウンジには備え付けられたチェアやカウチに腰を落とし、ドリンク片手に談笑をしている人で溢れていた。
もうホールは開場しているから、きっと彼らはクラル達より早くに訪れて既に開催のダンスタイムを満喫した人々。会場の雰囲気に疲れ、でも帰るには憚れて一時休憩していると言う所。
紳士はブラックタイ、或はホワイトタイに身を包み、淑女は誰もみんな華やかに肌やボディラインを晒すイブニングドレスとハイジュエリーで着飾って、ロッククリスタルのシャンデリアにも負けない絢爛さを誇っている。手に美しく光るグラスを持って、カウチにゆったりと身を預けては数人と談笑しているレディなんて、ロングトレープオフショルダードレスの隙間から太ももを大胆に覗かせて足を組んでいた。クラルの視線に気づくと美しいスカーレットのリップに弧を描き上品に微笑んで、でも直に、前に立つ男性を仰いで笑う。
午後8時半。夕方の6時半から深夜まで開催される華やかな催しに、誰もが色めき立っている。
「いい、クラル?こう言うドレスを上品に見えるよう立ち振る舞うの。それがパーティの、ううん。レディの条件よ」
マリアはそうクラルへと耳打ちするや一歩引いてみて、満足そうに「だから、いつものあんたなら、その位問題ないわ」ジャドゥールの空気とハリーウィストンの輝きを耳に宿して、にんまりと笑った。
柔らかく明るい髪を上品に整えた姿でそう鼓舞させてくる親友は、大きく開いたビスチェの上へクラルへ渡したブランドの別ライン、マチネトリヤンネックレスのダイヤモンドとブルーサファイヤを煌めかせて、この日の為に用意したと言うクロエのマーメードラインドレスを、よりゴージャスに演出している。クラルと同じ位、背中が開いて、クラルよりも大胆にカットの入ったフロントスリットのイブニングドレス。
足下を飾るパンプスはクラルと色違いのマノロブラニク。4インチ。
「それに、あんたの隣に居るのはマリア様よ?ほら、何の問題も無いじゃない」
「……頼りに、しています」
親友の言葉に、満足気に笑う。
「あ、でも…キャプテンに挨拶したらなるべく直ぐ帰りましょう。ママの信者に会うと、長くなっちゃうんだもの」
「それは賛成です」
パーティーには、温度があれば、色もある。
絢爛な扉の前で立つフットマンにクラッチから出した招待状を渡して、カードに印字されていた名前を口頭で通し、開かれた先、ゴールドとスカーレットカラーで装飾された広大なレセプションホールへ赴く。背後にあるラウンジの設えさえ前菜かと思えるほどの、絢爛さに、クラルは呟いた。
「まるで、オペラ座ね……」
2人が入室したのはパーティー会場の入り口でも、特等キャビン宿泊専用の、2階部分の丁度踊り場に当たる所だったのに。それでも首を晒すほど見上げる高い高い天井の上には目を細めんばかりにまばゆいシャンデリアが超然と君臨していた。
使われているクリスタルはロッククリスタルの中でも最高峰らしく、撹拌する控え目な光にはオレンジ色のプリズムが宿っている。客馬の規模に相応しい広大な空間に犇めく人の隙間から覗く磨き上げられた床は、きっと完備大理石。
「アルハンブラ宮殿か、皇帝サマの謁見場って感じもするわ」
踊り場から階段の下へ向かっては、濃い深紅のカーペットが敷かれていた。その流れに従って、マリアに腕を組まれて階下へと下る。4インチのピンヒールは履く人の足をとても美しく見せる魔法がかけられていると、言ったのはマリアだったかしら…。ふと、クラルは思い出した。覚束ない足下じゃカッコ悪いわ。と、眉を潜めた親友に、腰を支点にしたピンヒール独自の歩き方だって教授されたけれど、履きなれなさに歩調は自然ゆったりと動いて、ドレスの裾をさばく。
マリアが、ふふっと笑いを零す。
「……なんですか?」
「あんたはもうちょっと、ヒールを履く様にした方がいいわね」
クラルは、何も言えなかった。
眼下のフロアには本当に、先ほどの空間とは比べ物にならなくらい、それこそいつか見た古き良き映画の社交シーンさながらに人が煌びやかにと談笑していた。
壁にはペルシャの繊細なタペストリー、または高名な画家の筆跡が伺えるバッカスの絵画。フロアに付くと同時に、人々が2人へ目を向ける。けれどそれは好奇とは違った、富める者が持つ歓迎の、或は知人かどうか確認した上での微笑み。マリアに倣ってクラルも微かな笑みを乗せたままけれど堂々と見えるよう、通り過ぎる。
階段から少し離れた時、ごく自然に現れたボーイが銀盆に並ぶシャンパーニュを2人へと差し出してきた。ようこそマダム、ウェルカムドリンクです。本日は右にローラン・ペリエロゼ、左にポル・ロジェをご用意致しました。そうして慎ましく並ぶフルートグラスを促す。「ありがとうございます。いただきます」「あ、私はロゼがいいわ。ありがと」フルートグラスに注がれたドリンクを礼と共に受け取って、人で溢れる中を2人は歩く。
「サニー達は、居ないみたいね」
ジャンパーニュロゼの淡さで唇を濡らしながら、ふいにマリアがクラルに耳打ちをした。
「そう、ね。いらっしゃったらきっと、凄いざわめきでしょうし」
マリアに倣って唇をシャンパーニュ・グラスに寄せながら、クラルはホワイトタイ、或いはブラックタイ姿のココを思い出した。
多くはないけれども参加必須のレセプションで、彼やサニーが会場入りすると途端顔色を華やかせた女性達の温度や目の煌めきには良くリンと呆れ笑ったしそのお陰で、化粧直しにその傍を離れたとしても直ぐに見つける事が出来た。人の垣根があったならその中心には必ず、ココが居た。
それが酷い時にはレストルーム付近の廊下で、じっと消命してクラルを待っていた時もあった。急に現れる気配にクラルが驚いて何か苦言を呈そうすればそれより早く『帰ろう』と『もう挨拶も終わったから帰っても、大丈夫だろ』と疲れ顔で言われて、苦笑した。
「あら、それはどうかしら」
けれどマリアはそれを、あっけらかんと否定する。
「え?」
「だって、ここは今、小さな社交界よ?ほら、見なさいよ」
言って、ある人の塊を顎で示す。
その先には2人の恋人ほどでないにしろ整って、ブラックタイ姿が様になっている数人の男性が、煌びやかで美しい女性と談笑していた。気づかれない程度の一瞥で、その場を離れる。
「……あの方達が、どうしたの?」
ホールの先へ進みながら、そっとマリアに問いかけた。そのままその唇に、ポル・ロジェを迎え入れる。マリアはその問いに少し、「あんた…本当に興味のある事以外ノーチェックよね」呆れて、
「前回のグルメフェスでオープニングセレモニーを飾ったアーティストよ」
「……あら」
「奥にいた女性は、今年度のオスカー女優ね」
不意に、通り過ぎるだけかと思った人が、マリアのファミリーネームを呼んだ。反射的に2人連れ添って、彼に挨拶をする。男はクラルにも挨拶をした後マリアに話しかける。マリアはそれに返答する。その横で、マリアと腕を組んだまま、クラルはその場の誰もがそうする様に、微笑んでいた。男性はマリアの父の関係者だったらしく、挨拶までに。と、話を簡潔に切り上げ、最後2人の装いに賛辞を贈ってにこやかに、人ごみへまぎれて行く。
それを見送って、クラルは、そっと口を開いた。
「私先ほどの女優さんの受賞作、拝見したわ……」
「まあ。そんな有名人がわんさか居る場所なのよ」
再び歩き出したマリアに付き添い、歩を進める。クラルは、確かに。と、思った。
先ほどマリアに話しかけた男性、彼は確か料理人ランキング30位県内のシーフード料理専門のシェフ。そっと来賓の顔を伺えば、トリコやココ達ほどでないにしろ、有名な美食屋も居る。――この中では確かに、ココさん達もそれほど騒がれないのかもしれないわ……。
「あ。居たわ」
やおら声を上げたマリアの一言でクラルは息を飲んだ。え?と思ってマリアの目線の先を追う。けれど、その先に彼女が危惧した人の姿は無かった。代わりに恰幅の良い、それはまるでサンタクロースの様な出で立ちの男性が(白い詰め襟の衣服に布を斜めにかけた、それはいつか見た上品な軍服の装いの様で)人に囲まれて談笑していた。
マリアがそっと、耳打ちをする。
「彼がキャプテンよ。あの人と…あら、丁度良かったわ。その周りにも挨拶して、それで、私たちのミッションはおしまい」
「そう、あの方が……あら」
けれどクラルはその時、襟にいくつもの勲章を煌めかせるキャプテンよりも、その隣で優美に微笑む年の頃40程の女性に目を止めた。
「……クラル?」
「ねえ、マリア」
不意に萎縮の雰囲気から、華やかに遠方を注視しだした親友にマリアは、いぶかし気にした。クラルは、
「どう、しましょう。マリア……あの、お隣の女性、」
「え?ああ、あのグレイヘアのマダム?あの人がどうか、」
言葉を遮って続けた。
「ご存じないの!?あの方、ギガホースの、いいえ、高ランク猛獣専門の調教師ですよ……!」
控え目な声量でも興奮を隠さないクラルの声とその瞳の輝きに、「…あんたじゃあるまいし、知らないわよ」と思うままに言ったマリアは、覚悟した。そう言えばこの子、子供の頃から図鑑の類がお気に入りで、義務教育終わったと同時に自主的に生態調査しに行っちゃって、ああ…確か始め、ココの事は四天王って側面よりエンペラークロウと共生してる「私、あの方の著作物全て持っているんです……!」あ、これきっと、長くなるわ。