いちいち
いちいち言い直すとか、キメえ。そう感じたがそれよりも驚きの方が大きかった。サニーは、ちょっと考える。そもそも、「レと同じ様な事って、何だし」思ったらそのまま口に出していた。言いながら考えてみたけれど、思い当たる事象が無い。
クラルが調和とか美しさとか言ってそれを求めている姿も想像できない。サニーの目に映る彼女は、そういう物質的な物とはどちらかと言えば無縁そうだ。
「俺、いみわかんねーんだけど」
そうしてまた、思ったままに呟けば目の前のココからもの凄い表情で見られた。信じられない物を見ると言うか声を宛てるなら、こいつまじか……とでも言われかねない顔。
「んだよ」
「お前は……自分が口に出した事くらい覚えていろ」
呆れまじりの溜め息をココが零した時、一人のセルヴィーズがトレイに2つのドリンクを乗せ2人の前に現れた。
髪をきちんと整え、白シャツにブラックタイとベスト、ギャルソンエプロンにボトムスと言うありふれた給仕姿の彼女は、2人に近いテーブルにコースター、グラスの順でドリンクサーブをする。ココにはアイスティー、サニーにはエルダーフラワードリンク。「ああ、ありがとう」「ん、さんきゅ」ココとサニーが言葉をかければ軽い会釈をした女性は少し頬を染めた。
3センチヒールのブラックパンプスが心なしか軽やかに歩みを進めて、シルバーのトレイと一緒にバックヤードへ戻っていく。
「おま、つのまに頼んでんだし……」
気配が消えた頃、サニーは目の前に置かれたドリンクを一瞥した。
「ラウンジ使うのに、何も頼まない方が失礼だろ」
「つっても…よー…」
並々とはいかなくとも、どっしりとしたタンブラーグラスに注がれた飲み物はどこか品良く鎮座している。そんなサニーの呆れ等気にも留めず、ココは目の前のテーブルに置かれたコリンズ・グラスを持ち上げた。
クラッシュアイスに浸された琥珀色の水色が、縦に長いグラスに収まっている。一目で紅茶、それもティーパックでなくきちんと茶葉から、冷やされる為に淹れられた一級品と分かるもの。控え目なクラシックが流れる空間に、冷ややかな音が鳴る。
「つか、だ、これ?」
そうしてその横で、自身の近くに出されたタンブラーグラスに目線を落としつつサニーはココへ言葉を投げた。適度にグラスを満たすドリンクの色は淡いペールイエローで、真四角の氷がいつくも沈んでいる。
「エルダーフラワーだよ。20年物の水晶コーラの後に、ジンジャーエールって気分じゃないだろ」
既に差し込まれていたストローを摘みつつココは答えた。氷と紅茶をなじませるようにかき混ぜて、水温と濃度を一定にする。ココの視界の端でサニーも、グラスを持ち上げる。
「………まえ」
「ん?」
グラスを掲げたままサニーは、
「マジ、キショい。の俺にまで気遣うとか、やばくね?」
「……嫌なら、飲まなくて良い」
ココの、こう言う気遣いを同性だろうが関係なく当然として行う所が、時に体質を超えて異性受けが良くなってしまう所かもしれない。と、サニーはうんざりしたがエルダーフラワーは好みの飲料の一つだった。細胞の強化にはならないがサニーの舌には合う。飲まねーとは言ってねーし。嘯き少し考えて、手でグラスを掴む。
「で?」
差し込まれたストローの位置を整える。
「に、言ってたんだし。いつ」
「………」
「てめで話題降ったくせに、黙りとかつくしくねーし」
「いや……」
ココは僅かに言い淀んで、
「……よく、無いってさ」
「は?」
美しく整えられた彼の柳眉が、眉間に皺を寄せた。サニーはこの後、強く思った。俺ストロー咥える前で良かったし。
「僕は、修行で来ているから、休暇で来ている自分と会うのは良くないから……会わないって」
「はっ!?」
もし咥えていたら、盛大に吹いていた。それかむせた。それはもう、ココにしかめっ面をされかねないほど。だからサニーは思った。俺、午後から運勢良いんじゃネ。
「じかよ……いつ、んな事言う奴だったんかよ…」
しかしその呟きにココはまんじりともせず、ただ眉を顰めてソファに背中を預けた。堀の深い目元が僅かに陰る。
サニーはふと、自身が知るクラルを思い返した。
確かに見かけだけなら、淑やかで男を立てそうな印象をもたれそうだけれどそこは、IGOの猛獣調教師そして、遺伝科学研究所の所員。マイペースで空気なんて必要最低限しか読まない。
ずっと以前、たまたま地下階のラボ前を通りかかったついでに挨拶してやろうと扉を開けたらクラルは、ナサリー・ライムズとか、バレエで聞く様な古い歌なんかを口ずさんでまるで、カレーやシチューか何かを作っているごとく軽快に、電子顕微鏡越しに猛獣から取り出された細胞片を使い、合成実験を行っていた。声をかけたら驚いた様子で振り返り、でもサニーだと分かると直ぐにいつもの様に笑ったから、順調そうだナ。そう言えばクラルは困った様に微笑んで、――そう、見えます?これが中々……サニーさん、あの、今、夜の7時ですよね……?え?朝?あら、まあ……。 あらまあじゃねぇし!部屋帰れ!まえ何時間実験してんだ! あらそう言えば私、今日10時からMTGでした。大変。 仮眠室案内してやっから!ちったあ寝ろ…!ついでシャワー浴びてこい……!
サニーからすれば、変に手のかかる印象しか無い。サニーの妹であるリンとは職務を越えて仲が良く、サニーの彼女であるマリアの長い親友ではあるけれど、サニーから見たクラルは自分の調子を崩す、ある種の危険因子だ。研究所なんてそんな人ばかりだと言ってしまえばそれまでだけれど。
だからサニーは、自信を持って、言えた。
「――いわね、な」
クラルは、言わない。いや思う事はあるかもしれない。サニーから見たクラルはマイペースな変わり者だけれど、多忙な彼氏を気遣う女らしい一面くらいなら持ってる……確か。持っていた気がする。多分。
けれどそれも、ココが気にしないでくれと言えば、あら、そうですか。と、自分一人が思っていた危惧だったと安心してしまう程度だろう。ココが逢瀬を望んでいるのに、意固地になり続ける事は無さそうだ。
「だろう」
そこはココも同意見だったのか、溜め息を零しつつサニーの言葉に同意する。
「……だから、」
だからもし、あるとすれば、
「んだよ……」
ココの目が、少しぎらついたのをサニーは気付いてしまった。パールにオブシディアンを嵌め込んだ宝玉を水に潜らせた様な、不思議と美しい瞳が萎縮してしまいそうな程強く、燐光を光らせてる。幅の広い目が流しでサニーを注視する。眼窩に沿って薄く線が浮かぶ瞼。長いまつげに縁取られた目が僅かに窄めば、彫りの深い目頭には陰りとはまた違う影が落ちて、サニーは軽く引いた。お、ヤベ……俺、ヤバくネ。
「サニー、お前……彼女に何か言ったか…?」
「いってねーし!」
やっぱりかよ。サニーは言葉を受けたと同時に否定した。
2人が知りうる限り、クラルがココの言葉を受け入れない程頑固に成る時は概ね、誰かに彼女自身も納得してしまう何事を吹聴された時だった。
「つか、最近いつと会ってねーし!」
「正直に話せ、今なら許せる」
「俺はつもしょじきだ!」
「そうか……」
この毒ヤロー、めんどくせえ。サニーはタンブラーグラスを握り込んだ。ストローを咥えて、中を少し飲み下す。叫びと疑われた緊張で喉が急速に乾くし、何よりこの疑われ方はうざい事この上ない。こいつはこいつでこんなヤローだったか。とさえ思って、 まじ、クラル、いつ何してんだし。怒りの矛先が少し、彼女に向かった。てめの男くらい、手玉に取っとけよ……。と、も思った。だってしようと思えば出来そうな気もする。何と言ってもリンの横で、猛獣調教職のみが支給される鎮圧用フルウィップを腰に携帯して勤務する彼女の姿は、普段の印象を払拭させる佇まいだった。その時だけ、あ、いつやっぱ、ココの女だナ。とサニーは納得した。
まあ、ココには言わないけれど。――下手に言って、そんな姿は見た事が無いつって、嫉妬されたらたまんねーし。
「つか、気になるなら直接聞きに行けばいーじゃねーか。前くらいなら、場所わかっだろ」
サニーは顔を改めて、ココに向けた。頬杖を着き、グラスをテーブルに置く。
そう。ココだったら分かるはずだった。それは別に2mと100kgと言う肉体を持ちながら体脂肪が一桁程しか無い、筋骨隆々な美食屋として恵まれている身体能力でも、眉目秀麗、頭脳優秀と言う、サニーからしたら面白くない部分の話じゃない。ココは、つい最近まで本職が占い師だった。宝玉の様に美しい瞳は10.0と言う超視力に加え簡単な未来程度なら黙視できるらしい。だから、ココにしてみれば慣れ親しんだ恋人の痕跡を視る位分けない事のように思う。それそこ、船内図さえあれば部屋の割り出しだって朝飯前に見える。
「うだうだしてんの、つくしくねーぞ」
けれどココは、「それが……」言い淀んで、続けた。
「約束してしまった手前、行きにくい」
「は?くそく?」
サニーに向かって神妙な顔のまま、頷く。
「電話で、ここに居る間は会わないと言われてね。まあ、色々あって…クラルの言う通りにする、と……言ってしまった」
何してんだし。こいつ。サニーは思ったままを顔に出した。馬鹿だろ、とも思った。それにココ気付いているのかいないのか、僅かに饒舌に、けれどいつも通りゆったりとした佇まいで、
「いや、とにかく頑固だったんだ。会いません。会えません。と一点張りでさ。何を言っても聞かないし、勿論、これ程意固地になるなんて滅多に無いから、会って話そうと提案したんだが……本当に、利かん坊ちゃんで」
「………」
ココ、たまに言葉のセンスもわりぃな…。ふとサニーはあの、どこで買って居るのかわからないセンスのパーカーを思い出した。思い出したら急に、今のファッションにも注目してしまった。
サニーからしたらジジくさい配色のスーツだの、シャツから覗くスモーキーグリーンのテーピングにそれと同色のターバンや謎のイニシャルブローチはもう、良いとして、ココの髪だ。やたら伸びてる。辛うじてでも後ろで一括りに出来そうなくらいは長くなっている。新陳代謝が活発な彼等は常人より髪が伸び易くはあるが…にしても無頓着過ぎる。と、思ってしまった。短い方がココらしい。髪を切れと言いたい。状況的に言えないのが、辛い。
つい、しかめっ面で頭を掻いた。とにかく、仔細は訊きたくないけれど事がココに取ってあまり宜しくない方向に進んでしまっているのだけは、サニーにも分かった。なんとなく、彼の先をこの先を案じてしまう。確か乗船は2ヶ月とさっき言っていた。乗って2ヶ月なら修業期間は短く見積もっても合計3ヶ月近く及ぶだろう。その間彼は、彼の恋人に会えない所か内1ヶ月は、近くにいるのに会ってもらえない。……修業中は弁えるだろうが、ふとした時に酷く落ち込みそうだ。
「なん、つーか……よ……」
だって敵と認識したら全く容赦しなくなる真横の昔なじみは、逆に彼が心を開いた相手にはとことん甘くなる。そもそも心を開く事自体少ないから目に付きにくいだけで、ぶっちゃけ、サニーの妹でもあるリンになんてずっと甘い。ココが本当のお兄ちゃんだったらよかったしーと、彼女が幼い日は喧嘩の度に泣かれた事をサニーは不意に思い出した。今とは全く関係ない話だけど。なんか、悔しかった。
「ぐせん装って、会っちまえばいいじゃねーか」
思い出したら、思った事を口に出していた。渋い顔で目を伏せていたココが、何言い出すんだと言う顔でサニーを見る。
「はあ…?だから、お前、」
「んだよココ、今日、にあったか忘れたのかよ。」
重傷だネ。と、サニーは悪態を吐いた。ココが横で顔をしかめる。
「ま、いちお確認してやっし」
サニーは自身のモバイルをタップした。訳が分からない。と、ソファにどかりを背中を預け始めたココの横で、軽快に何かを打ち込んでいる。少し待って、機体が震えそして、
「ほらな。マリアが居っから、と思ったし」
「何の話だ……?」
あーあ。駄目だねコリャ。サニーはココに向かってにやりと笑う。
「ウェルカムパーティーあんだろ。マリアがクラルの奴も連れてくるってよ」
ココの目が、サニーを捕らえたまま見開いた。こいつ、あんがい表情豊かだよナ……。ちょっと呆れてサニーは続けた。
「会いにいっちゃけなくてもよ、あっちまったら、いつもそう言えねーんじゃねーの?」
ココは何か言いたげに口を開きかけた。けれど直ぐ閉じ、「しかし…」「いや……そう言えば、でも……」口元に手を当てて前のめりで、何かを呟き続ける。何かを思い付いた様な顔をしたと思えば、ずーんと暗くなる。きっちりと巻かれたターバンから零れ出ている髪が空調で僅かに揺れている。やたらサラサラ動く。
めんどくせーやつ。サニーは自分の事も棚に上げて、溜め息を吐いた。