私、どこ迄お話したかしら。
ああ、そう、そうですね。そうして、その翌日、彼は私の研究室にいらして、私達、いやだ、何もありませんでした。本当です。本当に……ちょっとだけ、その、もういいじゃありませんか。夫婦ですもの。
それよりもそう。そうだわ、鉄平さんがいつもの様に腐葉土を持って来て下さいました。ですから本当に、私達何もありませんでしたよ。
「うわー……ココじゃん。何でいるの」
「それは……」
「あ、バレちゃった? クラルちゃんさー。もー」
私の傍にいた夫の姿を見た鉄平さんに、私、呆れられてしまいましたけれど。
「ああ良かった。君と話がしたかったんだ。妻が、お世話になったらしいからね」
夫は飄々としていらっしゃいました。
「いやいや……いやー」
それにしてもあのお二人、何かあったのかしら。鉄平さんはどこか居心地が悪そうにしていらっしゃるし、夫の態度は少し、警戒心を滲ませていました。傍目にはお二人とも普段取りに振舞っていらしたけれど、一体何があったのかしら。
そう言えば、ほんの僅かな時間だけ、男同士の話がしたいと夫が仰って、鉄平さんと一度部屋から出ていかれたのですよ。私の研究の事もありますから、流石の彼でも変なお話はなさらないと思いますが少し、気になってしまいました。夫は、訊いてもはぐらかしますから。困ってしまいます。
結局、私はその日、フレックスを利用しました。アソシエイト達に必要な指示をメール送って、コンピュータには自動演算の設定を行って、早々に家路へとつきました。肝心のショコラツリーは夫が持って来た布で梱包をして、彼が運んで下さいました。
家の中ではパントリーの隅が丁度良い気温でしたので、そこに設置をしました。夫は、しげしげと興味深気に眺めてましたね。
「これ、葉っぱは食べれるのかい?」
「はい?」
「葉っぱ。光合成をする為だろうが、チョコレートの色じゃないね。だが、パキフィツムの葉に似た肉厚さだ」
夫は好奇心をその目に宿して、きらきらとして、そんな彼の姿を間近で見る、私も、
「……あなたでも、ご存じない事があるのね」
「そりゃあね……流石の僕も絶滅種はそこ迄明るくないよ。適材適所、さ」
「あら、まあ……」
浮き足立つ気持ちを、押さえ込めませんでした。
「……お教え、しましょうか?」
「ああ……。君、嬉しそうだね」
葉っぱは、上手く成熟すればミントに良く似た味わいのチョコレートに育ち、枝は樹液を抜いて粉砕すると、上質のショコラパウダーになること。それは枝葉によって甘かったりほろ苦かったりと、味わいや栄養価に変化があること。だからこそ先人達にこぞって伐採され、遂に絶えてしまった。と、古い書籍や鉄平さんからお聞きした内容をお伝えしたら彼は早速、葉っぱのすべてをつぶさに眺めた後、「これ、丁度良い案配だな」一枚を千切りました。
「あら、」
「ん?」
私、思わず肩を落として笑ってしまいました。
「まだ一日、残っていますのに」
「メインは樹液、なんだろ?」
「そうですけど……」
「食べ頃を逃すのは、食材に対して失礼だよ。奥さん」
「まあ、美食屋らしいこと」
「まあ美食屋だから、ね」
会話の間にも夫は、葉についている僅かな葉脈を器用に取り去って、半分に折りました。
枝からの供給が途絶えて急速に硬化したショコラリーフは、ぱきりと小気味好い音を立ててそれは、私の耳に、とても魅力的に響きました。
「君はもう、試食済みかもしれないが」
「……葉っぱは、初めて」
「あれ、そうなのかい?」
「再生された時は、樹液だけが収穫可能でしたから」
「へえ」
「柔らかな甘さと、ほんのりとしたビターテイストがちょうど良くて、とても美味しかったですよ」
「それも楽しみだな」
先に、半分のひとかけらを口にして夫は笑います。「ああ……これは……」ご自身を美食屋だと、言い切った彼は、少年の様な輝きをその瞳に走らせて、紅潮した頬のまま、私の口元にもうひとかけらを差し出しました。
「ほら、クラルも。あーん」
私は、くすくす笑い零したくなるのを抑えて、「はいはい」夫が上機嫌にさし出して下さった緑の半分を口にしました。
夫の整った指先から迎え入れた、私の口の中。この目には瑞々しく映っていた葉っぱの欠片がさっと溶けて広がるその味わいに、目を見張って、夫に向って喉を誇らしく震わせるその時、彼は私が何か言うよりも早く、本当に嬉しそうに、笑いました。
「君は、僕の誇りだ」
私の腕を引き寄せて、上機嫌なままキスをして下さったココさんの口元は相変わらず、健康的な張りを持って柔らかく。二人分の含み笑いと一緒に食み合うその唇は、きちんとしたあつさを持っているのにその日は、冷たくて仄かに甘い、味がしました。
(つめたくて、ほのかにあまい / 2018.04.11)