Seven

 それにしたって、段々と間違い探しをしている気分に彼はなってきた。ココが出会ってからの大人然としつつもどこか少女らしさが伺えたクラルと、今、目の前にいる全く幼く未成熟なクラルとの間違い探し。あるいは、類似当てのゲーム。
 ココの着席の後、タイミングを合わせてお互いに食前の礼を尽くす。今日の糧が明日の血肉になるように。与えられた恵みに寿ぎを願う二人の合掌は、形こそ違えども結ぶ言葉は一緒だ。

「いただき、ます」
「いただきます」

 テーブルに並んだカトラリーを手に、食事を始める。

「ナイフとフォーク、大きすぎたりしないかい?」

 小さな両手が握った一対を見て、ココは口を開いた。子供用の用意は無かったから当然、今のクラルが握っているのは大人用だ。

「平気です。……慣れて、みせます」

 苦笑した。ほとんど決意の表明のような呟きだがこれも、昔、クラルが口にしていたなと彼は思い出す。

「無理しないで。ここはそんな、かしこまった場所じゃない。君が楽しく食事してくれれば、それだけで作った甲斐があるからね」

 言葉にして彼はふと気付いた。これでよかったのだろうか。なんだか僕はさっきから、彼女を甘やかすことばかり言っている気がする。もしかしたら彼女に芽吹く勤勉の芽を、甘言で摘み取っていないだろうか。
 治療薬として開発中の液体を誤飲したと彼は聞いていた。であれば元に戻った時、何かしらの食い違いが産まれる可能性は無視出来ない。幼ければ幼いほど、大人の言葉が与える影響力は大きいものだ。
 少女と、目が合う。不思議そうにココを見ている。開きかけた口に一瞬身構えた。が、その動きはすぐに止まり、視線も下へと外れた。
 ココは、動揺した。 え? なんだ、この、思わせぶりな行動。
それは、ココが知っているクラルにはない、動きだった。
 彼が知っているクラルは見かけの雰囲気とは裏腹に、言いたい事は割と言葉にする子だった。口籠る時があってもそれは、頭に浮かんだ発言をその場に適した言葉へと置き換えるための潜思で、それが終われば直ぐにあのしっかりとした瞳を真っ直ぐに向け、ココの胸に収まりやすく話していた。それがない。
 今のクラルはただ、会話を止めた。ココの混乱など悟ることなく、ラタトゥイユの皿にフォークを差し込み、ネオトマトソースが絡んだ甘茄子のひとかけらを口へと運ぶ。

「――こちらとても、おいしい……」

 それでも幸せそうにほっぺをもきゅもきゅ動かし始めた彼女の姿に、問い詰める気持ちは薄れていった。


 暫く、静かな食事が続いた。
 窓の外は海底に沈んだように、夜が満ちていた。天井から注ぐオレンジの明かりが、窓ガラスに少女の横顔を映してている。小さなクラルの手元は、教育された動きを心掛けていながらもどこか覚束ない。ところどころ自信のないところは、ココの動きをなぞらえている。食器と、カトラリーが触れ合う音だけが、静寂を壊している。
 誰かといて、静かな食事は何年振りだろう。ココはムニエルにナイフを突き刺して思う。トリコ達がいる時は、どんちゃん騒ぎだし、クラルとは、とりとめなくも笑いが絶えなかった。あるいは学術的な、専門性の高い話もして食後にふたり、書斎であれこれ本をひっくり返したりもした。沈黙が下りる時は……食後、リビングでのティータイムくらいか。それも、暖炉から差す明かりに照らされたクラルを眺めている時間で彼にはただただ心地良かった。幸福に満ち足りた、穏やかな横顔。ある日はココの視線に気付いて、気恥ずかしそうに声を潜めて笑っていた。あまり、ご覧にならないでくださいな。

「ところで、ココさん」

 途端、小さなクラルが口を開いた。そぞろげだった意識を気取られないように、声に気を配る。しまった。マナーを教えてあげるよと言っておいて、自分がマナーから外れた行動をしてしまった。

「何かな?」

 食事中は、ゲストを退屈させないよう会話を提供するのはホストの役目であると、どんなマナーブックにも書いてあるのに。潜思が過ぎていた。改めよう。そう、ココは思った。なのに、

「本日、奥さまはお戻りが遅いのですか……?」

 クラルの発言。それに、ムニエルを一口大に切り離していた、カトラリーの動きが、止まった。

「え?」

 ココは、何を聞かれたのか分からなかった。いや、それより、何より、

「食器の数が、足りませんでした」
「どうして、僕が、既婚者だと?」

 成る可く平静を装った。それでも、言葉を被せてしまったからだろう。対面している小さなクラルはココを見つめて、不思議そうにパンをちぎる。

「結婚指輪を、していらっしゃいます」

 指輪、そうか。
 ココは、はっとした。そうだ、今日は占い師としての仕事だけだったから、ずっと付けていた。テーブルについていた手を見下ろす。先程目にしたばかりのクラルとお揃いのウエディングリングが、天井からの明かりを反射して光っている。

「それに、」

 幼い声に惹かれ、ココは再び顔を上げた。

「リビングの、暖炉の上に、お写真がありました」
「――あ」

 意識が、指摘された場所に向かう。

「タキシードをおめしになったココさんと、白いドレスをおめしになった女性の方が、うつっていました。他にも、何枚か。奥さまだけのも、飾ってありました」

 ああ、そうだ。飾っていた。そのままにしていた。あれを見たのか。と、思う心に後悔と落胆が同時にやってくる。
 少女は、写真の女性を指して、他人だと認識した。奥様、そう言った。

「おふたりとも、とても幸せそうでした。仲の良いご夫婦なのでしょう、ね。奥さまは――」
「彼女は今、出かけているんだ」

 期待の芽はココの中に未だ残り続けていたらしい。完全に枯れていなかった。だからだろうか、ココ自身でも驚くほどなめらかな嘘が、口から出た。

「……仕事、でね」
「お仕事、ですか?」

 発言を覆うことで生まれてしまった少女の委縮を、柔らかな声と虚言で拭い去る。

「ああ……。君と会った、施設に彼女は勤めていてね。そこのとある部署で、今は主任をしている。研究員だよ。それで今日、急な学会に呼ばれてさ。暫く家を空けることになった」
「そう、でしたか……」
「彼女は、子供がとても好きだから。君に会ったらきっと、喜ぶよ」
「そう、ですか」

 言葉を重なる度に、ココの内面は呆れ返っていく。よくもまあ、こんなにもすらすらと話が出来ていくものだ。

「……妻は、君の学校の生徒だったんだ」

 仮にもクラルに対して、嘘を聞かせ続けるのはまずいと生まれた唯一の真実も、「だから君のステイ先として、僕達ん家に、話が来た」やがて虚飾の材料へと変わっていく。
 なのにココの表情は、内側で芽生えた罪悪感の鱗片も見せない。ただ静かに、良い人の顔をしていた。目の前で、ココをじっと見るめる幼い視線。手にはさっきからずっと、ひとくちにちぎったパンを持っている。彼女に、微笑んで見せる。

「なるほど。ふに落ちました」

 はっきりとした声に、ココは面食らった。

「へ?」

 クラルだけ、したり顔で頷く。

「ずっと、不思議だったのですが、そういうことなら、納得です」
「あ、ああ……もしかして、君を僕の家に連れてきたことかな? ずっと疑っていたのかい?」
「いいえ。そちらは、そういうこともあるでしょうとは、思いました」
「そう、なんだ」
「私になんの説明もなかったのは、きになりますけれど、めずらしいことではありません」
「……へえ」

 何だか今、さらりととんでもないことを言われた気がする。少女の発言は心なしかずっと、危なっかしさを感じさせている。闇が見え隠れしている。

「じゃあ何が、腑に落ちたんだい?」
「それは……」

 クラルの声はまた口ごもって、言葉が途切れた。やがてちいさなクラルはマイペースに、ちぎったままだったパンの欠片をラタトゥイユに浸して。口に入れた。むぐむぐ、咀嚼する。

「クラルちゃん?」

 さっきは出来なかったが、今は良いだろう。ココは、言葉を促そうと彼女を、今の容姿に相応しい呼称で呼んでみた。
 ココの呼び声に反応して、幼い顔が持ち上がる。が、視線だけは向けるも、口ま一文字になったまま、むぐむぐ動き続ける。いま、話せません。そう言われている気分だ。

「………」

 追求されたくないのかもしれない。ココは、そう思った。クラルのほっぺはほんの少し膨らんで心なしかこの時から小動物みたいだ。ココはぼんやりと、ああこの食べ姿も懐かしいな。と、いつかの記憶と照合して彼女に関する彼の中の辞書を更新する。けれど、

「それ、飲み込んでからで良いから。さっきの理由を、聞かせて欲しい」

 二度目はさすがに、看過したくない。
 小さなクラルの肩が、僅かに反応を示す。喉が、短く上下して、コップにつがれていた水を一口、ココの視線を伺ったまま飲む。

「……よろ、しいのです?」

 やがて、たっぷりの間を経て小さな声が、ココへと投げられた。飴色のガラスコップが、先ほどの位置よりもクラルに近い場所に下ろされる。

「ああ、勿論。君の話が聞きたいんだ」

 やおら、幼いクラルの濃い色の瞳に光がちいさく灯った。ぴかぴかと、喜びに咲く波長が煌めく。

「わるい意味で、は、ありません」
「うん?」
「ココさんの優しさ、は、ふしぜんでした」

 ココは、息を飲んだ。は? と、出掛かった声も、口をしっかりと閉じてその奥に、押し込む。

「あなたは、わたしをお迎えにきたと、いって下さいましたが、はじめはわたしを、かんさつしていました」

 観察って……言い方。突っ込みたくなる気持ちもじっと抑える。それに実際間違っていない。確かに、観察していた。

「わたしの、高さにしせんをあわせて下さったり、あたまをなでても下さいましたが、ココさんの、きもちは、わたしにむいていませんでした。別のかたのこと、を、考えているようでした」

 次はただ、絶句した。

「いちばんの違和感は、」

 まだあるのか。子供って、こんな、

「ココさんの、ご性格です。お優しいお心をおもちだとは、思います。が、こうどうにぎこちなさが見えます。じぜん活動がおすきとも、見えません。見知らぬ、縁もゆかりもない、わたしのような子供を同情だけで招き、いれるかただとは、どうしても思えませんでした。ココさんのご性格なら、てきせつな場所へ、おつれになるのではないでしょうか」

 こんなに、鋭いものだったのか?

「ですが」

 確かに。身寄りの無い子だけだったなら、彼は彼の家へは連れて行かないだろう。数々の修行を経て、今では毒薬のコントロールもその物質の危険性よりずっと長けているとはいえ、アンノウンを興味や好奇心だけで招き入れることはしない。その顔にどんな相が見えても、それがその人の運命なのだと。個の運命に、僕が介入してはいけない(深く関わることで、人生は簡単に変化する)と、一歩を引いてしまう。特に、旧知の仲でなければ、特に。変えてしまった運命があるとして、そのしわ寄せは必ずどこかでやって来る。ともすればココ自身に降り掛かるかもしれない。美食屋を営む上で、危険の増加は避けたい。心労は少ないに越したことはない。
 例外は、ひとつだ。

「ココさんの、奥さまがごかんけいしていたのですね」

 変えてしまった個人のひずみを、引き受けたいと。引き受けても構わないと、思えるか否か。想い合えるかどうか。
 彼女への恋心を自覚した、いつか、あの日。

「……お写真、みました。ココさんのお顔、本当に嬉しそうでしあわせそうで、奥様のことをこころから想ってたいせつにしていらっしゃるの、わかりました」
「そうかい?」
「はい」
「そうか……」

 ココは、静かに息を吐いた。そうして今、肺のうを満たしていた酸素のすべてを、少女に気付かれないうちに吐ききると、新鮮さをもとめるその時に、

「君は、」

 そんな時から、聡いんだ……いや、違うか。

「鋭い子、だね」

 彼は唇に弧を描いたまま静かに、目を伏せた。
 細めた視界に映るラタトゥイユ。美しい赤に沈んだ緑と紫のコントラスト。対面する少女が、美味しいと感嘆したそれは、恋人時代のクラルに初めて振る舞った、手料理だった。



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