Twenty six
「ココー! クラルー!」
ヘリポートへ降り立つ。職員の手で扉が開け放たれるなり吹き込んだ風の向こう、奥にある待合所の前でリンが手を振っているのが見えた。煌々と明るい室内灯を背にして立っているせいか、赤い衣服がよりよく目立ってる。
「リンさーん」
タラップへ立つなり少女はリンへ応えるように手を降った。声は、外気のせいか小さく細くきっと彼女には届いていないだろうが、ココの目には明るい喜びに満ちた波長がはたはたとに輝いているのが見える。いつの間にそんなに懐いたのかと驚けども、元々2人は友人だったのだと気づけばごく当たり前の形に収まっているのかもしれない。
強い横殴りの風がココの髪を巻き上げる。
冬の日暮れは深く、そして濃い。空は足早に暮れなずみ、今や西の端に僅かな色彩を滲ませるのみになっている。東側はすっかり夜の色へと染まり虫食いのような星を瞬かせ、建物の窓という窓から明かりが溢れでる薄闇時、なのだろうとココは眼をすぼめて波長の流れを追おうとして、止めた。
もう一度風が屋上を強く吹き抜ける。ごうごうと唸りこちらの意思と無関係に鼻腔へと押し入る。冬の匂いの深さ分、肺胞に沈むそれは冷たい。少女の鼻や頬に紅が射し始める。すん。と、小さな鼻先が動く。
「冷え切る前に行こうか」
「はい、ココさん」
そっと手を添えた、その背中はすでに冷えていた。小さい以上に薄いな。と、ココは今更ながらに思った。
歩を進める背を押す風は季節に相応しい冷気を持ち、ココの胸中にしんしんと染み込んでくる。寒々しい。心もとない。小さな歩幅をせわしなく動かす少女の後をゆっくりと付き添う。風が吹けばほんの僅かふらつく身体、忠実にそよぐ、髪。
幼い。
短く頭を振るう。少女には重い扉を後ろから押して「どうぞ」と、言えば「ありがとうございます」と、返された。
これは、寂寞さではなく混乱だ。
ほどよく空調の効いた長い廊下の中でココは、そう結論づけた。
「クラル、大丈夫だし?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
前を歩く二人の歩幅を鑑みて緩めた歩調は思案に適している。予め目を通していた資料(それは一字一句脳へ記憶している文章)を思い起こした読み直しと並行していても、なんら問題はない。
「うちはさ、クラルが良いならほんと、全然良いんだけど……心の準備とか、必要ないし?」
「はい。そちらはもうきちんと、整理してまいりました。平気です」
元々、自身にとって歓迎し難い事象だった。衝撃に、衝撃が重なったのだ。であれば混乱していてもおかしくない。
「まあ、そういうことなら……そっか」
「はい。お心遣い、感謝いたします」
「えー、そんなかしこまんなくていいしー」
現在彼女に訪れた変化が自然なものであったのなら、その解除の要因も自然であっても不思議はない。消化、吸収により現行の状態異常が回復することは最も安全な道程である。或いはそれこそ、性別を転換してみせるスープのように同じ効果のある食物で反転のさらに反転をさせる。この時代あり得ないことではない。
しかし要因が人為的なものであるならば、その解除条件も人為的である可能性の高さはそれこそが最も自然な因果である。ただ一つ不可解があるとすればその中でなぜ、少女が変態する以前の、大人であった意識を取り戻さないまま自我と現状だけを受け入れたか。受け入れるに至ったのか。混乱もなく、ごく自然と、当たり前のように……あまりにも聞き分けがよく不自然なまでに従順すぎる。だがもし、
「コーコっ!」
浮かび上がった仮説があった。それはココにとっては気付いていたとしても目を背けたい疑念だった。けれどそれを反芻するより先にリンの呼び声に意識を攫われた。
「なんだい?」
「説明、ココも聞くでしょ? クラルと一緒に」
人の顔色など気にしない天衣無縫なリンと、自身が重要だと思う場においては人に顔色など伺わせないココはコミュニケーションの相性が良い。
「ああ。勿論」
印象の良い表情を崩さないまま頷けば殊更、リンは「りょーかい」と快活に笑った。その間で、
「私が、同席してよろしいのですか?」
意外そうな声を出したのは、二人を交互に見上げていた少女だった。
「え?」
素直な驚愕を漏らすココの横で、
「当然だし。なんでむしろダメなんだし」
ごくごく自然と、少女の目線の位置まで膝を曲げたリンが尋ねる。
「……なぜ、でしょう。そう思ってしまいました」
「君自身のことだから。聞いてダメな事はないよ」
その控えめな主張には、ココが口を開いた。
「思考力が戻りつつある今なら、理解もできるだろうからね」
「そう、でしょうか」
「ああ」
「あ、それ気になってたんだけど。結局どういう事だし? クラルの記憶って戻ってないし?」
「はい。そちらは……ですが、元の私のお話をココさんからお聞きしましたので、現状の理解は得ていますよ」
「記憶、ないのに? 納得したの?」
「はい」
「えー!」
「リンちゃんの方が納得できてないって感じだね」
「え? これ納得できる人いるし? わかんなくない?」
少女が困ったように苦笑する。
「どう、でしょうね」
曖昧に返すこの場でココは、
「そういう事もあるんじゃない?」
「わ、でた! ココってほんとクラルに甘いしー」
自分の立場も印象もよくわかっていた。
説明はリンの執務室で、時間をかけて行われた。
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