Twenty five
「……お八つ時だね」
ふと思ったままを口にしたら、少女は、少し意外そうな顔を見せた。
「食べるかい?」
お昼を摂ったのはおよそ三時間前。ココの胃の空きはそれ程でもなかったが、子供の体質は違うかもしれない。実際自分の子供の頃は今よりも食が太かった気がする。成長期を迎え始めた十代は特に、品性に欠けるかもと思いつつもビオトープで文字通りの摘み食いをしたこともある。
最もそこには性差があるかもしれない。それ以前に……いや、なんだよこの発案は。時間稼ぎか。まさか混乱しているか? この僕が? 現状に?
ココの背後からココの自意識が囃し立てる。しかし狩猟中と違い広域の視覚情報か必ずしも必要とされない今、そんなのはメタ認識だ。平時の現実はいつも他者とある。少女は少し考え込んだ後に「……いただきます」と言ったから、「よし、じゃあ少し待っていて」とココは煩わしい自意識を追いやり、簡単な甘味を作ろうと決めた。
「すぐにお腹が空いてしまうなんて、子供は、とても燃費が悪いと思います」
「大丈夫。僕も君の歳はそんなもんだったよ。それにもっと食いしん坊な奴を知っている。あいつに比べたら君のは、健常の範囲内さ」
本人の耳に入ったら、ひでぇ! と笑われかねない毒を口にしつつ、ココはタルトを焼いた。流し入れたスタッフがとろりと濃厚なプルシャンブルーベリーのタルトは、材料さえ揃っていれば簡単に仕上がる。計量、予熱、正確な手順と焼き時間。その全てが記憶されているなら尚のこと。
オーブンから取り出した焼き立てのそれを切り分け、隣にアイスを添えた。
「ありがとうございます。いただきます」
「うん、召し上がれ」
ダイニングテーブルの上に訪れたティータイム。心の中で燻る不自然さには目を閉じたまま少女の食事風景を見守る。彼女と違い、ココの手元には紅茶しかない。
「ココさんは、召し上がらないのですか?」
「ああ。僕は後で食べるよ」
「焼き立て、美味しいですよ。タルト生地が温かいのにほっくりとしていて……ブルーベリーの甘さととても良く合います」
「それは良かった。その為に配合した小麦粉を使っているから、熱いままでも形崩れし難いんだ」
口元に薄い笑みを乗せたまま、手元のモバイルからメールフォルダを開いた。十分前に届いていたリンのメールを選ぶ。
おつー。から始まる文面はとても簡素で、こざっぱりとしていた。必要なことのみで構成されている。ファイルを添付したこと、チームに尋ねたこと。お音是非は、もし質問があればいつでも聞いてくださいって。と、書かれた文面の下、クラルの上長の名前と電話番号が記載されていたことで知れた。ありがたく思いつつ、添付の資料をダウンロードする。その間、画面を伏せる。
「クラルちゃん」
美味しそうにタルトを頬張る少女へと向き合う。
「はい、なんでしょうか?」
表情がココの目では見てわかるほどに華やいでいる。余程口にあったのか、お皿の上に切り分けたピースはもう一口分しかない。
「足りる?」
「……」
動きが止まった。直ぐに否定しないあたり、素直だなと思う。
「おかわりあるよ。アイスも」
「食べ過ぎでは、ありませんか?」
「良いんじゃない? 君、子供だしね」
「アイスクリームも、沢山頂いていて……良いのでしょうか?」
「気にすることかい? そもそも育ち盛りの食べ盛りだろ」
「では……」
少女は気恥ずかしそうに、
「お願い、します」
小さく頭を下げた。
「じゃあ、準備しよう」
ココは席を立ち、耐熱皿の上で鎮座しているタルトを今度は二つ切り分けた。
一つを少女の皿に寄せ、もう一つは自分の分として新しく取り出したプレートの上に載せる。当たり前のようにココは全てを自分で整えた。なんとなく、少女の手を借りるのは気がひける。
しかし少女と繰り返しても、本質がクラルである限り大人しく待っていることは無く。ココがまめまめと動いている状態で一人だけぼんやりと椅子に腰かけている訳も無く。彼女は彼女で空になっていたココと自分のカップをシンクに持ってきた。
「おかわりは、如何です?」
背後から投げかけられた声には、思わず肩越しに振り返ってしまった。無意味に見てしまったリビングの光景を、けれど平静のままを装い、視線を下ろす。
「ああ……」
腰の下からココを見上げる少女は、柔らかく、薄く笑んでいる。
「頂こうかな」
その気遣いにココは応え、一緒にテーブルへと着いた。
共に手を合わせ「いただきます」クラルにとっては二度目の言葉を重ねた後、しかしココはフォークより先にモバイルを持ち上げた。画面を立ち上げる。ダウンロードの完了を確認する。ファイルを開き、さっと目を通す。テキストメールを立ち上げ、リンへと返事を打つ過程でもう一度、モバイルを伏せた。クラルを呼んだ。
「……クラルちゃん」
一口を切り取っていた少女が顔をあげる。
「はい。なんでしょうか?」
さっきと同じ口調につい苦笑する。
「投薬、いつが良い?」
「……」
少女の動きが止まった。乏しいなりにも華やかさが伺えた表情が神妙な雰囲気へと一変する。素直だなと、思いながらココは自身もタルトをひと口分切り取り、
「いつでも良いよ。今日でも、明日でも、その先でも」
口に運んだ。ほどよく熱が取れた生地は歯に心地よい硬さと舌に優しい味わいを持って、その後から続くベリーフタッフの甘酸っぱさが混然一体となり広がる。どうしてなかなか、相性が好い。
「私が決めて、良いのですか?」
「良いんじゃない? 君自身の事だしね。昨日も話しただろ」
「では……」
会話はまるで、タルトのおかわりを尋ねるがごとくだった。けれど、少女はその時よリも少し時間をかけて、
「可能なら、今日。この後に、お願いします」
告げた。
「……じゃあ、後で準備しよう」
その返答はココの想定より、些か早かった。
けれどココは聞いたままをリンへの返信に書き留め、送信した。少女が食事を再開する。ナイフとフォークを扱う手元にはもう、数日前の覚束なさは見つからない。
買い足しを逃したカトラリーはその手には大きい筈なのに、もう、ココと似た動きで正確に扱い始めている。
IGOのロゴを側面に戴くヘリは西日の頃にやってきた。少女と共に乗り込むその中に、リンはいなかった。想定通りだった。
『彼女は、直ぐに投薬を受けると言ってる』
アプリケーションから送信したココからのメッセージに、帰ってきたのは彼以上にさっぱりとして文面だった。
『そう? じゃあヘリ、手配とくし』
そこは一時間後の到着予定が共に記され、こっち着いたら教えて。と、締めくくられていた。
その返事を見届けて後、モバイルをボトムスのポケットへと差し込んだ。少女の準備を手伝った。
と言っても荷物の準備は無く。部屋の掃除がメインだった。それも、元々の使い方が良かったためか時間もかからず、一息をつけるだけの時間が生まれたくらいだったから、ヘリの到着が早すぎることはなかった。
コートを着せた少女を先に乗せ、後からココも乗り込む。足元のスペースに念のための荷物を詰めたボストンバックを入れた後に、少女には少し硬いベルトの装着を手伝い、ヘッドフォンも装着させる。
「痛く無いかい?」
「はい」
「髪、ちょっと触るね」
「……はい」
耳の横、前髪と、ヘッドフォンの介入で寄れた箇所を整えると、少女の目線が自分の顔に注がれているのに気づいた。
「僕の顔に、何かついてる?」
「いえ、何も」
「そう。よし、できたよ」
血色の良さが伺えるその目元は見ないふりで横に腰を下ろし、自身も安全ベルトをつけた。
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