Twenty two

 ココは話した。自身の妻の身に起こった事を、少女の様子を伺いながら、順を追って聞かせた。
 説明の為に場を改めたいと進言したから、日は暮れ落ちて夕焼けを写していた窓ガラスは今、明かりが灯った室内の様子を反射させている。質素に見えて清潔なダイニングの、オーク材のテーブルとチェア。向かい合う壮年の男性と、あどけない少女。
 ココの言葉を、クラルは口を挟む事なくただ聞いていた。

「研究事故、とも言える」

 ココはクラルから目を逸らさずに言い切った。

「だから、君に非はなかった」

 その言葉が指し示す確信は口の奥に追いやる。

「研究所では今、君を元に戻す薬液の準備を急いでいる。今日家を空けたのも、その経過報告を受ける為だった」

 幼い視線の、その奥の光に気を配りながら言葉を続けた。
 クラルが少女であるまま辿り着いてしまった真相に、ココは彼女の中でどう言う理屈が働いたのか理解できずにいた。
 記憶が戻ったのならまだしも、それは無いですと否定されてしまったのだ。記憶はないが、状況からして現状が理解出来ると言う事だと言っていたが、それにしても彼女はあまりにも落ち着き過ぎている。受け入れ過ぎている。彼女に合わせて言葉を選んでいるとはいえ、ココの発言が解らないと言うそぶりもない。耳に聞く口調も今朝より整っている。

 これは、何かの前触れだろうか。


「……ココさん?」

 声をかけられ、自分が沈黙していたのにココは気付いた。

「ああ。……すまない」
「いいえ。お辛い事を、話させている自覚はあります」
「え、」

 少女の発言に戸惑いが漏れる。

「ごめんなさい」
「君が謝る必要はない」
「でも、研究事故、と言う事はきっと、私にも不注意があったと、」
「無い。君は、」

 騙されたんだ。と、吐きかけてココは言葉を奥歯で噛み潰した。言い終らないうちに否定を受けたクラルは少し驚いた顔でココを見て、一度瞬く。

「君は、本当になにも悪くなかった」

 少女が口を挟む間も無くココは続ける。

「だから気にする必要はこれっぽっちもない」
「……はい」

 その返答は彼女の主張を押さえつけたかのようだったが、クラルの波長はそんなことなどまるで気にしていなさそうだった。若い睫毛を俯かせる相貌の頬は、ほんのりとした薔薇色に染まっている。

 調子が狂う。

 胸中に渦巻く正直な気持ちに、柄にもなく振り回されている。胸の奥に蟠りがある。彼女が余りにも、素直すぎて、やっぱり同じようには扱えない。

「明日か明後日に、薬は完成する」

 ぱっと、少女が顔を上げる。濃く深い瞳に、天井から注ぐ照明の光が映っていてそれは、見慣れたものよりもずっと瑞々しい。

「投薬により君が元の姿に戻る確率は、高い。けれど断定は出来ない上に、前例が無いから副作用の有無も知れない」

 物事に100%の確率ないんてない。引き寄せていく事はできるだろうけれど、今その役目を担いきれるのは自分ではないとココは知っている。ココだけが知っている。一度、呼吸を置いた。


「君が選んでくれ」


 少女の目が不可解な事を聞いたとばかりに瞬く。

「……え?」
「君自身の身に及ぶ事だ。分からない事があれば仲介役になろう。その上でどうするか……決めてくれ」

 そう、少女なのだ。年の頃10歳ほどのあどけなさを頬や肩に宿した幼子。声も、仕草も、瞳も、いくら妻の面影と重ねようとも今、そこにある事実は歴然としている。
 その子にココは、選択を委ねている。

「返事は今じゃなくても良い。どちらを選んでも僕は、君の味方だ」

 それでもその心を慮り、微笑みに甘言を混ぜた。

「とりあえず、先に食事をしよう」


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