Twenty one
鏡に映る姿を少女は眺めていた。
おさげを解いて肩に滑らせたブルーネットには、緩いウェーブがついている。じっと、目の前に映る少女の顔を見つめる。微笑みを作ってみる。うまく笑えない。ぎこちない。ため息を吐いたら肩が落ちた。
似ていない……。
両手でほっぺを持ち上げてみる。口角が上がった気がするけれど、これじゃないとも思う。手をおろす。鏡を見つめ直す。
色の濃いブルーネット、瞳。ベージュの肌、唇の色。
似ていると言えば、似ているのかもしれない。
並べば肉親だと思われるくらいには共通点があるかもしれない。足元に置いていた写真を持ち上げる。
いっそそうだったら良いのに。
……ココさんの奥さまと、私は、実は血の繋がりがあって、だから似ているのも、名前が一緒なのも……あったこと無いけど、おばあちゃまが同じ名前だったとかで、その方のをいただいたから。とか、私の知らないルーツがあって……。
考えればその方が自然な出来事だ。数時間前に浮かんで、検証の真似事をして、確信。と断定するには説得力の弱い仮説で頭の中を満たすよりかはずっと、まともで、常識めいている。
ただそれだと納得がいかない。胸の奥が常識を否定する。釈然としない。しっくりこない。
似ている、と言えば。似ているのだ。
ノックの音で我に返った。
「クラルちゃん? いるかい?」
ココの声に固唾を飲んだ。帰って来た。
「はい」
やや間を置いて促す。
「どうぞ」
写真立てを両手で握る。ひんやりとして硬い。
ドアノブを回してやってきたココは、見送った時と変わらない姿をしていた。
「おかえりなさい」
「ただいま。遅くなってすまなかったね。さっき、SPの彼から聞いたんだが話があるって、」
クラルを見て、一瞬だけ驚いた顔をした。
「……その写真、また見ていたのかい?」
「はい」
扉を閉めないまま自身の近くへと歩いてくる男性をただただ見上げて思う。どうして自分は、この人のことがよく分かってしまうのだろう。
今、ココさんは取り繕った。
その思考は確信に近かった。
「大切なものなんだ。戻しておくから、返してもらえるかな?」
言葉を選んだ彼の、その一瞬の逡巡まではっきりとわかった。膝をついて目線を合わせてくれる端正な顔立ちと優しく光る眼差しに、胸が静かに締め付けられる。
「返しません」
「クラルちゃん、」
「だってこちら、私の写真でもあります」
ココが目の前で息を飲んだ。瞳孔が窄まったその変化さえ分かってしまってクラルは、体の奥から沸き立つ熱を自覚した。
やっぱり。
荒唐無稽な話だと、思っていた僅かな疑念さえ、目前の麗人の表情が払拭さしていく。だからもう一度、胸中で繰り返した。やっぱり。
「ココさん、私……」
固唾を呑む男性を見つめて少女は観念した。
「子供に戻ってしまったんですね」
それは予め用意していた言葉とは違っていた。それでもクラルは自分でも気づかないまま自然、大人のように微笑んでいた。
「記憶が……戻ったのか?」
眉尻を下げて微笑む少女へココが発した第一声に、彼女は静かに首を振った。
「じゃあどうして」
「写真の裏、見てください」
「裏?」
差し出されたそれを、受け取る過程で彼ははたと気付く。
「暦か」
少女は得意げに胸を張る。
「ココさんも、つめが甘いですね」
くすくすと笑う。その声はまるで憑き物が落ちたように軽やかで、
「せっかく私からメディアを遠ざけたのに。……テレビ、壊れていませんでしたよ。SPの方が、コンセントが外れているのを見つけてくださいました」
「……」
「学校も、連絡をしたら……プライバシーの、で詳しくは教えていただけませんでしたけれど……私、卒業生でした。もう、何年も前に」
ココにとって、耳慣れた音に近づいている。
「正直に話してくださればよかったのに」
「……君を、混乱させたくなかった。何も覚えていなかったから」
「私の為に、嘘つきになってくださる必要なんて、なかったのに」
「そう言うわけには、いかないよ……」
少女はその口元に妻の面影を残したまま、静かに眉尻を下げる。
西日の逆光が、解き下されたブルーネットの輪郭を光らせていた。丸みのある輪郭と身体つきも声も相変わらず年相応に幼いのに、その姿は鮮明に、いつかの最愛と重なる。どうして、と、沸き立った言葉を飲み込む。
「忘れてしまって、ごめんなさい」
あなた。と、声にされない言葉が聞こえた気がした。
勿論そんなものは錯覚だ。幻聴だ。そんな事分かっている。だからココは抱き締めたいと揺らいだ激情を抑え付け、動きかけた掌は拳を作るに留めた。呼び慣れている名前をも、口にしかけ、口籠る。
今の彼女を何と呼べば良いのだろう。今のココにはわからない。妻であって妻ではない。何度見てもその顔も、姿も、声も電磁波の波長さえも、幼い。不可侵の少女性の殻の中にいる。守られている。守らなくてはいけないと、律される。
「本当に……」
それでも指先で柔らかな頬を一度だけ、撫でた。
「記憶が戻ったわけじゃ、ないんだな」
少女は申し訳なさそうに頷く。
「ですから教えてください。私に何があって、そして、」
真っ直ぐにココを見つめる深い色の瞳は瑞々しく幼い中にいて、そこには不釣合いだと思ってしまう覚悟が宿っている。
「これから何をすれば良いのか」
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