Fifteen

 拍動に合わせて痛みが深くなる。目の前がちかちかと霞んで、ぼやけてくる。 え? な、なに。なに、

「痛、い」

 痛いけど、うずくまる前に、写真どうにかしなきゃ。勝手に取って見ちゃった。せめて、裏の蓋、閉じなきゃ。
 覚束無い指先で、求めていた情報を覆う。ココの名前、自分と同じ、彼の伴侶の名前、不可解な年号。を、薄いコルク材で隠す。痛みが増していく。それでもクラルはツマミを弄る。呼吸が段々と浅くなって、今や頭痛が起こす苦痛は全身に広がって、閉じ切ってしまいたいのにツマミはうまく動かない。
 身体が熱い。関節が痛い。脂の浮かんだ汗があらゆる場所から滲んでら睫毛に乗る。瞬きすると、手の甲に落ちた。ほんの少し、目に入ったけど、そこまで気を配れない。
 あと、一つ。あとひとつ。痛いのは平気。痛いのは、平気。呪文のように繰り返して、呼吸を意識した。こんなの、平気。
 人差し指の先でやっと、プラスチックが弾けた。眼下で写真立てが元どおりになる。

「でき、た……」

 信仰に感謝したけれど、立ち上がって、棚に戻すにはもう、打つような痛みが酷くなり過ぎていた。

「いたい、よう……」

 写真立てを抱きしめてクラルは、その場に蹲り、倒れた。
 頭がずきずきして心臓が苦しくて、たまらなくて、目の前が涙で霞む。呼吸も上手くできない。ほっぺにあたるラグの毛質に汗や涙が染み込んでいくのさえ、気にかけることが出来ない。いたいいたい。
 いたい、いたい、死んじゃう。あたま、からだ、いたい。
 視界がじわじわと狭くなっていく。耳の内側に音がこもる。助けて。と、呟いてみたけれど、誰に助けを求めたら良いのかわからないまま朦朧とする意識に、知らない記憶がフラッシュバックした。
 情報がダム湖を決壊させたように溢れ出す。全く覚えのない情景が瞼の裏で明滅する。こわい、いたい、こわい、いたい、いたい、たすけて、

「−−ここ、さん」







 −−フ、チーフ。

 薄ぼやけた視界の中、誰かの声が聞こえた。
 真っ白で近代的な部屋だ。沢山の機械がある。コンピューターのモーター音が時折聞こえる。
 目の前に意識を向けるとモニター画面が数台見えた。
 それぞれにウィンドウが並んで、ゲノムの塩基配列や数式、ラットのスキャン画像が写っている。キーを叩く手は爪が丁寧に整えられた大人の女性のもので、左の薬指には二つの指輪が並んで光っていた。
 白衣の袖。その口から覗いているのは、柔らかい素材のニット。キーボードの横には施錠され固定された棚が、中にラベルの貼られた小瓶を数個並ばせていた。

 −−チーフってば!

 声の方へ顔を向けた。同じように白衣をまとった妙齢の女性がいた。困ったように笑っている。

 −−みんな、休憩に行きましたよ? チーフはもう少し後で取るって聞いたんですけど……お茶くらいどうかな? って、思って。持ってきちゃいました〜!

 女性の手には、カップがふたつ握られていた。スリーブをはめたよくある使い捨てのカップだ。それらを掲げ、悪戯っぽく肩をすくめる。どうも部屋には二人しかいないらしい。

 −−あれ? それ、共同研究のですよね? ラットを使った生体実験が、上手くいかなかったとかゆうやつ。

 相槌を打ちながらお礼を言って、カップを受け取った。『ダーウィン君……イン・シリコが使えたら、良かったのでしょうけど』唇を動かすと、声が内側にこもって響いた。女性が横に来て、画面を覗き込みながら口を開く。

 −−あぁ。あれ確か、高かったですよね? ……一度動かすのに何千万、でしたっけ? それだともっと予算組んでくれないと無理ですよねぇ〜。 てか、検証ってチーフがすることなんですか? 室長のサブアシストに入っただけじゃなかったでしたっけ?

『ええ。ですからこちらは、結果の見直しをしているだけで……気になることがひとつありますから、後で室長に確認頂く予定です』

 −−気になること? ふ〜ん……でも、どのみちあのチーム、解体になっちゃうんですよね? 投与したラットは苦しんだ挙句、昏睡で眼を覚まさないまま。組織細胞や内臓機能の働き具合からしてあれ、もう殆どが脳死状態でしたっけ? わざとノックインさせた遺伝子の情報は修復されてるけど、あれじゃ、失敗と同じなんですよね? 投薬量の変えたところで……ってか、証明にも難儀してるし。上の人達なんて、多額の予算使って新しい毒薬作ったようなものだとか、言ってきて〜。ほんと、みんな頑張ってたのに……。

『食を扱っている分、そう言う事にとても敏感な機関ですから……仕方がない事です』

 −−毒に? まぁ……確かに食中毒とか、こわいですもんねぇ。……それでも、ココさんだったら直ぐにわかっちゃうのかな? 来てくれたりしないかなぁ? 会いたなぁ……。
 わっ! もぉ〜冗談! 冗談ですよー! そんな驚いた顔しないでくださいって! 確かに彼、あたしの憧れですけど……ちゃんと、分かってますから。
 ほんと違うんですよー! つい思い出しちゃっただけで〜! それもこれもチーフが指輪見せつけるから! ですよっ

 あ! 笑いましたね! ひど〜い! もぅ、良いからこれ! はやく飲んでくださいっ! チェックならあたし手伝いましょうか? ね? 同じチームだから守秘義務とか関係無しでしょ♪ 冷めちゃ勿体無い!

 え? ミルク? チーフ、入れない派でしたっけ? お砂糖は抜きましたけど……えー……でも! その方が美味しいですって! 絶対! 牛乳って精神を安静させる効果があるって言うでしょ? ほら、トリプトファン! て、また笑う〜もぅ!

 あ、ここ、直しときますね。だって残本数、合ってますよ? えぇ? 一本? 減ってる、かな? そんなことないですよ〜。ほら! ポケットからジャジャーン!

 空ですけど。置いておきまーす。

 大丈夫ですか? 顔色、具合悪そうですよ。あ、コップ貰いますよ? 零したらお掃除の人大変だろうし。ふふっ


 あははっ。すごーい。

 クラルさん、投薬されたてのラットそーっくり。


 


prev next



list page select
bookmark (list)
text(28/15) chapter(28/15)

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -