Fourteen
クラルの一番古い記憶は、病室だ。
ある日目を開けたら、ハビットを身につけた老齢の女性が真横にいた。起床と同時に気付いた欠乏に混乱するクラルへ彼女は、クラルに纏わる情報とそして、彼女が運営する孤児院への道を開けてくれた。
孤児院は、いろいろな子供がいた。その子供達は押し並べて生みの親が居なかったが、時たま訪れる夫婦の目に留まれば、第二の家庭を与えられて出て行った。国が定めた一定の試行期間が終わる時に戻ってきてしまう子もいたけれど、どの子も幸せそうに施設を後にした。社会擁護児童の為に、恒久的で平和な家庭を提供することに生き甲斐を見出す大人たち。ブラウン管で見た暖かい家庭。
クラルには縁遠かった世界。
孤独を埋めるように没頭した勉学が功を成し、スクールへ上がる年に身の上では考えられないような学校への教育を受容できて、寮生活の為に施設を後にしたが、その時、クラルは独りだった。
もう自分には学ぶことしか取り柄がない。
家族の夢は子供がひしめく部屋に置いて、ただ真摯に学び続けよう。ずっと、自分の力で生き続けよう。
「そう、おもって、いたのにな……」
翌朝。ココの家にお邪魔して3日目の朝。クラルは鏡の前で編み立ての髪をそっと撫でた。
広くて、日当たりのいい部屋。隙間風もなく、暖かい寝室。石畳の上には手触りのいいラグマット。鏡に映る自分は制服以外では身につけた事のない、上等なワンピースを着ている。襟に店名が刺繍された長い布タグの形からして、きっとデザイナーズだろう。ルームメイトがこんな感じの服を持っていた気がする。
鏡の自分を覗き込んだ。おさげ髪と腰のあたりで切り返しのついたワンピース。
「……モンゴメリの、主人公みたい。かみ、あかくないけど」
じっとみつめるクラルの背後には、起床と一緒にベッドメイキングをしたベッドがある。丁度いい固さのマットレスにふわふわの布団はとても寝心地が良くて、良い匂いがした。
何より、そのベッドサイドにあるキャビネット。上にはココが、喉が乾いたら飲みな。と、昨夜に持って来てくれた水差しとコップ。半月のレモンが沈んで半分ほど減ったその水はタップウォーターじゃなく、スパークリングの、とても口当たりのいい飲み物だった。一晩立つのにまだ気泡が見えている。
石造の家の、全てが整った空間。心が湧くつく調度品。
優しく気配りが巧みな、大人の、男の人。
「ココさん……」
あの人、すごいヒーロー体系だけど、どちらかといえば王子様みたいだなあ。跪いた姿、とても様になっていた。と、思ったら、ほんの少し胸がほんわりとした。
かっこよくて、優しくて、頭撫でてくれて、職業はちょっと怪しいけど、家事も得意。良い匂いがして、あったかくて、ご飯が美味しい。
やにわ、顔がぽぽっと温まった。つい、わわわ、と両手で頬を包む。
「ゆめの、せいだ……」
昨日、家族になりたい。と思ってしまったからかもしない。
願ったのは、娘というポジションだったのに、あれから時が過ぎた夜、ベッドの中で見た夢の中、クラルは大人になっていた。しかもあろうことか、ココに背後から抱きしめられていた。
それはまるで唯一無二の最愛のように、愛しまれ、キスをされて自分はそれを、喉を震わせて微笑い当たり前のように受け止めていた。腕の力や体温、感触が凄く生々しく蘇る。寝起きなんてそれが顕著だった。暫く記憶があやふやで自分が、自分はあの写真で微笑んでいた女性だと、錯覚して起き抜けに、ココさんが居ない……と、ついきょろきょろしてしまった。いなくて当たり前なのに。
私、今日、ココさんの顔みれるかな。それにもし奥様が、おもどりになったら……申し訳なさすぎる。
生まれて初めて味わう罪悪感に、顔が赤くなったり青くなったり、今日のクラルは朝から大忙しだった。だって相手は、既婚者なのだ。神前で永遠を誓い合った伴侶がいる、のだ。
本当の本当に、顔を合わせ辛い。
それでも、部屋に籠っているわけにはいかない。
顔もういちど、あらいましょう。マウスウォッシュもしよう。
冷たい水と清涼感で全てを濯げば、このもやつきもどうにかなる。そう信じてクラルは部屋から出ることにした。
廊下へ出たら、話し声が聞こえた。大人の、男性の声で、聞き覚えがあった。どこか真剣さを含んでいるが、ココの声だ。
ココさんも、起きたんだ。
通話の邪魔にならないように、ドアをそっと引く。音を立てないため完全に閉めず、ほんの少し隙間を残した。
バスルームへと向う。ココの寝室に近い場所にあるから、必然的に聞こえてくる声が鮮明になって来た。明り取りの窓と、足元に置かれた珍しい蓄光石のお陰で見通しの良い廊下の奥、扉が少し空いている。
あ、だから聞こえて来ちゃうんだ。盗み聞きとか、はしたないこと、しないようにしなきゃ。
目的の扉の前、少し高い位置のノブにクラルは手を置いた。きゅっと、回す、その時にココの声が意図せずとも入り込んで来た。
「クラルの……なら、知っている。十中八九……いない」
−−んん?
取っ手を引きかけるその動きが、止まる。自分の名前が聞こえた。と、同時にまたあの、変なデジャブが湧き上がって来た。胸の、少し下の辺りからざわざわとした気配が襲ってくる。
なんだかよく分からないけれど、自分はこういう時、聞いてしまったらちゃんとココさんの前に出ないといけない気がする。いる事を、伝えないといけない。
「一人、心当たりがいる。変な……を滲ませていた」
ノブから手を離し、クラルは踵を返した。
「いや。……は……とにしよう。それより特定が先だ」
少し歩調を早めて向う。ココの声がより鮮明になってくる。
「……ああ、いい子にしてるよ。面影が強過ぎて戸惑うけど、可愛いよ。それも……」
「ココさん、おはようございます」
ココの部屋の扉を開ける。それと同時に、声を発した。
驚いた顔の、ココと目があう。
「ノックもせずに、すみません。扉が空いていて、お声が聞こえたものですから、ごあいさつに、まいりました。おはようございます」
「あ、ああ……それは、ご丁寧に。……おはよう」
ココは、ベッドに腰掛けていた。大きなココの体格を考慮しても尚でかいベッドは、質のいいリネンに包まれている。クラルが与えられた部屋とはまた違う内装だけれど、どこか懐かしくて落ち着く仕上がりだった。窓のカーテンレールにつけられた鳥のモービルが光を受けている。
思わず、足が一歩を踏み出しかける。私、ここ、知ってる。
「ごめん、扉が開いてるなんて気付かなかったよ。うるさかったかな?」
「いえ。まったく。こちらこそ、お話しちゅうに、すみません」
動きかけた一歩は、ココの声で正気に戻った。その場で頭を下げる。ココの声が、小さく笑う。顔を上げたら先ほどとは一変して、穏やかに微笑んでいる美丈夫の姿があった。黒いスラックスに、厚手のトレーナという出で立ちが様になっている。
「この通話が終わったら、朝ごはんにしよう。あと少しだけ待てるかい?」
朝の陽光の中で、優しく言い聞かせてくれる。
「はい。では、部屋にいます」
「いいよ。好きな場所で、好きなことしてな」
ベッドを軋ませてココが立ち上がる。
「ありがとうございます」
クラルは頭をもう一度さげた。そうして、部屋を後にしようと一歩を引くその時にふと、気づいた。あれ? ココさん。お電話だったんだよね? でもじゅわき、持ってなかった。
もう一度振り返る。と、きっと扉を閉めるためだろう、ココがクラルの真後ろまで来ていた。キチンとしたスラックスに、襟だけがグリーンになっているネイビーのトレーナー。見上げると、ん? とした顔で微笑まれる。スーパーヒーローみたいな体つきにふさわしくも綺麗な手には、あの、クラルが惹かれて止まなかった板が握られていた。ちょうど目線の近くだったからココの表情を見る吉も良く見えた。薄くて、つやつやとして見た目、
「ちいさい、テレビ……?」
「え? −−あ、」
どう見ても小型テレビ。ただクラルが知っているのよりもうんと薄く、本当に小さい。おもちゃめいた作りでもない。思わずじっと見る、画面に受話器のマークが付いているのを認めると同時に、パッと、ココの背後に隠された。
もう一度、ココを仰ぐ。
先ほどと打って変わり、気まずそうな笑みを覗かせ「……これは、後で……説明するよ」反対の手で、背中をぽんと軽く押された。
反射的に一歩が廊下へと下がる。
「そうだ。リビングのローテブル、クラルちゃんの手が届く位置にティーセットを用意しておいたから、よかったら先に飲んでて」
「……はい」
扉が閉められる時に見えたココの表情は、張り付いた笑顔で、静かに閉じた木材の目を眼前にクラルは、訳もわからず途方に暮れた。
ココさんが、よくわからない。
リビングへ行ったら言われた通り、ティーセットが用意されていた。とても高価そうなポットには丁度よく抽出されたお茶が満たされていた。重さに気を配りながら横に置かれていたカップに注ぐ。お砂糖を2つ落とす。以前までミルクも入れていたけれど、目を覚ましてから何故か味覚が変わっていたのか、必要を感じ無くなっていた。良い事だと、クラルは思う。早くブラックで飲めるようになりたいと、願いながらスプーンでかき混ぜる。(ココの家についてまず紅茶を差し出された時、砂糖を聞いたら少し驚いた顔をされたからより、強く思う)出来上がりの温い水面に息を吹き掛けて、そっと啜った。体に流れるそれはしみじみと美味しい。健やかさに満たされる、その内側で繰り返す。
ココさん、よく分からない。優しくて、おおらかかと思えば急に壁が出来る。私、何かしたかな。
けれど思い返しても心当たりがない。昨日はちゃんと時間通りホームスクーリングを行ったし、出来も悪くなかった。とてもとても美味しかった夕食は、寒さが深くなる前にと勧められたバスタイムの間に整えられてしまったけれど、その後はきちんとお手伝いをした。下ろしたてのエプロンを身に付けて、ココがストッカーから用意してくれた小さい脚立の上に立って、ココが洗ったお皿の水滴を丁寧に拭った。ココが優しいからと言って、礼儀を外れた事は無い。うーん。と、考える。
なにかあったとすれば、ココさんの方かな……。
暖炉に目を向ける。暖かい火がパチパチと燃えている。家全体を暖めてくれるメインの暖房システムがあるらしいが、リビングは暖炉を灯しているらしい。(ごしゅみですか? と、訊いたらココはほんの少し目尻を下げて、二人のね。と、言った。そしてこうも続けた。棚があるのも、良いだろ)
目線を上に流す。棚の上には、変わらず写真が飾られている。夫婦の写真。火があるからあまり近くまで行けないが、何度見ても良い写真だと感じる。
どの写真のココも、幸せそうな顔で微笑んでいたり、笑っていたり、はにかんでいたり、幸福そのものだ。そして必ずその横には、彼の妻がいた。
やっぱり、奥様いなくてさみしいのかな。
二人は写真でも伝わるほどに仲睦まじい。そしてその光景は不思議と惹かれてしまう。よく見たくて暖炉に近づく。紅茶カップを抱えたまま、熱気が頬をちりちりとさせる手前、黒い柵の前で立ち止まる。じっと2人を見つめる。
−−あれ?
その時、ふと、クラルは思い出した。ジェラート屋の店員の言葉。クラルの名前を聞いてその人は、こう言った。常連さんと同じ名前だね。その人の旦那さん、四天王なんだよ。あ、ココ様。今日奥さんは? この人が、四天王、
「ココさんの、おくさまの、おなまえ……」
足元にカップを置いて、近づいた。まろみを帯びた炎の匂いを感じながら、暖炉端に回り棚に手を伸ばす。ひりつく少し暑さは芽ばえた好奇心がその危険性を、無視させた。ただ慎重に、落としてしまわないように、額の端を掴む。慎重に手繰り寄せる。ココの、結婚式の写真。
幸せに笑うふたり。
ドレスを身につけた女性。
「よ、し。取れた」
少し大きい写真立て。それを手にしてクラルは先ず、二人をしげしげと眺めてそしてひっくり返し、裏蓋を外した。
「あった……」
望んだ答えが、とても丁寧で綺麗な筆記で写真の裏面に綴られていた。記念写真であればあっておかしく無い、夫であるココの名前、そして妻である、女性の名前。
「ほんとだ。わたしと、いっしょ……え?」
そして、その下には
「え? こよみ……」
成婚の日付と、年。
クラルはそれを二度さんどと読み返した。日付、月、年。とし、つき、ひづけ。何度見てもそれはおかしい。
綴られている暦は、クラルの記憶より、うんと遠い未来を示している。こんな大切な日付を間違えたりするものだろうか。筆跡に、指を添わせる。ココの名前、そして、自分の名前と同じ綴り。
頭が、ずきっと、脈打った。
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