−Plat principal−

 いったん擦りを止めて、琺瑯の白いボウルを引き寄せる。少し前迄、ローストしたばかりのカカオ豆を入れていた大きな器。
 そっと、すり鉢の手前に置いたら、ココがドリップケトルをその更に横に置いた。節のしっかりとした大きな指先が、蓋を開けてその中のお湯に触る。


「うん、湯煎に丁度良い温度だ」
「そんな事なさらず……」


 クラルは視線で、温度計を確認した。細長い針のような銀色の棒の先に、赤いブロックが液晶付きで引っ付いている。数年前、クラルが寮からココと暮らす為に持ち込んだものの1つ。


「温度計、使って下さいな」


 見ているこちらが驚きます。と、言えばココは、平気だよ。と笑う。ケトルを蓋を閉め再度持ち上げ、クラルが寄せたボウルにゆっくりと、お湯を注ぎ入れる。


「直ぐそちらにご用意されているのに」
「あれはテンパリング用さ。お湯につけるのは適切じゃないよ」


 クラルはそっと呆れた。
 ココだけは笑いながら、擂粉木が刺さったままのすり鉢を、その中に注意深くセットする。


「温度が、鉢に伝わって来たら、混ぜ始めよう」
「はい」


 ココを見上げて、クラルはそのまま、背中に重心を預けた。
 ふうっと、一息つく。自分が思っていたよりも体が緊張していたみたいで少し、呼吸を深くする。――楽しむ、事。不意にクラルはココから伝えられた調理条件のひとつを思い出した。ココさんとの料理はいつも楽しいけれど、同時にはらはらもしてしまって、本当にこれで良いのかしら。と、密やかに思う。


「大丈夫?疲れたかい?」
「いいえ。大丈夫ですよ」


 分厚い肉の感触が、柔らかなニットを超えてやって来る。ココの喉が鳴ったのだろう。低い振動が、静かに流れ込んでも来た。触発で、クラルも喉を震わせる。


「ココさん」
「ん?」


 そっと名前を呼べば、低い声が返って来る。


「頃合いに成ったら、おしえてね」


 おもむろに、視線を落とした。お腹より少し下にある、クラルの逆手と繋ぎっぱなしのココの手が繋がっている腕に、利き手の平をそっと這わせる。
 ずっしりと重そうな、と言うより実際に力が抜けると重い腕は、指を添えるとあったかくて少し、柔らかい。ぐっと力が籠ったのはココの中に或る、雄としてのプライドだろう。急に硬さが増して浮かんでいる筋が、ぴくんと動く。肘の上迄たくし上げられた深いグリーンのニットの袖口が、なんだか窮屈そうになる。クラルはふふっと笑う。


「さっきから何してるんだい?」


 怪訝な風を装って、ココが顳かみに顔を寄せる。


「ココさんの助言を、遂行しております」


 ココの肘の位置に、自身の肘を合わせてみた。ココは、体格が大きくて筋肉量も充分すぎる程だから、腕太さも中々な物で、比べればちぐはぐさが浮き彫りに成ってそれが、とっても面白くてすき、と、クラルは思う。
 そのまま手首を握ってみる。当然の様に、掴みきれない。ただ、確りとして逞しい、うねりや温もりが、愛おしい。


「あなたは、ほんとうに大きいひと」


 クラルは、声を零して笑う。


「僕の体を使って、楽しそうにするのは……クラルだけだ」


 クラルはもう一度ココを仰いだ。後ろに有るキッチンの明かり取りから注ぐ太陽光が、彼の顔をほんの少し暗く、でも確りと血の赤さをクラルへ教えて来る。
 クラルはココの目を見詰めて笑う。


「良いでしょう?」


 繋がりっぱなしの手を、きゅうっと握る。


「四天王のココ様、触り放題ですよ」


 体の大きなココは、当然の様に掌も大きいから、クラルの手なんて、指を絡めていてもすっぽりと包まれている錯覚が抜けない。その手の甲に、手首を掴んでいた今、最も自由な手を添える。
 青い血管の浮いた手は暖かくて、滑らかでクラルの心を、柔らかくする。


「自慢には成らないと思うなあ」


 ふふっと、笑う。と、くくっと笑い返されて、ココの、今一番自由な腕がクラルをしっかりと包み込んだ。指先が頬に触れる。クラルは、言われぬままゆっくりと、色濃くなる影の真下で目を閉じた。
 悦びがこんと湧いて、胸が熱くなる。
 調理の為にと繋ぎ合ったままの手を、何度目かも分からないまま、握る。
 汗ばみを感じていたむず痒さもそれを超えた先の感覚の喪失も、物を支える事さえし難いこの不自由さも全て、クラルは愛しいと思う。いつもは自由闊達に行える事が、いつもより難しくなっている。いつもとは、当たり前の日常と言えた。当たり前で、そして自分では望まないまま与えられている慣れ親しんだ自由。それが、ほんの少し、制御された時にクラルはいつも、最も鮮明な解放を感じる。苦しむ事もや楽しむ事、嘆く事もはしゃぐ事も選べるという贅沢。この世界が終わらない程度の、非日常。


「そろそろ再開しようか」


 唇を離して、とても近い距離で、ココが言う。


「中に熱が伝わって、良い頃合いだ」
「はい」


 クラルは、ふふっと頬をあつくした。



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