恋愛英語 | ナノ


Love is blind.


今日は彼とデートだった。しかもただのデートじゃない。初デートだ。
一週間前に決まったこのイベントは驚く程の攻撃力をクラルに与えた。つまり、当日迄の一週間、仕事が全く手に付かなかった。
リンにからかわれた。サニーに呆れられた。所長には体調を心配された。社会人として失格だと思った。業務が終わって寮に帰る度に枕とお友達になった。

それでも当日迄にやる事はやった。
彼と一緒に居る時にコールされない様に引き継ぎもしっかりこなし、ファッションやヘアスタイル、メイクは勿論、普段付けないアクセサリーにネイルにも、彼に失礼があってはいけないと拘った。ちなみに監修はサニーとリン兄妹である。
正直それに関しては遊ばれた感が否めなかったが、現にこうしてベーカリーの窓硝子に映る自分を眺めると(着慣れなさに多少の違和感は感じるものの)中々どうして。悪く無いかもしれない。
ハイウェストで切り返しが付いているケミカルレースワンピースに足元はキャメルパンプス。少し動くと裾のレースが風に揺れる。初めてこれをセレクトされた時はちょっと可愛らし過ぎないかとふたりに物申したが、彼とは旧知の兄妹に『大丈夫。似合ってるし』だの『つか、いつ。そんくれー女の子らしいのが好きだぞ』なんて言われたら、『…分かりました。これにします』となるのが乙女心。
でもふたりに言われたらからではないが、今改めて見る姿はちょっぴり自画自賛する。馬子にも衣装だ。、なんか違う。

クラルは気を取り直して前を向き直した。別に店員と目が合ったからじゃない。時間が気になったのだ。そうなのだ。
目の前に広がるひときは広い広場が待ち合わせの場所だった。中央にはカラフルなタイルで作られた精巧な仕掛け時計があった。12時5分前。後5分で待ち合わせの時間。意味も無く、肩に欠けていたコルツオーネのバッグを握った。
それにしても。お昼時と言うのもあってか、辺りを見回すと近くのガラス工芸の職人や露店の店員と言った面々がそれぞれ膝にハンカチを広げてそこらかしこでランチを摂っていた。
着いたときはヴァイオリンを奏でていた年若い路上音楽家も、石段の淵に腰掛けてフィッシュ&チップスを頬張っている。もしゃもしゃと、新聞紙に包まれた中身がみるみる内に減って行く。マジックだ。軽く呆気に取られた。

そう言えば。クラルはふと思い出した。ご飯を食べて来ていない。
何となくお腹に手を置く。ランチの約束で会う訳じゃないけれど、時間も時間だし一緒に食事をするのだろうか。どうなのだろうか。
行くのなら道すがらに見かけたカフェテリアを提案してみたい。ギャルソンがテラス席のマダムに持って行ったパスタ。中々美味しそうだった。あと水が飲みたい。ペリエのスパークリング・ライム。確か入り口近くのカウンターに、幾つかの瓶と一緒においてあったから、多分扱っている。
それか視界の端に写る焼き栗も捨て難い。使い古した黒板に1袋幾らと簡潔に書かれている。ただクラルからは光の加減で上手く見えなかった。ちょっとそわそわ。
鈍色の鉄板の上でローストされた栗はきっと香ばしいのだろう。大粒のマローネは指で摘めばぱきっと口を開く。あの楽しみも思い出す。
いよいよ自分は空腹らしい。クラルはじっと、並んでいる客の為計りにのせた紙袋に焼き栗をざかざか入れるオールド・ミスターの姿を眺めた。ぽつりと独り言。


「、あちらは一袋お幾らかしら」
「5ユーロって書かれているけど。…お腹空いたのかな?」


クラルは後ろを振り返った。中央の大時計ががんごろがんと真鍮のベルを鳴らして時間を告げた。くるぽぽと石畳の隙間を突いていた鳩が驚いて飛び立った。クラルの心臓も跳ね上がった。振り向いたら当然のように彼がいた。秋の、ちょっぴり柔らかい太陽を背に、見慣れたターバンから零れ出ている真っ黒な髪が光に少し透けている。仕立ての良いジャケットががっしりとした筋肉質な体躯を、いつも以上に魅力的に見せていた。クラルより頭ひとつ以上高い高身長もそうさせる起因かもしれない。
彼は、視線が合うと微笑んだ。クラルの心臓は無意識に跳ね上がる。あら?この人ってこんなに素敵だったかしら。整ったお顔立ちだとは思っていたけれどこれ程魅力的な男性だったかしら。どうして私、こんなに心臓が五月蝿いなんて感じてしまうのかしら。クラルは、コンマ1秒の葛藤をした。でも顔には出さない様にした。頑張った。


「…ココ、さん。」
「待たせてごめんね。お詫びにあれを奢るよ。」


真っ白な笑顔が告げた好意に、クラルは別の意味でまた驚いた。


「幾つ欲しい?」


いくつも食べると思っているのだろうか。「3袋あれば足りるかな?」その数は何処から算出された。「少ない?」寧ろ多い「いえ、あの。結構です」「遠慮しないで。遅れたお詫びをさせて欲しいんだ。」クラルが早かっただけでココは時間ぴったりだ。なんのお詫びだか分からない「ただ、もう少し待ってもらう事になるのは申し訳ないな。」「あの、私は別に、」「そうだ。その後のランチも御馳走させてくれ。なら良いよね」なんだそのジェントルマンなロジック。そしてなんだその爽やかな笑顔。クラルはココを見上げたままフリーズした。ココはクラルに笑って言った。


「少しだけ待っててくれないか?直ぐに戻るよ」


言うが早いか、ココは長いコンパスで露店に向かって行った。ジャケットの裾が揺れる。「あの、」彼の行動に動きを思い出したクラルは反射的に掴んで引き止めようとしたが、目的を持った彼の歩調の方が早かった。指先がむなしく宙を掴んだ。取り敢えず「ひ、1袋で充分ですので!」諦めから来た思いを、聞こえる様に彼に叫んだ。
ココはOKを口にする代わりに一瞬だけ振り返って笑った。
クラルは、不覚にもときめいた。
ぺしぺしと頬を両手で挟んで冷ます。これじゃ駄目。これでは駄目よ、クラル。落ち着かなくてはいけないわ。唇を噛み締めてからゆっくりと深呼吸。

初デート。幸先は不安だ。




"恋は盲目"

(11.08.08/掲載)
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