いつか、冷たい夜が降る
どこにもいかないで。
と、言える人だったら良かった。私の傍にずっといて。そう、甘えた声で可愛らしく、誘える性格だったら良かった。
「じゃあ、行ってくるよ」
我儘を、愛らしく口にして、あなたを困らせる事さえ厭わない、そんな女性だったら良かった。
「はい。いってらっしゃい」
もうすぐ寂しい夜が降ってくるの。星はかたかた白く降り注いで、冷たい風が窓の隙間をしんしんと震わせる。その時、あなたの腕の中で守られていたい。あなたに触れて、あなたに触れられて、笑い合いたい。
「食運を、お祈りしています」
毎朝、毎夜。あなたが居ない場所でひとりきり、指を絡ませてあなたの姿を思い描く。あなたの五体満足を願う。閉じた瞼の、その残像が薄れてしまう前に、帰ってきて。暖炉や寝室に飾られた、私達の写真を眺めじまに含む紅茶で、この唇の先を痛めてしまう前に。
「お気をつけて」
毎朝あなたと共に起きて、朝食を摂り合い、毎夜あなたと一緒にお夕飯を作って、食べて、笑って、微睡んで、眠りに就きたい。
「−−うん」
あなたは微笑んで、いつものように最後の抱擁を下さる。私を、抱き締めて下さる。愛おしげに頬に鼻先を擦り付けて下さる。キスを、くださる。それでも私、言えませんから。ただ、彼の背中に手を回してしずしずと、吐息を溢す。
この感触や体温、鼓動ともしばらくお別れだなんて。数年前は当たり前だった日常を今は寂しく思うの、何故かしら。あなた無しでは孤独に立ち向かう事さえ出来なくなってしまったの、何故かしら。
でも、言えなくて、だってこんな思いはバレたくも無くて。
「なまえ」
「はい。ココ、さん」
置いていかないで。
傍にいて。
せめて夜には、
帰ってきて。
そんな、音に出せない飴玉をただ口の中で溶かす代わりに、私を抱き締めて下さるあなたの腕の強さを、背中の感触を、香りを、あらゆる全てを記憶する。表層だけ、取り繕う。(だってその気持ちと同じくらい私、あなたにはあなたの選んだ道を謳歌して欲しい。と、思うままに進んで頂きたい。と、思って、いますから)
「お時間はよろしいの?」
「ああ……」
あなたを見上げてこの目の中に、あらゆる回路に、愛しいあなたの姿を刻む。目を閉じれば直ぐに思い出せるように。私の頬を撫でてくださる指先や、触れる掌。優しく愛しげに見つめてくださる瞳の色。その目の形、睫毛の艶、眉の凛々しさ、髪の長さ、整った輪郭とすらりとした鼻筋、柔らかくて滑らかに動く唇や吐息、
「大丈夫。君の、その記憶が薄れる前に、帰って来る。−−必ず」
愛おしい、声。
……私、あなたがお戻りにならなければやがて死んでしまう。そんな身体になりたい。
いつか冷たい夜が降る
Someday,the coldest night will be coming
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「つめたくて、ほのかにあまい」の、前日譚。
(2018.09.26/執筆)