ワルツワルツ/鰐華

夜色の髪は月の雫で濡れた様にきらきらと輝いていた。砂漠を吹き抜ける風は酷く冷たい。昼間の灼熱を忘れ去って大地は酷く凍えている。女の白いコートが揺れて、彼女は確かにそこにあった。その足は確かに砂を踏みしめている。さらさらと少しずつ形を変えていく小さな粒は、決して同じ形を取ることは無い。彼女の素足は波でも切るかの様に砂を掻き、その度に小さな山が出来た。普段は彼女の柔な脚を守るロングブーツは少し離れたところに適当に放り投げられて、くしゃりと潰れている。耳慣れない言葉の旋律が滔滔と流れ出て、彼女の美しい唇がその音を紡いでいるのだと後ろ姿を見詰めながら思った。きっと彼女の故郷の西の海のものだろう言葉は酷く耳障りが良く、異国情緒たっぷりの不思議な響きで夜を支配している。緩急の無い歌は小さな砂の合間にも頭上に輝く星の間にもするすると入り込んで満たしていく。もうこの空の何処にもその歌を歌う人間はいないのだろう、彼女以外には。崩れかけたワルツのリズムで黒い影が砂漠に揺れて、白いコートがその上に旗めいていた。ああ、これは。いまにも消えてしまいそうだーー柄にも無くそう思って慌てて彼女の跡を追う為に一歩を踏み出した。ずぷり、と黒い革靴を呑み込んだ砂漠は全く俺の支配を拒んでいる様で、酷く歯痒い。砂漠は俺のものだ。更に歩を進める、それでもなお抗おうとするそれを踏み付けて漸く彼女の手首を捉えた。濡れた髪がふわりと円状にひろがって、驚きに塗れた双眸が此方を見詰める。砂漠に絡め取られた脚は縺れて、倒れ掛かってくるその身体は嘘の様に軽かった。身動ぎをする度に白い肌は月光に輝いてきらきらと真珠の様にひかる。歌の旋律は何時の間にか止んでいて、身長差のせいで、随分と低い位置から呼ばれた。女の美しい唇は決して名前をなぞらない。短い敬称だけがぽつり、と砂漠に落ちた。視線を下ろすと驚きと、抗議の色を浮かべた表情がそこにあって、どうしようもないざわめきが神経を撫でる。
「…帰るぞ」
漸く支配権を取り戻した砂を従えて、彼女の投げ捨てたブーツを引き寄せた。鉤爪に引っ掛けてそれを彼女に差し出す、彼女は受け取らなかった。替わりに片方しか無い俺の腕に細い両腕を絡み付けて、アイスブルーを細めた。そこにはもう驚愕も拒絶の表情もない。
「わたし、砂漠を歩くのに疲れたの」
柔らかな口調は甘えるようで、擽ったい。悪戯好きの子供の様に邪気のない言葉、絡められた両腕は砂漠の夜に体温を奪われて酷く冷たかった。仕様がない、と溜息に乗せて吐き出せば彼女の目が期待に揺れる。全く幼子を相手にしているんじゃ無いんだぞ、と凄んでも彼女は意に介した様子も無かった。屈む様にして彼女の両脚を左腕ですくい上げる。掴まれた右腕が不自由なまま、左腕を動かしても鉤爪に引っ掛けたブーツを落とさなかったことは褒められてもいいんじゃないか、と彼女が聞いたら大笑いするようなことを思った。きゃ、と揶揄うような短い悲鳴をあげて抱き上げられた彼女は、柔らかい髪を俺の胸に預けて空を見上げる。
「ねぇ、サー。月が綺麗ね」
砂漠は俺の支配下にある。一刻も早く戻って暖かいブランデーを彼女と分け合うのも良いかも知れない。さらり、と下半身を砂にして砂漠の上を滑る様に走った。


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