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冷たい石畳に身体を預けながら、俺は空を仰いでいた。入り組んだ路地裏には人の気配はあっても無いのと等しい。息をする気配は幾つあっても、死にかけているガキ一人など路傍の石と変わらない。転がる石ころにとってはそこに人がいようと人がいまいとどうでも良いことだった。錆びた裏路地は湿気と陰気が合間って酷く鬱屈としている。自分がいま横たわっている地面の上などその最たるところで、腐臭を放つ生ゴミと最早元が何だったのかすらわからない茶黒の塊が強烈な臭気を放っていた。その上に全身から流れ落ちる自身の鉄錆の臭いが加わってなんとも言い難い臭いをつくっている。もう直に、俺もその中の一つになる。冷たい雨水が体温を全て奪い、流れ出る血水が意識を何処かに持って行ったなら俺の体は裏路地を形成する悪臭と腐敗の一部となってまた誰かに不快を与えていくのだろう。

いつもと変わらない日の筈だった。少しだけ、ミスをした。慣れというのは非常に恐ろしいもので、一度覚えた盗みの手順を繰り返す度に効率は上がっていくがその分余裕も生まれる。実力が余裕に優っていれば何事も起こらないのだが、俺の実力はまだ余裕には勝てなかったらしい。日常だと誤解して注意力が散漫になっていた。それなりに大きなこの街は貿易も盛んで、港街には多くの人が出入りする。何も知らない大通りの金持ちそうな男に態とぶつかり、その懐から財布をするりと抜き取る。そうして謝罪を口にしながら走って行き、頃合いの良いところで路地裏に入る。そこで手にした財布を開き、中身を抜き取って本体を側溝にでも捨てるーーというところまで出来ていれば完璧だった。だが実際そう上手く事は運ばなかった。路地裏に入ったところで、幾人かの破落戸に囲まれたのだ。そこからはもう、予想通りの展開にしか事は運ばなかった。力と人数で勝る彼らは本来なら財布だけをもっていけば良いものを俺の身体を悪戯に殴り蹴り、力尽きてボロ雑巾のようになるまで痛めつけると地べたにまるでゴミを捨てて行くかのように放置してそのまま去っていった。人気のない路地裏に満身創痍で置いていかれて、ああ俺は死ぬのだと思った。殴られた場所という場所が燃える様に熱く痛みを主張する。立ち上がるどころか指先一つ満足に動かせない。この感覚には覚えがあった。あのときはどうしてだか、辛うじて息を繋ぐことが出来たが今度はもう駄目だと直感した。この世には搾取するものとされるものとがいて、自分は嘗て搾取するものの最上級の生き物だった。それがある日、唐突に奪われた。奪われたと言う言葉には些か語弊があるかも知れない。正確には自ら、その権利を手離したのだ父は。成る程父は優しい人だった。だが、同時に酷く愚かな人でもあった。幼子でもわかることをどうして父はわからなかったのだろう?それ程迄に恵まれた、他人の悪意など抑その存在を知らない無菌室で暮らしていたからだろうか。成る程、嘗て天上で暮らしていた時の父はひどく優しかった。あの母にも似た柔和な笑みだけが記憶に残っているーー最期の時でさえあれは笑っていた。今になって思い出すのはあの父の、泣き笑いのようなあの顔だけだった。記憶の中の父は決して怒ることなどなかった。ーー痛む身体の節々に意識を引っ張られて行きながら、最期に思い出すのがどうしてアレの事なのだろう、と思う。他人事のように遠いところで意識は微睡み続け、そうしてふ、っと黒へと落ちた。




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