My heart in your hand. | ナノ


▼ 23

その日は、一日中頭のどこかにキヨ先輩のことがあって、放課後に至る頃にはすっかりそんな自分に鬱陶しさを感じていた。

何をそんなにもぐだぐだと考えていたのかというと、体調が心配だというのも勿論だが、一言で言ってしまえば「俺が見舞いに行ってもいいのか」というそれに尽きる。
先輩は来てくれたし、俺も心配だから行きたい。けれど迷惑にならないか―ともう何度も何度も答えなどわからないことを思考した結果、俺は考えることをやめた。

HRも終わり、人の疎らになった教室でスマホを操作する。画面に表示されているのはキヨ先輩の名前だ。発信をタップして、深く息を吸い込みながら耳にあてがう。
これに先輩が出てくれたら行く、出なかったら行かないという、考えるのをやめたかわりのごくシンプルな二択。

俺の気持ちとしては様子を見に行きたいと思っているのに、呼び出し音を聞いている間、なぜだかひどく緊張していた。三回、四回と無機質な音が鳴る。五回目が鳴りだして、ああ出ないかと思った直後、ぷつっと音が途切れた。

掠れたような耳慣れない応答を聞いてから、俺は少し居住まいを正して口を開いた。



▽▽▽

入るのは二度目となるキヨ先輩の寝室は、電気が点いていないせいでぼんやりと暗い。

「……言ってくれれば良かったのに」
呟いた俺の声は、存外不満げで子供のように拗ねた響きを持っていた。そのことに自分でも驚いて、そっとベッドの上にいるキヨ先輩を窺う。
ただ俺が教えてほしかっただけ。岸田に偶然聞かなければ知らないままで終わってしまったかもしれないことに、勝手に不満を抱いているだけ。

つまり今の言葉は完全なる俺の都合からくるものだ。言う必要がないからと言われてしまえばそれまで。
キヨ先輩は伏し目がちだった目を丸く見開いてじっと俺を見たが、ふいにその表情を柔らかな苦笑に変えた。困ったなぁという風な、苦さというよりは慈しみに似たものが強いように思える顔。
真っ直ぐに見られなくて、俺は咄嗟に顔を伏せた。

誤魔化すように、買ってきたペットボトルのスポーツドリンクを袋から取り出す。

「……すみません、今のは―。ただ、先輩が俺を心配してくれたように、俺だってあんたが心配だから、知らなかったことが嫌だなって、思って……」
話すほどにしどろもどろになっていくのが自分で分かった。うまく言えない。いや、取り繕いようがなくてそのまま訴えてしまったという方が正しいか。責めたいわけではないし、そんな立場でもないのに。「すみません」ともう一度小さく繰り返して口をつぐむ。

冷えたペットボトルは室内との気温差で結露している。表面の水滴を袖で軽く拭って蓋を緩めてから手渡すと、キヨ先輩は口角を上げて「ありがとう」と言葉を発した。
声が掠れているのは、俺がそうだったように喉が痛むからだろう。

「ありがとう、ハル。嬉しい」
「……そんな丁寧にお礼を言ってもらうようなことじゃ」
「うん、これもそうだけど。俺が心配って言ってくれたから。嬉しい」
頭の上に手が乗った。

「伝えておこうかなとは思ったんだ。でも、来てって催促してるみたいじゃないか? とか自意識過剰になって、言うタイミング逃した」
撫でられながら見上げると、先輩は少し照れくさそうな表情をしていた。俺は言葉を咀嚼して、一つ頷いた。
「―ちょっと分かります。俺も同じこと考えるかも」
「一緒だな。じゃあ、今度からはそういうの考えずに伝えるってことにしないか」
「はい。―体調悪いのに、八つ当たりみたいなこと言ってすみません」
「俺は嬉しいだけだから、謝る必要はないぞ」

彼は楽しげに笑ってから、億劫そうにペットボトルを持ち上げて中身を煽った。つ、と口端から溢れた滴を拭う。そして口元を押さえて苦しげに数度咳払いをした。
電話をした時、先輩に頼まれたのは飲み物だけだったが、のど飴も買ってきたのは正解だったかもしれない。

「先輩、よかったらこれ」
「のど飴? ありがと、助かる」
「熱は……?」
「微熱程度。喉と倦怠感がメインって感じ」

包装を破った飴を口に放り込み、力尽きたようにベッドに沈む。
それから、委員会大丈夫かなと先輩は苦笑を浮かべた。


prev / next
しおりを挟む [ page top ]

71/210