My heart in your hand. | ナノ


▼ 3

小さな軋みと共に、横たわっているベッドの右側が僅かに沈む。うとうとと微睡んでいた俺がそれに気が付いて薄く目を開けると、岩見が身を乗り出してこちらを見下ろしていた。

「……、なに」
蛍光灯の光が眩しい。顔を背けると、俺の部屋のものとは違うタオル地の敷きパッドが頬に触れた。

「ね、エスさぁ。高校どうする?」
岩見の部屋の、岩見のベッドの上で体を起こして瞬きを繰り返す。眠気で瞼が重い。
壁にかかった時計は六時前を指していた。電気がついているのにカーテンが開いたままだ。
「―なんて?」
「高校。もうどこ行くか決めてる? ていうか、行くよな?」
ぼんやりしたまま聞き返すと、岩見は言葉数を増やして言い直した。光に慣れてきた目を向ける。やけに真剣な顔をしていた。

「どこかは決めてないけど。行っておけとは言われてる」
両親はいるが、どちらも忙しい上に放任主義だ。俺がもっと小さい頃から家に居たことの方が少ない。高校も行きさえすればどこでもいいと思っているだろう。今さら何かと口出しされてもきっと煩わしいだけだから、不満はない。むしろ楽。
ありのまま伝えてお前は、と水を向ける。岩見はうん、と一つ頷いて傍に置いていた封筒から何かのパンフレットを引っ張り出した。

「俺はさ、この学校の特待生枠狙おうかと思っててさ。見て」
ばさ、と膝の上に置かれたそれを手に取る。青い表紙に、大きな校舎の写真と『藤聖学園』の文字。ぱらりとめくれば、学校の紹介や卒業生の進路、入試についてといったタイトルが見受けられる。

「私立の男子校で全寮制なんだけどね。特待生になったら、授業料だけじゃなくて寮費とか食費とかも全部無料にしてくれるんだって!」
「へえ。厚遇だな」
「でしょ! だから俺、ここ受けてみようかと思ったんだ」
「なれそうなのか、特待生」
「うん、上位四パーセントに入ればいいらしいんだけど、先生が偏差値で見れば可能性は高いと思うって」
「ならよかったな」
「―で、さ。エスは……?」
期待に頬を少し紅潮させていた岩見が、急に眉を下げた不安げな表情をする。俺は思わず目を丸くしてその顔を見返した。

「俺?」
「エスもさー、俺と一緒に特待生目指そうよ。俺、高校でエスと離れるのヤだよー、お願い!」
「なにガキみたいなこと言ってんだよ」
「中坊だもん、ガキだもん。ねえ、ダメ? 嫌?」
ねえねえ、とせがまれて、言葉に詰まってしまった。普段楽しげに目をぴかぴかさせている小さな犬が雨に打たれて寒さに震えているくらいの落差だ。
そういう振る舞いをするのは俺がわりと動物好きだからか? それとも岩見の実は珍しいお願いとやらを、俺がほとんど断ったことがないことに気が付いているのか?
顔をしかめて睨む。きっとそんな計算などひとかけらもしていないであろう岩見は、「お願い」と両手を拝むように合わせたままだ。

しばしの沈黙。

「……親が、許可したらな」
「まじで! ほんとに!? やったっ、エスありがとう、心の底からアイラブユー!!」
断る理由が特になかったのもあって、それはもうあっさりと折れてしまった。なんとなく悔しいような恥ずかしいような気がして、わざとらしく溜め息をつきながらそう言った俺に、岩見は突進する勢いで抱きついた。

そのせいで頭を壁にぶつけたので、それを理由に力を込めたデコピンをして、ついでに頭を鷲掴んで距離を空けさせる。

「許可したらって言ってんだろ。まだ分かんねえよ。あと、俺は特待生にはならない」
「えっなんで?」
「お前ほど成績よくないから」
大切なことを思い出させてやると、岩見は、エスなら大丈夫だと思うけどなあと俺に弾かれた額をさすりつつ首を傾げてみせた。買い被られている気がする。
何はともあれ、両親に話してみないことにはどうにもならない。俺はとりあえず、頑張れと岩見を応援しておいた。


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