My heart in your hand. | ナノ


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軽やかな足取りで隣を歩いていた岩見がふとこちらを向いたかと思えば、俺の顔を覗き込むように首を傾けた。
「ね、エスってさ。恋したことある?」

つい、しかめっ面になる。直前にしていた地元の大学生が逮捕された話とどこがどう繋がったら、俺にそんなことを聞くに至るのか。
岩見の話題が急に転換するのには慣れているが、それにしても、俺はこの手の話題が嫌いだった。
いや、苦手であると言った方が正しいのかもしれない。
楽しいことはたくさんある。誰かと一生を誓って寄り添わずとも生きていける。恋情も愛情も、なくても困らないのに、まるでそれ以上に尊く大切なものはないかのように扱われている。

親しくもない誰かに好きだと言われても嬉しくない。断って泣かれるのは煩わしい。
自分がそんな風に泣いたり悩んだり、誰かに好きだと迫ったりするのを想像するとぞっとする。あまりに湿っぽくて鬱陶しい。なぜ皆、自らすき好んでそんな面倒な状態になりたがるのか。意味がわからない。

「ない」
「小さいときに、この子かわいーなとか思わんかった? 今でもいいけど」
「……、ないな」

少し考えたが思い当たる節が一切なかったから、また否定する。くだらないことを聞くと思いながらも返事をするのは、相手が岩見だからだ。
他の奴に同じ話題を振られたら今の比ではないくらい鬱陶しく思っただろう。

「なら、エスの初恋はまだなんだ。俺、エスが誰かに恋したら全力で応援するからね! あ、でもエスが駄目な奴にひっかかりそうだったら邪魔するし認めないかも」
「へえ」
「へえって! 超どうでもよさそう」
「じゃあお前の選ぶ男も、俺が値踏みしないとな」

実際どうでもいいし、俺が誰かに恋をするなんてことはないと思ったが、それは言わずにふと浮かんだことを言葉にすると、岩見はぽかんと口をあけて俺を見た。ついでに立ち止まったから、俺も仕方なく歩みを止めて岩見を振り返る。そして、また何やら感激したらしい岩見が飛び付いてくるのを片手で受け止めた。こうやって抱き付かれるのは存外よくあることなので慣れているのだ。

「エスー!! お前はまじでなんという優しい男なんだ、優しくてイケメンとか欠点なしか! 俺に認めねえとかいう権利なかったかなとか、言ってから思ったけどエスがそんなん言ってくれてめちゃくちゃテンション上がったから、今後は俺、エスの友達代表として振る舞うことにする、そうしよう、今決めた!」

矢継ぎ早な言葉を一つずつ頭に入れて、とりあえず喜んでいるらしいことは分かった。
岩見の言葉をなぞっただけで、喜ばれるようなことを言ったわけではないのに。

「いいんじゃね」
「え?」
「つーか友達代表もなにも、俺の友達はお前だけだろ」
教室で、常に傍に来て流れで一緒に行動する形になっている同級生は幾人かいるけれど、親しみもなにもない。俺が友達と呼称する人間は岩見だけだ。
俺の言葉に茶色い目を丸くした岩見は、何が嬉しかったのかへらっと笑うと漸く体を離した。
「あー、まじでエスは男前だよ、超格好いい」
「そんなこと言うの、お前だけ」

余談だが。俺が「岩見の選ぶ男」、と表現したのは岩見が好意を向けるのは同性らしいからだ。それが噂になって俺が知り合った頃のこいつは虐めにあっていたし、周りから避けられていた。
今は数人相手の喧嘩も割りと余裕で立ち回るけど、少し前までの岩見は小さくて、ついでに女みたいな顔をしていたのも原因だったのかもしれない。
俺は岩見が虐めを受けていることもゲイであることも、傍にいないことを選ぶ理由に足るとは思わなかったし、ただ、岩見との会話や俺への態度が一緒にいてとても楽だったから仲良くなったのだ。
逆に俺と一緒にいるようになったせいでそれまで関わりのなかったような奴らにまで絡まれるようになったのは、悪かったと思っている。俺はこの学校で一、二を争うくらいに喧嘩を売られることが多い自覚を持っているし。

まあ、岩見が気にしていないから俺もさほどは気にしてない。
それに、クソみたいな奴らからの虐めも無くなったし。


玄関で靴を履き替える。バイトに行く岩見とは方向が違うから学校で別れる。
俺は帰ってから何をしようか考えながら校門に向かった。

「じゃーなエス! ちゃんと顔の傷手当てしとけよー」
「あー」

気が向いたらする。というか、顔を洗えば済むと思う。
適当な返事に笑っている岩見にさっきと同じように手をあげてから歩き出した。


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