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「えっと、飼ってるのは生徒じゃなくて寮監さんだよ。」 だからだれも規則違反はしていませんよ、と両方の手のひらを見せて潔白を主張する。ただ尋ねただけだったらしく、敷島くんはとくに疑うような素振りもなく「そうか」と頷いた。
「カイくん、つやつやだもんね。寮監さんはいいご主人だね。」 外を自由に歩き回っているにしては、カイくんの毛並みはとってもきれいだ。ふわっふわで、抱き上げて顔を寄せるとお日様とい草みたいな匂いがするのだ。毎日ブラッシングしてもらっておいしいごはんを食べているんだろうと思う。はじめてみた人にもぜんぜん警戒心をみせないカイくんがそのままで、大きくなれればいい。
敷島くんの長い指がカイくんの顎のしたを撫でる。その触れ方はちょっとだけぎこちないけれどひたすら優しくて、おれはただ見ているだけなのにお腹の奥にあたたかいしあわせなかたまりがふくらんでいくような気がした。 「カイくん、敷島くんの手、好きなんだね。きもちよさそう」 目をつむってくるくるとのどを鳴らすカイくんからおれに視線を移して、じっと見つめられる。なあに、と見返すおれの方に手が伸びてきて、頬を撫でた。 あまりにしぜんな動きだったから、なにをされたか理解するのが二拍くらい遅れた。きょとんとしているうちに、その手はするりと顎の下に移動する。指先で軽くくすぐられて、ようやく敷島くんの意図を察したら、とたんにうわーっと叫びたくなるような気持ちでいっぱいになった。
おれがきもちよさそうって言ったから、おれのことも撫でてくれるの? 敷島くんって、そういうこともするんだ。とつぜん距離をつめられたおどろきと、照れくささと、嬉しさ。じっとしてられなくて、地面についていた手がぱたぱたと動いてしまう。だって、おれのこと鬱陶しいとかきらいだとか思ってたら、こんな、ねこという世界一かわいい生き物に触れるのとおなじ手つきで触ったりしないでしょ。
「おれもねこちゃん扱いですか、敷島くん」 顔を覗き込むようにして言うと、ほんのり目を細めた敷島くんが首をかたむける。そしてちょっと考えるような、ためらう素振りをしてから口を開いた。おれから離れた手は、握りこまれて敷島くんの膝のうえに戻っていく。 「……、その敷島くんってやつ」 「ん?」 「呼びにくくないか」 「うーん、ちょっと。でも別に―」 「下の名前で呼べばいい」 でも平気だよ、と続けようとした言葉にゆるく被せるようにそう言った。さっきから意外なことばかりだ。おれはなんとなく、敷島くんはスキンシップとかしないし、なれなれしく呼ばれるのも嫌いそうってイメージを抱いていた。それなのに、自分から触ってくるし(しかもほっぺだ! あっくんだってそうそう触らない)、名前で呼んでいいと自分から言ってくる。おれがイメージしていたものが間違いだったのか、敷島くんになにか心境の変化でもあったのか。たぶん、おれが間違ってたっていうほうなんだろう。
すこしの間考え込んでいたら、「忘れたか」と敷島くんに勘違いされかけたので、慌ててぶんぶん首を振る。漢字まで教えてもらったのに名前を忘れるほど失礼な人間ではないよ、おれは。 じゃあ呼べよとばかりに呼ばれ待ちをしているのがわかる。
「……えっと。優世くん?」 だれかを名前で呼ぶのなんて慣れたことなのに、こういう改まった感じだと若干緊張する。噛んだりつっかえたりせずにちゃんと言えたことに安堵するけれど、相手はあまり満足した様子ではない。 「くんは要らない」 「い、いるいる。香くんも香くんなんだよ?」 「日本語おかしいぞ」 とか言いながら、おれが言いたいことくらい理解してるよね。案の定、まあいいとあっさり引き下がってくれた。 「しき――、じゃなかった、優世くんが優世くんなら、おれのこともすいって呼んでくれる? 友達はみんな、名前で呼ぶよ」
「翠くん?」 真顔のまま言われて、『いやいや』と否定するよりびっくり感が勝った。 「優世くん、くん付けとかするんだ。なんか新鮮ー」 「うそ。俺はくんは付けない」 「うん、おれの真似したんだよね。」 「……」 やっぱり、優世くんって結構お茶目なところあるよね? ド真面目ってわけではないのが、好感度高いよ。いや、ド真面目だったら嫌ってことではないけれど。真面目そうなのに、っていうギャップがいいという話。優世くんはいろいろギャップの男だ。さぞやモテるだろう。おおいに納得。
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