十七

菜の花が風に戦(そよ)ぐ有様を目に映しながら、山崎は暫くの間呆けていた。

見事だ、と素直に思う。

菜種油を採るためのこの畑からは一体幾らの油が集まるのだろう。
広大な黄色の海は、今立っている此処からは果てが見えなかった。

此処が気に入りだというナマエは、これを見て何を思っていたのだろう。
恐らく誰も連れて来たりなどせず、今の山崎と同じように一人で佇み、どの様に時を過ごしていたのだろう。

目を閉じて一つ深い呼吸をすると、山崎は漸くその場から移動した。

ゆっくりと歩を進めながら辺りを見回す。
実際に来るのは初めてだが、この景色は“知っていた”。

そこかしこにナマエの面影がちらつく。
童の様に悪戯っぽく笑い掛けてくる顔や、跳ねる様に小走りで駆けて、くるりとこちらを振り返る動作、穏やかな眼差しで菜の花を見遣る目使い。
山崎はそれらの記憶を大事に確かめる様に一歩ずつ地を踏み締めた。

『…』

ある所まで来て山崎の足が止まった。
幹の太い立派な木。
白昼で屋外であるにも拘らず、感情のままにナマエを求めた場所だ。

近くまで寄り、地に膝を付く。
何となく、幹と同じく立派に張った根に触れてみた。
ごつごつとした皮とひやりとした触感は何故かあの時の行為の記憶を強く呼び起こした。

同時に強い切なさが胸に押し寄せ、山崎は胸を掻き毟る様にして蹲(うずくま)った。

辺りに獣の咆哮に似た泣き声が響いた。
山崎は身を投げて慟哭していた。



幹に背を預けて空を見上げる。
声が枯れる程叫んで叫んで、山崎は漸く人心地ついた気がした。

激しく泣いた後特有の空ろな悲しさが胸を満たしてはいたが、それでもずっと溜め込んでいたつかえの様なものが軽くなった様に感じる。

死の縁にあったナマエが一度だけ目を開けた時。
また、彼女の遺品を整理していた時。
ナマエの事となるとどうにも涙腺が支配できなくなるなと、山崎は小さく自嘲的に笑んだ。

後頭部を幹に付けて放心していると、時折柔らかい風が吹いていった。
少し疲れもあるし、その心地良さに目を閉じかける。
すると、

『…!』

視界の中に何かが映った。
芽吹き始めた木々の緑の中に、人工的な色があった気がした。

眠気等は瞬時に失せた。
山崎は目を凝らし、その色を捉えた場所を必死に窺った。

在った、と思った時には身体が動いていた。
ばねの様に動いて駆け出し、その色が見えた場所の真下まで行き着くと、山崎は興奮で目を丸くした。

あの時風に飛ばされたナマエの結紐が枝に引っ掛かっていたのである。

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