九
頬の傷がゆっくり塞がっていく。
掌の凍傷がみるみる消えていく。
彼等が負った小さな怪我は、気に留める間もなく痕を消した。
ナマエは純血の鬼というものに、密かに憧憬していた。
鬼と妖の血を半分ずつ継ぐ身は、それぞれの力を継いでいる事になるが、所詮はどっちつかずだとナマエは思っていた。
鬼でも妖でもない自分は、一体何者なのだろうかと、ナマエはよくそんな事を考えた。
…目の前には、非常に強い力を持った純血の男鬼。
しかも大きな一族の当主である。
己の血に引け目を感じているナマエは、この時既に気持ちが臆してしまっていた。
『おい、』
すっかり黙り込んだナマエに風間が不愉快そうに声を掛ける。
ナマエはややうなだれ気味に、彼を上目遣いに見た。
『早くしろ。まさか俺にだけ名を明かさせ、自らは秘するつもりではあるまいな』
風間の言う通りなのだが、気後れしたナマエは声を発する事ですら億劫に感じられた。
しかし黙っている訳にはいかない。
『…ミョウジ、ナマエ』
ぼそりと呟かれたその名を聞き、風間は何かを思い出そうとするかの様に目を少し細めてナマエを見た。
『ミョウジ…?』
視線を外し、こちらの刀辺りをぼんやり見ている彼女の姿を見ながら、風間は記憶の端から、遠い昔に東の雪村から分かれた一族にその様な名がある事を思い出した。
『ナマエ、生まれは何処だ』
いきなり下の名前で呼ばれ、ナマエはむっとして風間を睨んだ。
(馴々しい)
風間はまるで気にしていない様で、涼しい顔をこちらに向けている。
『ここより遥か東北の地。…それ以上は言えない』
雪女の一族の里の場所は、母から教えられた掟により口外を禁じられている。
具体的な土地の名は伏せて、ナマエはそうとだけしか言わなかった。
『…』
(雪を操る鬼女…)
風間は顎に指を添え、考え込む素振りを見せた。
先程とは逆に、今度は風間が黙り込んだので、ナマエは無言のまま不愉快そうな目を向けてきた。
風間はそれを無視した。
先程見せた姿は間違いなく鬼化であるし、身近にいて感じられる気も鬼のものである。
彼女の名字もまた、鬼の一族のものだ。
同時に別の気配も感じるのは、ナマエが鬼と雪女の血を持つからだと風間は思い至った。
(なるほど、これは…噂以上に面白い)
『…?』
急に愉悦の笑みを浮かべた風間を、ナマエは気味悪げに見ていた。
彼がこの時自分に対して強い興味を抱いた事など、当然彼女は知る由もなかった。
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