二
『今度は何を壊したの?』
『奥方様…』
音が聞こえた所へ近付くと、幾人かの鬼達が後片付けの為に奔走している姿を見掛けた。
ナマエがその内の一人の背中に声を掛けると、何だか泣き出しそうな声が返ってきた。
『初代が愛用なさっていたという茶碗が、その…』
『あの子が壊したのね』
壊した、という単語を言い澱んでいた男鬼の言葉を継いでナマエが代わりに言ってやると、彼は力無く、はい、と言って頷いた。
腰に手を当てて、ナマエは鼻から大きな溜め息を吐いた。
『で、その悪戯子鬼は何処へ行ったのかしら』
『物凄い剣幕で走って来られたご家老様の猛追を掻い潜り、あちらの方へ逃げて行かれました』
男鬼の言い草が何とも面白く、つい吹き出してしまった。
釣られたかの様に彼も笑い、申し訳ございません、と軽く頭を下げた。
この屋敷の鬼達は皆何処となく朗らかで明るい。
息子の悪戯も最終的には笑って許してしまう様なおおらかさも持っており、そんな彼等に混血のナマエは随分助けられた。
半分は人間である自分が不知火家という良家の正室として居られるのは、彼等が温かく迎え入れてくれたからだ。
『ごめんなさいね、茶碗のこと。
後でうんと叱っておくから』
言いながら歩き出したナマエの背に、とんでもない事でございます、と言って男鬼が頭を下げた。
『…さて、』
廊下を進みながら息子が何処へ行ったかを推理する。
時々遠くの方から、若様どちらへ行かれましたか、と叫ぶ家老の怒りの声が聞こえて来て、ナマエは申し訳なくもついつい笑ってしまった。
とても喜寿が近いとは思えない家老ではあるが、彼には息子の事で年に見合わない苦労を随分掛けている。
しかし彼は、若様の存在が元気の秘訣でございます、と言って笑ってくれる。
ナマエは家老の雄叫びを耳にしつつ、今度湯治にでも連れて行ってあげよう、と思った。
そんな事を考えながら歩いていたが、ある部屋の前まで来るとぴたりと足を止めた。
耳をそばだてると中から息子の燥ぎ声と、同じく楽しそうな男鬼の声が聞こえてきた。
ナマエは一瞬柔らかく目を細めた。
目を閉じて、深く息を吸い込みながら襖に両手を掛ける。
そして勢いよく戸を開き、屋敷中に響き渡る声量で、
『陽(よう)ーーー!!』
と叫んだ。
部屋の中には、同じ驚いた顔をしてこちらを見たまま固まった、夫と息子の姿があった。
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