三
不知火は畳に寝転がり、息子を“高い高い”してやっていた。
その格好のまま勢いに気圧されて固まり、瞬時に言葉が出てこなかった。
しかし妻の表情とその口から出た息子の名前から状況を察する事は出来、また何かやりやがったな、と思った。
『よっ、と』
息子を抱き抱えながら身体を起こすとナマエが部屋に入ってきた。
ナマエは近くまで来ると荒々しく正座した。
『ンな怖ぇ顔すんなって。美人が台無しだろ』
茶化して言うが、妻の表情は変わらない。
一瞬だけ不知火を見たが、目は真っ直ぐ息子を捉えている。
『…おい、母様怒ってるぞ?
お前今日は何しやがったんだ?』
二人の間で取り成す形を取り、不知火が息子に言葉を掛ける。
何の事かと言うように、息子は可愛く小首をかしげた。
『…初代様ご愛用の茶碗を壊したんだそうです』
底を這う低い声でナマエが答える。
不知火はナマエを一瞥し、あーあ、と言いながら再び息子を見た。
『あの広間に飾ってあったやつか。
何だよお前、あれ壊しちまったのか』
呆れて笑うと、息子も満面の笑みを浮かべた。
元気よく頷き、
『おちゃわん、がっしゃんっていった』
と言った。
それから息子は茶碗を壊した経緯を次々話した。
棒で色々なものを叩くと、色々な音がして楽しいという。
どうやら彼は音を求めて様々なものを叩き、その結果破壊活動となるらしかった。
そして困った事に、彼が良い音だと思うのが、何かが割れたり破れたりする音なのだった。
これには流石のナマエも目尻を下げざるを得なかった。
『何つーかまあ、俺達のガキらしいじゃねえか』
『そう、ですけど…』
音楽が好きなナマエに、派手な事が好きな不知火。
二人を足して形にしたのがこの息子、という訳だ。
他者には困った性格だと思われるが、ナマエ達にはそんな所も可愛くて仕方が無かった。
『でもこの分で行くと、屋敷中の形あるものが全て壊されかねません』
ナマエが溜め息交じりに言う。
息子は父と母が揃っているのが嬉しいらしく、不知火の胡座の間で機嫌良くしていた。
『だな。ちょっと説教するか』
ナマエの意見に同意を示し、不知火が息子の肩を掴んで自分と向き合わせた。
『あのなあ、陽…』
とその時。
『若様!どちらにお隠れになりましたか!?』
諦めずにずっと息子を探し続けている家老の声が廊下から聞こえてきた。
『お、丁度いいや』
不知火は息子の襟首をひっつかんで乱暴に持ち上げた。
ナマエは目を丸くしたが、息子は遊びの一つだと思って楽しそうに笑っている。
『餅は餅屋だ。あいつの説教は凄ぇぞ』
威力は俺が体験済みだ、と言う夫の背中を見てナマエは忍び笑いをした。
この家にいると面白すぎて怒るものも怒れない。
『おーい。此処にいるぞー』
襖を開け、抑揚の無い声で通り過ぎていった家老を呼ぶと、彼はすぐさますっ飛んで来た。
『漸く見つけましたぞ!
今日という今日は勘弁なりません、爺がたっぷり絞って差し上げますからな!』
家老は不知火の手から息子を受け取ると、鼻息荒くこの場を去っていった。
ひらひらと手を振って二人を見送り、不知火は部屋の中に戻った。
『ま、何とかなんだろ』
『もう…』
歯を見せて笑う不知火に、怒るつもりで心を構えていたナマエはすっかりほだされてしまい、ついには一緒になって微笑んでいた。
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