十八
ナマエは足早に三味線へと近付いて腰を下ろした。
桐の立箱に入った三味線は、室内で一番風通しの良い所に静かに立っている。
『…』
触りはしないものの、身を乗り出してあらゆる角度から三味線を眺め、流石風間家、棹がどうのとか、糸巻がどうのとかと、ぶつぶつ言っている。
その姿を後ろから見ていたミョウジは忍び笑い、その声に気付いたナマエは急に我に返った。
『ご、ごめんなさい…!
綺麗な三味線だなって思ったら、つい…』
慌てて後ろを振り返り、立ち上がろうとしたナマエの両肩に手を添え、ミョウジは笑って首を横に振った。
『謝らないで大丈夫よ?
別に咎めてる訳じゃないんだから』
ミョウジはナマエのすぐ側に座し、箱の蓋を開けて三味線を取り出した。
そして自分の挙動をじっと見つめているナマエに向かって、両手でそれを差し出した。
『良かったら弾いてみない?』
『えっ?』
聞き返したその顔には、弾いても良いのか、と思い切りはっきりと書いてある。
ミョウジは笑みを濃くして、ナマエの前にもう一押し三味線を差し出した。
『…じゃあ、お言葉に甘えて』
座布団を寄せてきてその上に息子を寝かせると、ナマエははにかみながら三味線を受け取った。
そうして暫く手触りや重みなどを楽しむ。
見た目や触感から、この楽器が恐ろしく上等な作である事がナマエには解った。
次に受け取ったのは撥であったが、これまたかなりの高級品な象牙の丸撥であったため、ナマエは恍惚の溜め息を吐いた。
生きている内にこれ程までに優れた楽器に出会えた事を感謝して、ナマエはゆっくりと弾く姿勢をとった。
『…っ』
瞬間、彼女の纏う空気ががらりと変わる。
武士が刀を構えた時と良く似た気配だった。
達人の域にあるものは、その道具を手にすると途端に空気が変わるのだな、と思いながら、ミョウジは肌で演者からの気の昴ぶりを感じていた。
調弦を施しながらナマエはにこにこと嬉しそうにしていた。
どうしたのかとミョウジが尋ねると、ナマエは、
『この子は幸せね。
ちゃんと毎日誰かに弾かれて、きちんと手入れされてる』
と答えた。
ミョウジは目を丸くした。
ナマエの言う通り、三味線の状態を保つため、ミョウジを中心に毎日誰かがこれを弾き、そして必ず手入れをしていたのだ。
調弦だけでそれを見抜き、また、三味線を“子”と言い表すとは、実にナマエらしい言葉だった。
『…これでよし、かな。
それじゃあ何か長唄でもやらせて貰います!』
ミョウジが小さく拍手を送ると、ナマエは、すう、と息を吸い込んだ。
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