十八
『只今戻りました』
千歳が引き戸を開けながら声を張る。
彼に続いて屋内に入ろうとして、千賀は一度立ち止まった。
不思議に思った千歳が振り返ったのと同時に、少し面持ちを引き締めたものにして千賀は敷居を跨いだ。
これを越したときから、自分は土方家に嫁入りするのだ。
風間の氏を土方に改める。
それはとても大きな意味を持つ。
これからは千歳の父母が我が父我が母。
脳裏に掠めるは尊大な父の広い背であるが、千賀は瞬間伏せた目を真っ直ぐ前に向け、愛しい人に微笑んで見せた。
己は今から土方千賀であると、彼女は自分に言い聞かせた。
『おかえりなさい』
明るい声と共に奥から姿を現したのは千歳の母、千鶴。
千鶴は千賀の姿を認めると喜びで目を大きく見開き、それから柔らかく細めた。
『ようこそ、千賀ちゃん。遠いところ大変だったでしょう』
千鶴は千賀から荷物を預かろうと手を差し伸べたが、千賀は慌ててそれを断った。
それから千鶴に釣られるようにしてふわりと笑い、
『ご無沙汰致しております』
と答えた。
千鶴は笑顔で大きく一つ頷いた。
『此処では寒いから、奥の部屋へどうぞ。歳三さんも千賀ちゃんが来るのを楽しみに待ってたのよ』
千賀は目を丸くして千歳を見た。
千歳は母の言葉を肯定するように笑って頷いた。
千賀には土方が自分の来訪を楽しみに待っているということが意外だったのだ。
風間の子供達は皆あまり土方と接した記憶がない。
それは土方があまり風間とよい雰囲気では無い事も関係しているが、彼は先の戦争で足を悪くしており、それが原因で薩摩に来たのはほんの一、二回程度だからという所が大きい。
千賀が昔、蝦夷のこの家に遊びに来たときも、土方とは挨拶くらいしか会話をしていない。
別に避けているということはないのだが、何となく見えない壁を感じていた。
恐らくこちらがもっと踏み込んで話し掛けたりなどすれば土方は応じてくれたかもしれないが、こちらは客の身であるし、彼が嫌う風間の面影を色濃く持った子であるので、彼女なりの遠慮もあったのだ。
『土方様は、お会いくださるのですか…?』
思わず口から零れたその言葉は、そんな思いからだった。
『勿論!うちは息子が一人だから、子どもが増える、しかも女の子だって、歳三さん嬉しそうにしてたんだから』
奥の間への廊下を進みながら千鶴が声を弾ませる。
はあ、と返事をしてみたものの、千賀はまだ何処か騙されているような気がしていた。
嬉しそうな土方など、益々想像がつかない。
[ 112/130 ][*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]
【top】