Nameless Song(3/3)
 試験の疲れも相まって、いつの間にか深い眠りについていたらしい。彼女を帰した後の記憶はスポンと抜けていて、時計の針は夕飯時を大きく過ぎていた。空腹感はあるが、今からちゃんと作るのは億劫だ。
「チョコ、食べるか」
 安かろうが高かろうが、日本製のチョコならなんでもうまいのだ。半ば投げやりにそう言い聞かせて紙袋を閉じていたテープを剥がす。
「あ……」
 紙袋同様透明なビニール製の包みも安っぽくて、包み方がいびつだった。袋の底にココアパウダーがたまって、透明な包みから覗くチョコレートはお世辞にも球形とは言えなかった。
「手作り……」
 箱の底にはメッセージカードらしきものも入っている。開いてみると、そこには詩が書いてあった。



"すべてを終わりにしよう"
誰かが言ったその言葉に
流れ落ちる涙の音は
誰にも聞こえない

君はもう知っているね
どんなに愛し合っても
二つの世界は一つにならない
でも人は簡単に叫ぶよね
"愛は世界を救う"って

信じたいよ、だって僕には何も出来ないから
君が見つめる視線の先に僕が映りこんだら
宇宙が歪み始めてしまうから

余るほどの思い出が掌から溢れる
それらは彼との時間を語るものたち
一つを拾って神様は笑った
"どうしてこんなものが大切なの?"って

信じたいよ、だって君は何でも出来るから
君が見つめる視線の先に僕が映りこんだら
宇宙が歪み始めてしまうから

愛を歌うその歌は誰の愛を歌っているの
他人の愛と偽って自分の愛を歌う姿は
本当に本当に奇妙に見える

僕は本当の愛を知らないけれど
君の声を拾ってあげられる
誰にもその叫びが届かなくても
僕にはちゃんと聞こえている




 詩のほかに文面はなかった。僕は読みながら、さっきの彼女の涙を思い出していた。やっぱり僕は彼女にはかなわないのだと改めて知る。手が自然と携帯に伸び、迷わず彼女の番号に電話をかけた。コールに少し待たされたが、彼女はちゃんと出てくれた。
『もしもし』
「チョコも詩も、ありがとう」
『あ……うん』
 誰が悪いわけでもないのに、苦しんだ。それはきっと彼女も同じだったのだろうと願いながら、息を一つ吐く。
「言い忘れてたんだ」
『え?』
「君が好きだ」
 気取った言葉なんて言えない。そういうのは、作詞するときにでも考えればいい。
「君が好きだった。一緒に歌を作るときよりも前から」
 冷気に白く染まる彼女の吐息に、恋を見出したことを思い出す。
「歌う君はもっと好きだった。ずっと……」
 “ずっと”。僕が今まで避け続けてきた言葉を、自身が口にしていた。それに気づいて少し言葉に詰まったけれど、唾を飲み込んで怖気を追い払った。
「ずっと、そばで聞いていたいと思いながら曲を作ってきた」
 いつしか彼女の急な押しかけや断れない要求が、構ってほしいという寂しそうな素振りに映っていた。
「君のそばに、他の誰かじゃなくて自分が、居てあげたいと思ってた」
 そうやって甘えてもらえてることに、僕自身甘えてたのかもしれない。
「今から会いに行っても、いいかな」
 嗚咽しか聞こえなくなっても、僕も彼女も通話を切ることはしなかった。きっと今までで一番長い通話になっていると思う。
『遅いよ』
「え?」
『すぐ来てよ。遅いよ、バーカ』
「はは……うん、わかった。家で待ってて」
 電話を切って、準備をする。コートにマフラーに手袋。まだ口をつけていないチョコと彼女の手書きの詩が書かれたメッセージカード。さらにはノートパソコン、ヘッドホン、キーボードを大きめのリュックサックに詰め込んで、足早に部屋を飛び出した。


 家に向かう途中で彼女に出くわす。待ってろと言ってちゃんと待っていられないのがこの人だと、いつも困らされていたのに忘れていた。
「よかった、すれ違わなくて……」
「こんなときに寄り道なんかしないでしょ」
 手も繋げない、お互いがお互いを見る目がぎこちない。まだ僕たちの間では何も変わっちゃいないような気がして不安になる。
 二人並んで雪道を踏みしめ始める。話題を探すように思考を巡らせ、そういえば、と僕は恐る恐る聞いてみた。
「いくつか聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「うん」
 冷たい夜風に当てられて、彼女の頬と鼻の頭はうっすら赤く染まっていた。早く暖かいところへ連れて行ってあげたいけれど、早足になって彼女を置いていくわけにもいかない。女の子と歩く時、そこが少しもどかしい。
「じゃあまず……この間隣町でチョコを買ってるところを見たんだけど、あれは誰へのチョコ?」
「ああ、あれ? バイト先の人たちに女子全員で買おうってことになって、代表で私が買いに行ったの」
「ほんまもんの義理チョコか……」
「もしかしてチョコ渡した時にあんまり嬉しそうじゃなかったのって、それ?」
 黙って頷くと、しばらくの間会話が成り立たないほど笑われた。
「じゃ次は……彼氏は?」
「文化祭が終わった後に別れたよ」
 嗚呼。僕の願いは一体……。
(ここで「別れて欲しくなかったんだ」なんて言ったら混乱するんだろうなあ)
 当時の僕の思いは追々説明するとして、聞きたいことは全部聞いてしまおう。
「じゃあ、どうしてさっき家に来た時にそれを言ってくれなかったの」
「だって」
 彼女は申し訳なさそうに、でもいたずらっぽく微笑みながら答えた。
「『僕は君の恋人じゃない。君の恋人の代わりでもない』っていう言葉で初めて、あなたが彼氏の存在を既に知っていることを知ったの。そして、口で説明するよりカードを読んでもらった方があなたには確実に伝わると思った。もしチョコごと捨てられちゃったりしたら、それまでかなって」
 試したみたいになっちゃったね、と彼女は小さく頭を下げた。
「あれ、日本語になってた?」
 少し恥ずかしそうに聞いてくる。そのくすぐったさは僕もよくわかる。
「すごくいい詩だと思う」
「よかった、嬉しい。だけど、すごく時間かかったの。よくあんなにモコモコ曲を書くなぁって、また尊敬しちゃったよ」
「いやあ、あはは」
 彼女の素直な物言いは、僕を褒めるには十分すぎる効果を発揮する。
「どう? 歌ってみる気は」
「歌う気しかないよ。絶対書いてくれると思ってた」
 ……やれやれ、本当にこの人は。
 話しているうちに彼女のアパートに到着する。いつの間にかほぐれていた緊張が再び僕の心臓を無駄に躍動させる。おじゃまします、と呟いて入った部屋は想像通り、緑が基調のさわやかな雰囲気だった。
「ん? じゃあなんで泣いたの」
 コートを脱ぐと、彼女がハンガーを手渡してくれる。そのタイミングの良さに顔が緩みそうになる。
「もう、聞きすぎだよ!」
 そんな空気の和らぎも許すまじと彼女の否定が入った。う、と僕はうなだれる。確かにさっきから僕は質問しっぱなしだ。
「そんな風に想ってもらえてるなんて、知らなかったから……う、嬉しかったの!」
 顔を真っ赤にしながら、目をつぶってやけくそに彼女は答えてくれた。そんな姿に何故か、いびつなチョコレートが重なった。
「じゃ、今からこの詩で作るよ」
「え、耳は……」
「僕は音符を作るだけ。良いかどうかは君の判断に委ねる」
 ヘッドホンを持ってくるよう指示すると、彼女は戸惑いと期待が混ざった表情で立ち上がった。僕は僕で、機材を準備しながら自分の世界に入る。
 目だけの情報で作曲しようだなんて無謀だ。でもなんだかできるような気がして、出来たら絶対大切な曲になると確信して提案してみた。ある程度の音感は既に持っている。使いたいフレーズも既に幾つかがこのパソコンに入っている。それらの音を拾って音楽にしていく役目を、今日は彼女に任せてみよう。
「準備できたよ。私は何をすれば良い?」
 右手にはヘッドフォン。僕と色違いの、ピンクのラインが入った黒いヘッドフォンだ。
「まずはこのファイルを一通り聞いてもらえるかな……」
 スタジオは小さな僕たちの部屋。ステージもマイクもない君と僕のリサイタルは、これからも続くみたいだ。


【シリーズ「君と僕のリサイタル」完】

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