今様歌物語
〜ここにいたい〜
前編 05
次の日サークルに顔を出して、ことの全てを灯火野くんに話した。もちろん速水瞬はいない。
「確か題名は、『百の修飾より、君に届く一つの言葉を』でした。顔も確認したので間違いありませんよ」
話を聞いている間、灯火野くんは普段よりも目を大きくして、話が終わったことを悟るや否やさも面白くなさそうに笑った。
「彼のことなんか全然知らなかった。岡田さんの方がずっと高校文芸からは離れていたはずなのに……さすがとしか言えないよ」
私も同じことを思っていた。ハヤミシュンという、特別変わったところのない名前を一度聞いただけで岡田さんはその情報に行き着いてしまった。
『いやあ雨掛くんと灯火野くんに会ってから、若い人の作品を読むのに傾倒しちゃってなあ。去年から高校生の作品チェックするようになったんだよ。だから本当に、これは偶然』
このことを灯火野くんに伝えたところで「なあんだ、そんなことか」という風にはならない。もちろん、それは私もだ。
「出会いを自分のものにするって、きっとこういうことですよね。岡田さんを見習わないといけません」
少し落ち込んだような灯火野くんが脚と腕を組んで軽く背中を丸めた。
「ううん、それでもすごい事実を知っちゃったね。才能あふれる新人小説家か……一人の書き手として今すぐ彼と話がしたくなってきたよ」
この前のふつふつとした怒りの原因はいまだに分からないまま、彼の中でその炎だけが消えてしまったようだ。その、いい意味でこだわらない姿勢も彼らしいと思う。
「なにか彼とコンタクトをとる方法さえあればいいんですけど……経済学部棟まで顔を出します?」
「いや、だってあそこはだいぶ広いし、学部生の人数もただ事じゃない。それに、一年生のうちはいろんな棟を使うから経済学部棟にいけば会えるなんてもんじゃないと思う」
んー、と唸っている二人の頭から落ち着き払った声が降ってくる。
「連絡ならとれるわよ」
石川さんだ。仁王立ちされるととても、なんというか、威圧感が……。
「本当ですか。というか、どうして?」
「まあちょっとしたツテで。あなたたちの話を聞く限り、彼のことも知ってるみたいだし」
ということは、先輩も。
「私は、首を突っ込まない方がいいと思う。勧誘という行為それ自体がサークルの基本方針から少し外れるものになるし」
このサークルが、同じ趣味や考え方を持つ人間に出会える場であれば良い。それが前サークル長、岡田さんの目指していたサークルの基本方針だった。そのために来るものは拒まず、去る者は追わない……そういう運営でこのサークルは今のような和やかな空間へと成長していったのだ。
でも岡田さんは確かに言った。「『楽しければそれで良い』。俺はそこで留まって、そこで満足してしまった。楽しいかもしれない。居心地は良いかもしれない。でもそんなの、何も面白くない」と。岡田さんはサークルを変えたいと思っていた。そしてその役目は私たちに託されたんだ。
今まで通りではだめなん……。
「まあ、連絡くらいはとりましょう。二人には、彼がサークルに入るのか否かをはっきりさせてきて貰うからね」
「え、あ、はい」
裏返ったような返事をしたのは灯火野くん。それから私たちが何かものを言う前に、石川さんは携帯を操作して「これでよし。よろしくね」とだけ言って講義室を去ってしまった。
「とにかく……先輩からの沙汰を待つしかないみたいだよ」
「そ、そうですね」
会ったところで何と言えばいいんだろう? そのことに頭を巡らすまでに数分の沈黙が過ぎていった。
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