今様歌物語
〜伝えたい〜
02
「そうだ、名前教えてよ」
机に腰掛け直しながら――僕は腰を掛けながら――彼女は僕にそう尋ねた。
「僕は……」
彼女とこれから文学談義ができる。これは実際僕にとっても嬉しい話だ。少し、気取りたくもなる。
「僕は、灯火野智哉。小説なら僕の得意分野だ。鳥遊さんがこの部活に入部してくれたのなら、これから僕も楽しめそうだよ。『同志、志を同じくして大きを成せ』だ」
彼女は少し考えを巡らせるような顔をして、悔しそうに眉をひそめて言った。
「……誰の言葉?」
「……僕だけど」
それを聞いて一転、満足そうに微笑んだ彼女は「ふーん」とだけ呟いて腕を組んだ。
彼女は弁舌家だった。僕が黙っていても、話はとんとんと勝手に進んでいく。
「……確かに同感だね」
「でしょう? ただでさえ若年層の活字離れは社会問題にもなっているのに……。でもそれはまだいい方。短歌や俳句の文化はいずれ消えてしまうかもしれない!」
サウンドエフェクトのつもりか、バンッと机をたたいて彼女は主張する。活字離れに少子化。文化を伝えて残すって大変だなぁ……。
「でもまあ、君のその情熱があれば全然問題なさそうだけどね。十分若い世代だし」
それに。
「僕には関係ない」
「我叩くこの音などは伝わらじ人の想いの言わずあらんや!
一人の力はたかが知れてるのよっ!……いいわ、あなたに一つ詠んでもらおう」
彼女の言わんとすることを理解するのに少し時間を要した。
「な……僕は作れないよ。作ろうと思ったことがない」
「それが問題なのよ。どうして詠まないの? 原因は何? 原稿用紙何十枚書くよりもずっと楽なのにっっ」
なぜ、か。これはまた考えてもみなかったことだ。
一つ目は、伝えきれた気分になれないことだ。五足す七足す五足す七足す七で三十一音。小説は続けたいだけ続け、止めたい時にうまくやめられる。表現の物足りなさを感じることは、ほとんどない。自由だ、ひたすらに。
二つ目はやはり、身近さだろうか。「作ろうと思ったことがない」。逆に言えば、「小説は、書こうと思って書いた」わけだ。……なぜか?
小さいころから僕のそばにはいつも、「小説」があったからだ。
対して、短歌がありふれたものだとは、十人中十人思わないだろう。目の前の彼女だって、その点の常識を鑑みれば、例外じゃないはずだ。 以上の二点を言い含めた僕の言葉はいたって簡潔だ。
「慣れてないからね」
少ない言葉で伝えるのは、分量決まった作品コンクールの常套手段だ。
「私はね……」
今も窓の向こうで降り続く牡丹雪ほどの静けさで、彼女は語り始めた。
私はね、短歌とか俳句とかを、「難しい」とか「慣れてない」「古い」っていう言葉でひとくくりにされるのがすごく嫌なの。小説の、長さゆえの表現力とか情景の細やかさ、ストーリー性には確かに敵わないと思ってる。それは、当たり前よ。字数が足りなすぎるもの。でも、歌には詠み手と読み手の心の通い合いがあると思う。一つの歌を十人が読んだとき、十通りの歌の解釈があっていいの。詠み手に育ててもらえるのが、歌でしょう。
ここまで生き残ってきたというこの文化の力強さを、私は日本中に伝えたい。時代の流れに負けなかった文化が今、時代の若者なんかに負けてしまうなんて、そんな人たちに日本語を扱う資格も能力もないに等しいわ。
でも、そんなことをこの狭い部屋で、君一人だけに叫び散らしたって意味ない。そんなことは百も承知なのよ……。
彼女の言葉は次第に張りをなくして、ドラムの厚みにかき消された。
「一度でいいから叫んでみたい。『三十一音で伝えられる愛がある!』って」
「ダサいよ、それ……」
僕は苦笑した。でも、心底軽蔑する気は微塵も起きなかった。
僕は思い出す。僕自身の言葉を。『十七歳の誕生日が来たら、時の流れが変わる。時代の風は君の背中を押してくれるが、その風が君の歩調より速いことを忘れるな。』その言葉は稚拙で単純で、ダサいと思った。
「ダサくて結構。本気で何かに取り組んでいる人って、みんなダサいものよ。身辺のことを気にしていたら、何もできやしない」
そうだね。僕は彼女に共感する。
そして思う。誰かのやりたいことに手を貸すことなら、それが信念こそ違えど、同じ「文学」を志す彼女への助けなら。
僕にできることはないだろうか?
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