今様歌物語
〜伝えたい〜

03


 帰り際、正確には、部室を後にする際、僕は彼女にこう言った。


「僕にもできることがあるはずだ。今はまだ具体的にはわからないけど……。でも、誰かの気持ちを、どうにもならないあがきを大勢の人々に伝えるのが、僕の役目だ」


 最後まで彼女は高慢ちきだった。


「そうよ、やっとわかってくれたみたいね」


 でももう、そんなことに構いはしない。
 そうだ、僕は急に思い立った。


「そうだ、こういうのはどうかな」


 彼女は小首を傾げた。こういうのって。


「僕がため惜しからざりし志さへ今は君がためにあらんと」


 彼女は(僕がそうであったように)何が起こったかを理解できなかったようだ。彼女が僕の言葉を飲み込んで、消化するための時間――それは「一瞬」と形容するには短すぎる、「一刹那」――は緊張した。


「バイバイ」


 彼女はそう言って、部室に残った。合格だったな、僕はそれを肌で感じた。彼女の声は少し、詰まっていたみたいだ。

 僕は扉の鍵を、元の通りに閉めた。
 響き渡る打音も、弦のハンマリングも変わらない。僕は西部館を後にする。





 後日、確認したことが一つだけある。

 鍵の貸し出し帳簿はやはり僕の名前ばかりで、僕はいつも一人でここにきていた、ということだ。あの日も僕は、自分の手で鍵を借りに来て、自分の手で鍵を開け、扉の向こうの彼女に出会ったのだ。

 彼女はいったい、何処の誰だったのだろう。それは今でも謎のままだ。

 次の日も、放課後の僕の足は部室に向かった。凍死寸前の女子高校生がいたらちょっと厄介だけど、そんなことはないと確信していた。

 扉を開ければやっぱり誰もいなくて、代わりに見慣れない本が置いてあった。本は手作りで薄く、たくさんの歌が丁寧に閉じられていた。

 それから何度もこの扉を開けて入ったけど、開ける瞬間いつも僕は期待してしまう。また彼女がどこからかやってきて、「ヤッホー、元気?」とか言って僕に会いに来てくれるのではないかと。まだ、その日がやってきていないだけなのではないかと。

 僕は部室に通い続ける。部活用パソコンを目の前に、僕は彼女の心を代弁する。作者名は、連名にしても構わないだろう。僕たちの思いを、伝えるんだ。そして僕は、僕はいつの日か書きあげよう。灯火野と緋穂の、現代風歌物語という形で。


「本名は恥ずかしいな……そうだ」


 キーボードをカタタタ、と打つ。変換キーを押して、適当な漢字で確定する。


《主人公……日比野・翡翠》


 悪くない名前だ。これからもずっと、残っていてほしい。

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