また、出会うために
変わらない思い
 昼前に幕を閉じる、あっけない卒業式だった。卒業証書を壇上で手渡されるクラス代表の面々の噂話を一人ずつ思い返していたらいつの間にか終わってしまっていた、それくらいのあっけなさ。
 窓の外は、まだ冬のにおいがする。時間的にはまだずいぶん明るい。証書が丸まった筒を左の指先でくるくると回しながら静かな廊下を静かに歩く。ワイシャツにセーターだけじゃやっぱり少し寒いや。しかしただでさえ黒地で地味な学生服からは一つ残らず金ボタンが無くなってしまったのだら仕方がない。上から二つ目のボタンは一応、自分で持ってるんだけど……。
 呼び出された教室まで来て目の前の扉を右手の指先でガラリと開ける。室内に足を踏み入れると、見知った影が教室で一人立ち尽くしていた。

「卒業おめでとう、みゆきちゃん」

 見知ったも何も、彼女は俺の小学校からの幼なじみで、今日ここに俺を呼びだした張本人だ。みゆきちゃんは俺に声をかけられるまで、華やかに彩られた教室の後ろの黒板を指でなぞりながらぼうっと眺めていた。

「うん……おめでと」

 振り返って微笑むみゆきちゃんは常よりも落ち着いていて、その表情はあまり見たことのないものだった。

「校舎ともお別れだもんね、教室に挨拶でもしてた?」

 卒業式の後に個人的に呼び出されるというイベントがどんな特別な意味を持っているか、俺は分かっているつもりだ。みゆきちゃんの気持ちを知っているからそれはなおさらで、彼女の普段に似つかわしくない空気でその特別な意味は確信に変わる。

「うん。もう、ここに来ないと思うとね……」

 高校生活を振り返ってみれば、ずいぶんに人を傷つけてきたものだ。他人の気持ちの隙に入り込んで気持ちを弄んだこともあったし、それが原因で紺崎とつかみ合いになったこともあった。そんな俺に好きだと言いよってきた女子は、数えようとすれば片手では足りないくらいだったし、断ったときに涙を流してその場を立ち去った子もいた。当然、俺がその子の負った傷を癒せたわけもなく、つまりその彼女を傷つけたのは他でもなく俺ということになる。
 俺の目をじっと見つめてくるみゆきちゃんが、寂しそうに笑う。こんな風に真っ直ぐに俺と向かい合ってくれるのは、後にも先にも二人しかいないだろうと確信している。
 袖がくっと引っ張られたのを感じて、俺ははっと我に返る。考えにふけってつい黙り込んでしまった。

「ほら、これ……見て……」

 困惑と照れが混じったようなみゆきちゃんの表情から、ピッと薄い爪の先ではじかれた白い殴り書きに目を移す。

『M.Nさん、ずっと好きでした』

 はは、と薄く笑ってその文字をたどる、みゆきちゃんの指先が白く汚れる。殴り書きは次第にかすんで、ぼやけた文字になる。

「イニシャルで、実名伏せたつもりだったのかな。このクラスでイニシャルがM.Nなの、あたしだけなのに」

 恥ずかし、と短く言い切って、みゆきちゃんはその文字をひたすらなぞった。文字はチョーク独特の角々しさを失くし、今にも消えてしまいそうな霧のようにかすんでいく。

「誰が書いたんだかね。消されるところにわざわざ書くなら、直接言えばいい」

 好きでもない人からの告白に戸惑う気持ちは痛いほどよく分かる。それでみゆきちゃんは元気がないんだと思って俺は黒板消しを手に取って文字にあてがおうとした。

「思ったことなら、なんでも言えると思ってる?」

 ぴたり、俺の手が止まる。冷たく、鋭いみゆきちゃんの声。

「言っても叶わないと知ってて、どうしてそれを言葉にできるの?」

 黒く頼りない薄さのセーターを通して、みゆきちゃんの言葉の一つ一つが俺の背中に深く刺さる。

「好き……昔から、私は何も変わらないのに……。でも、こんなこと言ったって小径も変わらないんでしょう?」
「もう、やめよう。これ消しちゃうよ」

 だめだ、真っ直ぐに見つめられれば見つめられるほど、俺は目をそらしてしまいたくなる。

「だめ! 消しちゃ、だめ……」

 みゆきちゃんの手によって奪われた黒板消しから、細かな粉がぱらぱらと落ちていく。

「きっと、この人は言えなかったの。言ったって、私がいい返事をしないことを知ってたんだ、きっと。
 でも、言わないまま心に秘めて卒業することも出来なかったのよ。だから……書いて卒業することを選んだんだ」

 言い切ってしまった後で俺と目が合ってしまい、みゆきちゃんはバツの悪そうな顔を一瞬見せた。あーあ、筆跡だけじゃ誰の字か分かんないや、と黒板消しを置きながら無理やり笑っている。彼女は言い方がキツいだけで、誰よりも強くて優しい。俺なんかを好きになってしまったことをいつか後悔して、もっとみゆきちゃんを大事にしてくれる男と出会ってそいつを好きになればいい、と思う。

「ねえ、小径はもう、変わってくれないの?」

 彼女は糸が切れたように肩から力を抜いて、そよ風のような声を出した。

「あたし……もう、待つの疲れちゃったよ」

 机に腰をかけた俺の隣に腰掛ける彼女。普段の2分の1くらいに詰められた距離。

「ねえ、怒らないで……」

 左右に括られた黒く真っ直ぐに伸びる髪が身体の傾きに合わせて前に垂れ、白い肌と大きくてくっきりと開く瞳がぐっと近づく。

「あたしは許すよ……だから……許して?」

 あまりに近すぎて視界では捉えきれなくなってから、何が起ころうとしているかを俺は悟る。

 みゆきちゃんと……キス?



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