高所恐怖症かつ三半規管の弱い人間にとって、遊園地は拷問に等しい。
まずジェットコースターは論外だ。あんなものに乗る人の気が知れない。私はジュラシック・パークの最後、突然ストンと落ちるアレですら悲鳴を上げた。
乗る前、全然怖くないよ、と言っていた彼女を思い出し、隣で決めポーズをしている顔面をぶん殴りたくなった。
彼女はUSJなど星の数ほど来ているから、落下中に撮影されるカメラの位置も完全に把握している。カメラに向かって指をさす彼女。どうやらピストルの構えを取っているようだ。
その隣で、男梅のCMに出ているアイツのような苦悶の表情をしている私。
降りた後、数分間はまともに歩けなかったし、気分が落ち着いてからアルゼンチン・バックブリーカーをお見舞いした。
というのは嘘だが、実際キン肉バスターを発動してもおかしくない程私は怒っていた。
ではジェットコースター以外ならどうか。
コーヒーカップ。これは一見何の危険性もなさそうだが、彼女は中央にある円盤をデタラメに振り回してしまうクレイジーガールだ。
最高速度で回転するそれは、バターになるよりも先に私の口から虹色の何かが噴出されるのではないか、というほどに酔う。
他にも、ぐるぐる回転するブランコみたいなやつ。登るだけ登って、どーんと落ちる、ただそれだけのフリーフォール。
そういうものばかり好き好んでいる彼女には付き合いきれず、私はメリーゴーランドで一時の平穏を満喫する。
一周、また一周と外で待つ彼女へと回転してくると、その度あの子は変顔をして待ち構えている。
三周目では携帯のカメラを構えて、それを撮影してやろうと企むのだが、いつもピントが外れてしまい、一度も成功したことが無かった。
そんな彼女の唯一苦手としていたアトラクションが、お化け屋敷だった。
どれだけ高いところまで登らされようと、座席がぐるぐる回転しようと、カウントダウンを無視して豪快に射出されるドドンパに乗ろうと、全く怖がっていなかった彼女。
しかし、チープなお化けが飛び出してくるだけで、彼女は私の腕にしがみついてきた。
思い出は尽きない。消えることはきっとない。
弥生。それが彼女の名前。私はその美しい音が大好きだった。
ごきげんよう、お久しぶり。せせらぎ、さらしな。美しい言葉には美しい魂が宿るのだ。
彼女がもし「パンダ」という名前だったなら、きっと丸々と太ったベジタリアンに育っていただろう。極端な話だが、名前というのはそのくらい魔力を持っている。
「卯月」
と手を振り、笑いかける姿が、今、目の前にはっきりと映っている。
まばたきをするまでのほんの刹那、彼女は確かにそこにいる。
人は瞼の裏に幻想を作り出し、まばたきによって世界の景色を更新するまでは、起きたまま夢を見られる。
彼女が亡くなって、一年が経っていた。
彼女の遺体を見下ろした時、私はそれが天使のように見えた。
青白く渇いた肌も、うっすらと開く唇も、あれほど手入れしていたのにぱさぱさになってしまった黒髪も、全てそのまま、完成された人形のように感じた。
ああ、きっと彼女は私の知らない、遠い世界へ行ったんだ。本当に、心から、天国を信じた。その額に手を触れるまでは。
葬儀場へ送られ、読経が行われるよりも前。自宅にて納棺を行い、日取りが決まるまでは、訪れた人々は一様にその御体に触れようとする。
私はその完成された姿を壊したくなかったから、一度も手を伸ばす事がなかった。
しかし、火葬場へと送られる直前、お棺に花々を添える際、ふと前髪が乱れていることに気がついた。
生前、彼女は前髪を左右に分けていて、いつも真ん中辺りの毛がその流れに逆らって飛び出していた。俗に言うアホ毛というものだ。
いつもそれを気にしていたから、腕を動かせない弥生の代わりに、それを手直ししてあげた。その時、額に指が触れた。
私は右手を素早く引っ込めて、左手でその指先を必死に包み込んでいた。
彼女の身体は、驚くほど冷たく、硬かった。その非現実的な感触に、涙が止まらなくなった。
一時間余りの火葬を終え、粉々の灰になった姿が顕となった時には、返って心が安らいでいた。
どうして人間は、死んだというのに生者の振りをするのだろう。死んだ瞬間、半透明に変色でもしてくれれば、こんなに苦しむこともなかったのに。
そのとき、右手に残った感触。左手で包み込み、必死に拭い去ろうとした冷たさ。それは今も、一年経った今も、ずっとこびりついている。