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バレンタインデーという特別な日が、世間には存在するらしい。今年の僕にとって二月十四日は、集中講義の最終日という意味しか持っていなかった。
「一人一個ずつだよ〜」
学科の女の子が、お徳用の小さなチョコレートをみんなに配っていた。いわゆる、義理チョコだ。
ガラリと開いた講義室の扉から、ほのかに甘い香りがする。
「おっす」
「おは……うわ、何だその袋」
「ケイ、これはもしかして……」
過剰に反応する男子達の視線を集め、にやっと口の端で笑ってつまらなそうに永田が答えた。
「チョコだよ」
男子諸君からはおおっと低い歓声があがる。
「爆発しろ!」
「俺もほしー」
数人分の紙袋を両手に持ちながら、永田は四方八方から肘でどつかれている。男子には遠慮というものがない。
「いてっいてっ……欲しいなら全部やるよ」
「お前がもらったやつなんか、いらね!」
「しねっ」
力技で永田は教室の外に閉め出された。小窓からは苦笑いしながらぶらぶらと紙袋を揺らして歩き出す永田が見える。とりあえずロッカーに置いておくつもりなのだろう。
帰ってきた永田は、教室の隅で文庫を開く僕の隣にやってきた。
「ざっと確認したら本命も一個あった。困ったね」
確認しないと分からない本命チョコなんてあるのか、と僕はそちらに驚いた。
「困ったねえ」
「告白は男から、とか言うくせに世の中は女……バレンタインが先だ。矛盾にもほどがあるよな」
「一つも貰ってない奴が聞いたら殴られそうだね」
だってさぁ、という永田の反駁は教授の入室によって遮られる。僕も文庫を閉じてノートの白いページを開いた。
予鈴のない大学という空間に入ってからも、僕らは何かに縛られたように時間を過ごす。きっと人は、誰かに縛られるか誰かを縛り付けておかないと生きていけない生き物なのかもしれない。
それなら僕も、心当たりがある。
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