5.一年生夏

21

 僕と左良井さんが永田にかけた時間よりも短い時間で、志摩さんは歓喜の声を上げた。

「わああ、すごい! 分かりやすかったよ永田くん!」

「へへっ、だろ? ま、越路と真依ちゃんが言ったことそのまま言っただけだけどな。感謝なら二人にしてくれ」

「ありがとっ。やっぱ二人、頭いいねー」

「まあ、講義聞いてれば分かるわよね。ちゃんとこの問題のこと言ってたし」

 キュッとマーカーのキャップを締めながら、普段通りの調子で左良井さんが誰に目を向けることもなくそう言った。一瞬、空気が止まったのを感じた。

「そこが違うんだよなぁー。やっぱできる人ってのは言うことも違うねぇ」

「……ほ、ほんとほんと! まーちゃんは美人だし頭いいし、ほんとになにも適わないよ……」

 ほう、と肩を落とし小さくため息をついた後、中身が入れ替わったかのように志摩さんは大きな目を目一杯見開いてがたんと立ち上がった。

「ちがっ……別に勝ちたいわけじゃないよっ! あああたしごときが……めっそうもございませんっ!!」

 ブン、と空を切る音が聞こえそうなくらいの勢いで左良井さんに頭を下げる志摩さん。生真面目なのか、なんかものすごく……。

「面白い」

 気付けば、思った事が口から出てしまっていたらしい。志摩さんはそれを聞き流さなかった。

「面白くない! それに面白くったって、結局は可愛い方がお得なんだよっ! あたしこれと言って魅力も特技もないし……」

 特技と魅力。
 それは君の何を守ると言うのだろう。
 自分に自信がないと言いたいのだろうか。
 自分に自信がある人間が、人生でどんな得をするのだろうか。

「志摩さんは、かわいいよ。特にその大きい目とか」

 損得なんて裏と表の関係だ。永田を目の前にして見た目の価値を語る事はもう僕には出来ない。
 だから、魅力や特技で人に損得を分け与える神様に媚びる事はないんだ。

「そ、そんなことないよっ! あ、もうこんな時間だね! ああああたしそろそろ帰るねっ!」

 『帰るね』が『きゃえるね』になっていたことを指摘しようかと思ったけど、それは少し意地悪かなと思ってやめた。顔が真っ赤だし、きっと自分でも気がついているに違いない。
 下へ参ります、とエレベーターがアナウンスする。機械の音が次第に下へと消えていくのが分かった。

「嘘つかない主義の越路くんに褒められちゃあ、舞い上がるのも仕方ないかなー?」

「……どういうことだ」

「あ、自覚なしですか……」

 ったく、とため息をつかれた。僕の正面では左良井さんがノートと参考書を整理して帰り支度を始めている。

「私も帰るわね。いい時間だし」

 じゃあまた、と手の平を見せる左良井さんに指を振って応える永田。僕も右手を振り彼女に笑いかけると、いつものように唇だけで笑って彼女は部屋を出て行った。部屋は静かになった。
 彼女の足音が完全に聞こえなくなるのを待って、永田が口を開く。

「あのさぁ、左良井さんの前で可那子ちゃん褒めるのはまずかったんじゃね?」

 永田は左良井さんのことは「真依ちゃん」と呼ぶくせに本人がいないと「左良井さん」と呼ぶ。僕のが感染っているのかもしれないけれど。

「別に僕と左良井さんは付き合ってるわけじゃない」

「もし、だけどさ……。左良井さんがお前のこと好きだったらどうすんの? 今の聞いてすげえ傷ついたと思うぞ?」

「そういうものなのか」

「逆にだ。可那子ちゃんの嬉しそうな顔見たか? 自分が好きでもない子を惚れさせんのも罪だぜ。それともお前……可那子ちゃんのこと好きか?」

 志摩さんの事が好き?
 おっちょこちょいで生真面目で、目が大きい事しか知らないような女の子の事を、どうして好きになるんだ。

「僕は別に嫌われたいとも好かれたいとも思ってないよ。それは左良井さんに対しても志摩さんに対してもなんら変わらない」

「……」

 腑に落ちない、と永田の顔が言っている。僕は僕で、永田が言わんとする事が全く掴めない。
 ただ、こういうことが今までに一度もなかったかと言われたら……素直にそうだと頷けないのもまた事実だった。

「わかった。今後は気をつけるよ。安易に褒めたりしない」

「ほんとに分かってんのかね……ま、いっか」

 腹減ったーと永田が勢いよく椅子から立ち上がって膝を机にぶつけた、夏の近づく午後六時。


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