1.入学式

03

 入学式がひと段落した後、別日に学科別のガイダンスが予定されていた。僕の所属する学科は総勢三十五名。一クラスというにはやや少ないくらいの人数だ。どうせ今日のガイダンスだって大学側にとっては毎年のこと、形式的に終わるに違いない。予想するに、予定よりも二十分は早く終わるだろう。

 指定された講義室に入ると、もう結構な人数が待っているのが見えた。その次に、見覚えのある黒髪が目に入る。彼女は開いた扉のほうをちらと窺って、入室したのが僕だと分かった瞬間、あ、と小さく口を開いた。

(同じ学科だったのか)

 思い返せば、入学式当日に持っていた受験票さえ見ていれば、その色で彼女が同じ学科だったか否かはその時に気付けただろうに。あの時はそんなことちっとも気に留めなかった。




「コシジ、ケンタさん」

 学年担当の教授が一人一人呼名し、重要書類と思しき封筒を手渡していく。 名簿順なのはわかるけれど、自分の前後の人の名前なんて全然わからないから、おとなしく自分の名前が呼ばれるのを待ってから席を立った。

「サライ、マイさん」

 僕のすぐ後、その名前が呼ばれたとき、彼女が席を立った。

 履修に関する注意、大学生活の有意義な過ごし方……。ガイダンスは予想通り形式的に進められる。これからの大学生活も、これくらい形式的でありきたりな時間となってしまうのだろうか、とふと想像したりしながら、時間が過ぎていくのを待つ。

 予想通り、ガイダンスは一時間足らずで終了した。予定時刻より三十分も早い。教授たちがそそくさと講義室から出ると、数少ない女の子たちが部屋の中央に集まって話していた。

「一、二、三、四、五、六? あれ、一人足りない?」

 よく通る大きな声が人数を数えている。

「女子って何人だったっけ」

 ボーイッシュな見た目と口調に似合わない可愛らしい声がそう尋ねた。

「七人。確か、サライさんっていう人がいたはず」

 前髪で左目を隠す女の子が低い声ではっきりと断言すると、

「もう帰っちゃったんだ……早いね」

 言葉尻の消えそうな声で呟いた女の子は、長身を引き立てるようなロングスカートを穿いていた。

 そんなこんなで口々にさまざまなことを呟きながらも、女の子たちは各々自己紹介をし始めた。名前、出身地、高校時代に所属していた部活動……。六人がそれぞれの話をするだけで、会話は盛り上がりを見せ始める。

(これじゃあ、帰りたくもなるね……)

 僕は講義室を後にする。口元を少し、緩めながら。





 大学から駅までの道は一直線に長く、考え事をするには十分すぎる。電車に乗り込んで座席に着いてしまえば忽ち眠りこけてしまうから、僕はこの道を電車に間に合うくらいのペースでゆっくりと歩いて今日までの様々なことを反復していた。

 入学式の控室で彼女が僕に発した言葉。

『全部嘘だったらな、なんてこと、あるよね』

 これが僕の心を熱くしてやまない。全部嘘だったらいいのに、か。彼女はすべてを嘘にして、どんな真実を求めるのだろう。あんな話、どうして僕にしたのだろう。あの席に僕以外の人間が座っていたら、彼女はその人に同じ話をしただろうか。

(いや、それはないかな)

 僕は小さく頭を振る。彼女が僕のほうに目を向けたのは、僕が彼女を穴の開くほど見つめていたからだ。それがなければ彼女の視線はずっと時とともにあの辺を漂っていたに違いない。
 ……あの日のことを思い出しながら歩いていたせいか、僕の視線も定まらないままだったみたいだ。

「同じ学科だったんだね、コシジくん」

 突然の呼びかけに戸惑いながらも、記憶をたどって言葉を紡ぐ。

「ええっと……サライさん、だっけ?」
「正解」

 今さっきまで頭の中で思い浮かべていた顔が口元だけでスッと笑う。

「それにしてもコシジなんて珍しい名前だね。私、初めて聞いた」
「えっと、山を越えるの『越』に道路の『路』って書いて『越路』。で、謙虚の『謙』に太いで『謙太』。確かそういう地名があったはずだよ。

 そういうサライさんこそ、珍しい名前じゃない?」

「まあね、『左』に『良』い『井』戸で『左良井』。字面だけ見て正しく読めた人に会ったことはないな。ちなみにマイは『真』実に『依』存するで、『真依』」

 そう言って苦笑いを一つ。そのまま左良井さんは僕の隣を歩く。

「左良井さんはこの辺で一人暮らし?」
「ええ、少し向こうのアパートで一人暮らし。地元が遠いからね」

 告げられた県名は、こちら側から見てフォッサマグナの向こう側だった。確かに近くはない。

「越路くんは実家? この先駅よね」
「いや、僕も一人暮らしだよ。電車で四十分くらいかな」
「近くに住めば良いのに。朝早起きしなきゃで大変じゃない?」
「僕はむしろ夜更かしのほうが苦手だからちょうどいいんだ」

 他愛ない話をこの先何分も繰り広げていられるほど、僕は話上手でもなければ聞き上手でもない。それは彼女も一緒のようで、もしどちらかでもそうでなかったら、入学式の日はもう少しマシな話ができたと思う。

「今日も、つまんなかったね」

 彼女は涼しい顔で唐突に言った。


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