第2話 


(そこは忘れ去られた沈黙の凍土)
(待ち人を望む 始まりの場所)

(僕の名前は 何だっただろう?)




 熱にうかされているときというのは、他愛もないことばかり考えてしまう。……この世界の構造はどうなっているんだろうとか、あの薄い空の向こうはやはり宇宙なのかとか。
 若い女性が、いくら行き倒れに近いとはいえ男を家に泊まらせるのはどうなんだろうとか。案外こっちはそういうところはフランクなんだろうか……。と言うか、僕がベッドを占領していてリーレイはどこで寝ているんだろう……。
 つらつらと、朦朧とする頭のなかに浮かんでは消え浮かんでは消え。
 空を目指すシャボン玉のように、簡単に割れて消えていく――。
 ……東海林……、……あいつは、僕がいなくなって、どうしてるかな……。




 この国の名は、アルカというらしい。女王様がいるみたいだから、王国なんだろう。三方は海に面していて、隣国に接しているのは北――すなわちこの辺り――だそうだ。

「この辺は作物も育ちにくいし、大きな街もないからあまり人が住まなくてね。わたしもほとんど自給自足なの」

 窓から見える景色に目を遣りながらリーレイは話し始めた。
 僕は相変わらずベッドのうえで、上半身だけを起こして彼女の話を聞いている。もうほとんど元気だったけど、まだ病人扱いされていた。

「葉月、君が出てきた扉は通称"北の扉"と呼ばれていて、その昔王女様が身を投げたとか、異界へ通じているとか、いろんな逸話があるけれど、実際どうなのかは誰も判らないのよ」

 あの某ネコ型ロボットのアレか。少なくとも異界には通じている。

「……確かめたりしないの?」
「だって開かないんだもの」
「え?」

 思わず訊き返す。
 リーレイは膝のうえで手を握り、力説した。

「あれはね、あの扉はね、ずーっと開かないの。……あれが開くときは、この国に誰かが召喚されたとき、なのよ」

 彼女の深緑の瞳が僕を射抜く。

「……この国には、ひそやかに伝えられるひとつのお伽話があるの。――王家にふたりの王女が生まれたとき、守護者は目醒める。守護者は未来を掲げ、異界より召喚されたし者が未来を選びとる。それが、……アースマスター」

 アースマスター。世界を統べる者。

「そして、わたしがその守護者のひとり」

 彼女は微笑む。

「大地に属する守護者(ガーディアン)。ガーディアンコード、"クロトクリン"」
「クロト……クリン?」

 呟く僕を、期待をこめた眼差しでリーレイは見つめた。

「そう。そして、違う世界から来たっていう君は、アースマスターに違いないの」

 ――違う。
 ちがうちがう。
 ……僕は、そんなものになれる人間じゃない。
 心のなかで僕は必死にかぶりを振る。

「……そんなの……お伽話だって、」

 そう。お伽話だって、彼女自身が言ったじゃないか。

「でもわたしは、守護者は現実にここにいるのよ」

 きっぱりとした口調で、リーレイは言った。
 僕はまだ戸惑っている。
 彼女は現実を見ている……。僕は、僕にとっての現実は、一体どこだろう?
 くらくらと、目眩がしてきた。

「――大丈夫? まだ本調子じゃないみたい」
「いえ……。大丈夫、です」

 僕を気遣うリーレイの手が肩に触れた。僕となんら変わりのないその掌。温かいもの。
 この世界が、彼女にとっての現実――。
 ふと僕は違和感を覚えた。
 さっきの話……、どこまでが本当でどこまでがお伽話なのかは判らないけれど、現にこうして守護者が存在するのならば、そのアースマスターとやらも実在するんだろう。
 実際、あの薄い扉は僕がいた世界に通じているのだし。つまり召喚のくだりまでは起こり得ることだとして。

「……アースマスターが……未来を選ぶ?」

 なら。
 この国の人達は――

「違う世界から来た人に、自分達の未来を決められていいんですか?」

 僕の言葉に、リーレイは目を見開く。
 そう、そして……。

「それなら……、守護者は一体なんの為にいるんだろう……」

 隣に座るリーレイが身を強張らせるのがわかった。
 彼女も気付いているのだ。このお伽話の矛盾――というか、蛇足に。
 僕は下を向き、意味もなく自分の手を眺めながら考えを進める。
 守護者が掲げる未来とは、なんだろう? いくら掲げても、自分では選べないのに……。そもそも「何を」守護する者なのだろうか。

「――わたしは」

 凜とした声が響いて、はっと顔を上げる。

「わたしは、守護者って――護りたいものを護る為にいるんだと思うの」

 そう言ったリーレイはとても毅然としていて、正直ちょっと目を奪われた。
 なんとなく僕は目を逸らして、

「あなたが護りたいものって?」

 訊いたら、彼女は首を傾けてこう答えた。

「妹、かな」
「妹……いるの?」
「そう! まだ十二歳なんだけどね、すっごく可愛いの!」

 さっきまでの毅然としたそぶりは消え失せて、まるで背中に花でも背負ってるみたいに輝かしい表情になった。……なんて言うか、外見に似合わずころころ雰囲気の変わる人だ。

「ここにはいない?」
「うん……ちょっと、一緒に住めない理由があって」

 言いにくいことのようだったので、僕もそれ以上は聞かなかった。
 でも、と彼女が手を叩く。

「きっともうすぐ一緒に暮らせるわ。だって葉月がいるもの」
「……………………」

 向けられる満面の笑みに、僕はどう応えていいのか判らない。思わず溜め息がこぼれる。

「……僕、アースマスターなんかじゃありませんよ」
「アースマスターよ」
「違います」
「絶対そうよ」
「絶対違います」
「………………」
「………………」

 お互いに主張を崩さないので、自然と睨み合うかたちになる。
 ……この人もしつこい。
 がばっと、勢いよくリーレイが立ち上がった。

「――じゃあ、わたしが証明してみせるから! 君がアースマスターだってこと」
「……はあ」

 自分でもこれ以上ないと思うくらい気のない返事だった。それが彼女のお気に召さなかったらしい。一際大きい声で、

「絶っ対、証明してみせるもん!」

 ……あなたは子供ですか。

「じゃ、僕は、違うってことを証明しないと駄目ですね」
「いいわよ、対決ね! 負けないんだから!」

 ……本当にこの人僕より年上なんだろうか。僕は何度目かわからない溜め息をついて、窓の外を眺めた。
 ――今日も外には薄っぺらい空が広がっている。




「そこになってる木の実も食べられるのよ」

 そう言って、リーレイが指差した先にはまばらに葉が残っている茂み。見たところ実なんてどこにもないように思える。
 僕はでくのぼうのように突っ立ったまま、実を探して視線だけをさまよわせていた。

「下に落ちてるのよ。黄色くて、これくらい小さいの」

 後ろから顔だけ覗かせた彼女が、指でだいたいの大きさを形作っている。

「……銀杏……」
「え? 何か言った? 葉月」
「……いえ何も」

 長い亜麻色の髪を揺らして首を傾げる彼女に素っ気なく答えて、僕は件の木の実を探してしゃがみこんだ。地面に積もった落ち葉と霜柱が、冬独特のしゃりしゃりした音を鳴らす。……正確には、冬ではないのだろうけど、体感する空気は僕の知っている冬によく似ていた。
 茂みの奥を覗きこんでみるが、それらしきものは見当たらない。試しに、地面をはたくように落ち葉をどかしてみると、……それはあった。半ば埋もれているけれど、確かに黄色い。そして小さい。
 ……やっぱり銀杏にそっくりだった。これで、銀杏特有のあの臭いまであったらどうしようかと思いながら恐る恐るつまんでみたら、意外と固くて、そのうえ無臭だった。見た目はまるっきり銀杏なのに。
 僕はその銀杏もどきを、別の手に持っていた籠のなかにぽとりと落とした。

 ここはリーレイの家からしばらく歩いた森のなか。
 そして僕たちは、食糧の調達に来ている。食糧……つまり、木の実の。
 僕がこの世界に来てから数日経ったけれど、今日も空は薄い薄い水色で、雲になりそこねたような形の雲がぺらりと伸びているばかり。……もしかして雨とか雪とかないんだろうか。まさかね。それともそういう気候なのか、風も滅多に吹かない。ただ静かに、毎日水色の空が天を覆っている。
 木々がざわめく音も、鳥が鳴く音も聞こえない、耳鳴りがするほど静謐な空間……。
 顔を上げて周りを見渡すと、リーレイは少し離れた場所でなにやら茂みを掻き分けていた。
 その後ろ姿をぼうっと眺めながら、僕は彼女とした賭けのことを思い出す。
 リーレイは、僕をアースマスターという名の、言わば救世主だと言い張っている。僕はと言えば、絶対にそんなものではないと自分で確信している。

 ……そう。僕はただ迷い込んだだけ。「神隠し」という、迷い子に――。
 そう考えていたら、ふと何かひっかかるものを覚えた。
 ――神隠し。そう、うちの学校はよく神隠しに遭う生徒がいるという噂があって――。
 つまり、僕に起こった現象こそが神隠しと呼んでいいのだろうか。だとすると、神隠しとは、……違う世界に迷い込むこと……? じゃあ、今まで神隠しに遭ったと言われていた生徒はみんな、この世界に来ていた、っていうことに……なる?
 突然、僕の脳裏に唯ひとりの友人の姿が浮かぶ。
 ――東海林。
 確か、高一だったときのことだ。あいつは……、神隠しに、遭ってなかったっけ? その頃は全然仲良くなんてなかったから、だいぶうろ覚えだけれど。
 東海林――おまえは……

「手が止まってるわよー!」

 背後から響いた声に、思わず僕は籠を取り落としそうになった。振り向けば、両手を腰に添えて仁王立ちのような格好をしたリーレイの姿。
 彼女はお辞儀の要領で身をかがめ、しゃがんだままの僕に目線を合わせると、

「木の実全然取れてないじゃない! ぼーっとしてちゃだめよ、葉月」
「あ……ご、ごめん」

 深緑の瞳に射抜かれて、僕はたじろいでしまう。

「ところで……」

 立ち上がってリーレイに向き直った。

「なあに?」

 僕よりいくらか背が低い彼女を見つめて、僕は最近思っていたことを口にした。

「葉月、って呼ぶの、止めてもらえませんか」

 リーレイは眉根を寄せて、

「どうして? 君の名前なんでしょ?」
「そうですけど」
「何故いけないの?」
「呼ばれ慣れてないもので。あまり……」

 はっきり言って、名前で呼ばれると無性にむず痒い。出来るなら、返事をしたくないくらいだ。
 リーレイは手にあごを乗せてしばし考え、ちらりと僕を見た。

「じゃあなんて呼んだらいいの?」
「篁、でいいです」
「………………」

 目の前のリーレイの表情はなんだか不満げだ。名字がお気に召さないのかな。……あだ名とか付けられたらとりあえず断ろう。
 僕がそんな誓いを心に立てていると、いきなり両手を掴まれた。

「――!?」
「……慣れてないんだったら、慣れればいいのよ」
「……はあ。そうかなあ……」
「そうよ」

 言い切るリーレイの瞳は、やたらきらきらしていた。

「私、これからいっぱい葉月の名前呼ぶわ。だから慣れていきましょ」
「………………」

 慣れとかそういう以前に、自分の名前が嫌いなのだとは、嬉しそうににこにこ笑うリーレイを前に、結局伝えることはできなかった。僕は当分、むず痒さを我慢しなくちゃならないらしい。ああ、面倒くさい……。
 彼女の両手に包まれたままの自分の両手を視界に入れて、僕は大きな溜め息をひとつついた。

「……手、離してくれないと木の実採集が出来ません」
「あっ、ごめんなさい」

 リーレイはすぐにぱっと手を離した。
 自由になった両手を僕は意味もなく揉んで、また小さく溜め息を吐く。仕方なく再び木の実採集に戻ろうとしたその時。
 突然、誰かの視線を感じた。
 僕はなるべく気付かれないように辺りを見回す。
 リーレイ……ではない。もっと無機質で、硬い視線だった。ここには僕とリーレイしかいないはずなのに……。
 今度は樹の上まで、目をこらして視線の主を捜してみる。

「どうしたの?」

 リーレイが訝しげに問うてくるが、僕は返事をしない。
 ふと、視界の隅に、森にはそぐわない色が映った。 針葉樹の緑のなかに混じって、……金色が、見える。
 金色……? いや、あれは、髪……金髪だ。長い金髪が、木の枝の間から見え隠れしている。

「……葉月?」

 リーレイに尋ねようと僅かに視線を逸らした瞬間、その金色は揺らいで消えた。
 あれは……一体?

「ねぇ。どうかしたの?」

 リーレイが心配そうに僕を見つめていた。
 僕はかぶりを振って、

「いえ。……なんでもありません」
「本当に?」
「……ええ」
「嘘じゃない?」
「しつこいですよ」

 そこまで言ってやっと彼女は信用したみたいだった。安心したように微笑んで、僕の袖を引っ張る。

「じゃあ、木の実集めの続き、やりましょ!」

 その言葉に僕は溜め息混じりに苦笑いして、彼女に引っ張られるままに森のなかをついていくのだった。
 でも……あの視線は本当に、何だったんだろう……?



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