第1話 


(そぼ降る春雨に身を委ねて)
(さあ神隠しの向こう側へ)



 目が覚めても、そこはやっぱり知らない場所の知らない部屋だった。僕はベッドのようなものに寝かされていて、木目のあらわな天井が視界に映る。
 古典的だとは思いつつも、自分の頬をおもいっきりつねってみる。

「痛い……」

 確かに痛かった。でも痛覚があったら夢じゃないなんて誰が言い出したんだろう。
 とてつもなくリアルな夢なのか。
 ……夢のような現実なのか。
 少し、荘子の気分がわかる気がした。

”周の夢に胡蝶となるか
 胡蝶の夢に周となるか”

 僕は思う。
 僕がそこに在る限り、僕にとっては現実だ。
 だから、今ここでだるさのあまりに頭痛を覚える僕も……夢じゃないんだろう。
 どこからか歌が聞こえた。
 そういえば、彼女はどこだろう?
 起きて探してみてもよかったけれど、なにせ本当にだるかったし、彼女が僕になにかするとしても放っておくことはないと思ったので、そのまま寝ていることにした。もしかしたら耳に入るこの歌は、彼女が包丁でも研ぎながら舌なめずり口ずさんでいるのかもしれないけれど、まぁそのときはそのときに考えよう。
 それにしても。
 神隠しは本当にあったわけだ……。
 まさか本気で違う世界に行けるとは思ってなかっただけに、不思議な感慨めいたものが胸の裡に湧く。

「は……、は、ははっ」

 快哉を叫びたい気分だった。
 さよなら。
 さよなら。
 ああ、この感情をなんて言えばいいのだろう。

「どうかしたの?」

 見れば、何時の間に来たのかリーレイがいた。小首を傾げて少し驚いているようだ。

「……何故?」

 と、僕は訊いた。
 彼女は答えた。

「だって、あなた泣いているから」

 そうして、枕元に置いてあった布で、僕の頬をぬぐった。
 言われてみれば、こころなしか濡れている。
 そのままリーレイは手近な椅子に腰掛け、おもむろに口を開いた。

「わたし、あなたを待ってたのよ。ずぅっと、ずぅっと」
「僕……を?」
「そう。御伽噺であったみたいに、あの扉が開くのを。ここじゃない、どこかから来る人を。……その人はね、この国を救ってくれるの。わたしの未来を変えてくれるの。だから、待ってた」

 リーレイは微笑む。
 彼女には、まるで僕が救世主かなにかに見えているようだ。
 ……救世主だって。確かにその手の話は多いけれど、こうまで予想どおりだと興ざめしてしまう。
 それに、僕は自分の性格をちゃんと判っているつもりだ。どう間違えたって、そんなものになりはしない。
 東海林あたりなら、僕なんかよりよっぽどヒーローに向いていそう。……うん、ハマり役だ。
 唯一の友人のことを思い出し、その想像に僕は笑ってしまう。

「おかしいかしら?」

 自分のことを笑われたのかと、リーレイが不安げに問う。

「いえ。……ちょっと、いろいろ思い出しただけで」

 彼女は俯き、

「でも、来る人がどう感じるかなんて考えてなかったのよね! 君はやっぱり違う世界から来たんでしょう? こんなとこに来て、悲しい? がっかり? ……戻りたいかな。だから、泣いてた?」

 少ししょんぼりした顔で、僕の目を覗きこむ。

「……いいえ。そうじゃないです。違いますよ」

 はっきりと否定の言葉を口にする。
 リーレイの台詞は的外れだ。むしろ僕は半ば望んでここに来たのだから。
 彼女を安心させるために、僕は無理矢理笑顔を作る。

「僕は、この世界に来たかったんです」

 ……ただ、貴女の望む、救世主とは違うけれど。
 心のなかで続いたその言葉は、今は飲み込むことにした。
 きっとリーレイもそのうち気付く。
 僕が救世主なんて大層な人間じゃないことに。



 始業の鐘が鳴る。
 少年は自分の席に着き、そしていつもなら友人が座っているはずの場所を見遣った。

「知ってるー? 篁、昨日から行方不明なんだってー」
「それって家出? それとも……」
「もしかして、朝帰りとかー!」
「まっさかぁー。全然女っ気なかったじゃん」

 クラスメイトの笑い声が響く。
 少年は、携帯を開いてなにかを確かめているようだ。
 不意に一人の男子生徒が少年に話を振った。

「東海林って、篁と仲良かったよな。マジであいつどうしちゃったの?」

 少年――東海林(しょうじ) 篤季(あつき)は携帯を閉じ、

「噂の神隠しに遭ったんじゃねえの」

 投げやりに言葉を返す。
 周りの生徒がどよめきたつが、ちょうど担任の教師が教室に入ってきたので一斉に静まった。
 担任は、篁の欠席を「病欠」と告げた。生徒達は顔を見合わせ、ひそひそと囁き合う。

「お前がいなくなったときもこんな感じだったんだぜ、東海林」

 東海林の後ろの席の男子が小声で話しかけた。

「東海林のも、アレ神隠しだったんだろ?」
「黙秘権」
「ちぇっ。ケチなやつー。どうせ篁もそのうち帰ってくるって」
「そうだな」

 言って、東海林は改めて友人のいない席を眺め、ぽつりと呟いた。

「――次に会えるのはお前だけ、か」



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