43 女鬼 -1
まずは斎藤さん。それから千鶴ちゃんと皆にも。私の身の上話を聞いて貰おう。
どこまで信じて貰えるか分からないけど。私は私。それは今までもこれからも変わらない。
「おかえりなさい」
「ああ、ただいま」
部屋に戻ってきた斎藤さんを、いつもの挨拶といつもの笑顔で迎える。
眠そうなら後にしようと思ってたけど、斎藤さんの背筋はいつも通りピンとしてて、疲れを微塵も感じさせなかった。
「明日の夕方まで屯所で待機だそうだ。御典医の松本先生が屯所に立ち寄って、隊士の健康診断を行ってくれるらしい。
雪村とお前も診て貰えるよう、局長から内々に頼んで下さったから、そのつもりでいてくれ」
「健康診断ね。平隊士さん達、去年で懲りたかと思ったのに、井戸水ガブガブ飲んでは厠に駆け込んでますもんね。
あんなにしつこく、湯冷まししか飲んじゃダメって言ったのに」
「あれから随分新しい奴らが増えたからな。注意も行き渡らん。いい機会だ、ありがたい」
「松本先生って千鶴ちゃんのお父さんと知り合いなんですよね? 喜ぶだろうなぁ、千鶴ちゃん。
……あの、斎藤さん。今、話したい事があるんです。聞いてもらえますか?」
「聞いていいのか?無理そうなら、しばらく待つつもりでいたが……」
「大丈夫です。今言わないとずっと言えない気がするの。長いこと悩んだけど、もう迷わないって決めたから」
「ならば先に言っておこう。何を聞いても気持ちは変わらん。お前を好いている。だから安心して話すといい」
「フフフ、斎藤さんの言葉なら信じられる。だって嘘つかないもの。それじゃあまず、一番大きな秘密から。」
本当は動悸が激しくて、手は汗で濡れていた。緊張で唇が震えるのを抑えるように、大きく深呼吸して、話し始める。
「私…………私は鬼なんです。御伽噺じゃなく、本物の鬼。違いは、見た目では分からないんですけど。
あ、ちょっと待って下さいね。これで分かるかなぁ? あの、よく見てて下さいね」
裁縫箱から小さな鋏を取り出し、刃の部分で少しだけ指先を傷つけた。プクリと血が玉になり、それを拭き取る。
覗き込む斎藤さんの目は大きく見開かれた。小さな傷は瞬く間に塞がり、線となり、消えてなくなった。
彼は私が話の続きに入るまで、ジッと指先を凝視していた。
「傷がね、物凄く早く治るんです。ありえないくらい。これが鬼の一番分かりやすい特徴です。
他には……本当の力を出すと、髪と目の色が明るくなります。私の場合は、髪は金茶色で目は琥珀色。
赤ちゃんの頃はしょっちゅう変わって、親も隠すのに苦労したみたい。今は余程の事がないと変わらないかな。
二つ目の特徴は、すごく体が軽いんです。人には真似出来ない速さで走ったり跳んだり……。
力は左程強くないけど、普通の女の子よりは強い方だと思います。あ、でも勿論、鍛えた男性には敵いません。
去年池田屋の二階で会ったでしょう? あの時も実は、原田さんの肩を借りて二階に跳んだんです。
それに、刀の動きも見切れてます。……本当にごめんなさい、騙してて。稽古の時は加減してました。
……気持ち悪い……ですか? あの……斎藤さんなら、嫌わないで……くれるかなって」
緊張で少し早口になってしまった。最後は少し声が震えて、喉が詰まって、途切れがちに伝えた。
斎藤さんの顔を見るのが怖かった。
墨色の着物をジッと見たまま、返事を待つ。折角明るく話そうと頑張ったのに、これじゃあ台無しだ。
「顔を上げろ。やましい事でないなら俯かなくていい。いや、隠していたのが後ろめたいのは分かるが。
俺は左利きだ。へそは一つで、手の指は両方五本ずつある。それを聞いて何か思うか? 思わんだろう?
自分の体の特徴を卑下するな。だが……やっと合点がいった。だから肌が綺麗なんだな。
い、いや……おかしな意味ではない。手だ! 手荒れがないのが不思議だっただけだ。
あ、いや、手だけが綺麗という意味でもない。お前は全部綺麗だ。その、全部見た訳ではないが……綺麗だ」
斎藤さんは顔を赤くしながらも、真面目に素朴に言葉を紡いでくれた。本当に、なんて人だろう。
嬉しくなって、頬の赤らむのを抑えられない。やっぱり斎藤さんは、斎藤さんだ。
少し動悸が治まるのを待って、斎藤さんの手を見た。剣で鍛えられた筋ばった手。大好きな温かい手。
斎藤さんは私の視線に気付き、少し自嘲するように笑った。
「俺の手は……仕事を恥じるつもりはないが汚れている。人の命を奪う、人斬りの手だ。
だから、お前に触れるのが怖い時もある。お前まで汚してしまわないか不安になる。
意外と女々しいところもあるんだ。口には出さなかったが……色々悩んだ。お前を好いていいのか、とな」
凄く意外だった。そんな風に思っていたなんて、そんな様子は微塵も感じられなかったから。
でも……それでも私を好きになってくれたんだ。悩みながらも触れてくれた。――嬉しい。
私は、斎藤さんの手に自分の手を重ねた。斎藤さんの手は温かかった。
「大好きな手です。斎藤さんの手に触れられると、安心して幸せな気持ちになれるの。
緊張したり嬉しくなったり……守ってもらえてるって、実感出来ます。だから好き。汚れてなんてない。
人の命を奪う事は大きな重荷だと思うけど、斎藤さんが背負うなら、私も一緒に背負いたい。
だから……繋いで離さないで下さい」
「ああ、離さん。もう離すのは無理だ」
「フフ、嬉しい! ありがとう、こんな私を受け入れてくれて。本当に……本当にありがとう」
「おあいこだ、お前も俺を受け入れているだろう。ところで、鬼というのは……お前の親もか?」
「はい、遺伝するんです。うちは鬼の家系なんです。両親ともに一人っ子だったんで、今は私だけですけど。
あっ、その話もしないと! えっと……鬼にも幾つか大きな家があって、頭領って呼ばれてるんです」
私は、北の月宮、東の雪村、西の風間、南の南雲、そして中枢である京の八瀬が頭領であることを説明した。
良く知る苗字が幾つも出たが、斎藤さんはただ頷いて話を聞いてくれた。
東と北は失われ、今は西と京が強いようだと話す。これはお千の受け売りだけど。
平成で、月宮の血を継ぐのは私自身が最後だった。雪村の名はあちらで聞かなかった。
「血筋のよい家同士は、子供に遺伝させる為によく姻戚になります。私にも……平成で縁談があったの。
前に話したでしょ? 女だから望まれたって。うちの親はずっとそういう事から私を守ってくれてました。
でもその両親も亡くなって、不安だった。いつかどこかに連れて行かれそうで、夜寝るのが怖かった。
数珠で時を渡る決心をした理由の一つだったんです。会った事もなくて好きでもない人とそういうのは……ね。
あ、あの、まだちょっと怖いですけど……いつか誰かと、なら……斎藤さんが……いいです」
顔から火が出そうだった。でも、血筋とか縁談とかの話になると、これは避けて通れないから。
自分の気持ちを大事にしようって決めたから、しがらみに捉われないって決心したから、伝えたかった。
それに、斎藤さんも言ってたし。全部……委ねて欲しいって。
ああ、でもやっぱり恥ずかしい! どうしよう、顔見れないよ!!
居た堪れなくなって重ねていた手を離そうとしたら、斎藤さんにグッと抱き寄せられた。
重ねた手はそのままに、反対の手が背中に回り、顔を胸に押し付けられる。
斎藤さんの心臓は…………驚くほど大きく速く脈打っていた。
「あまり煽るな。大事にすると誓った思いがぐらつく。だが……今の言葉は……受け取ったからな。
撤回はさせん、必ず俺が貰う」
その言葉に、更に頬が熱くなる。死にそうなくらい恥ずかしいのに嬉しくて、高鳴る鼓動を聞きながら一度だけ頷いた。
しばらくしてそっと身を起こすと、お互いに顔を赤らめたまま、どちらからともなくクスクスと笑った。
肩の力が抜けて緊張もどこかへ消え去り、幸せだけが残った。
後は斎藤さんからの質問に答えるだけ。でももうほとんど言ってしまったから、気は楽だった。
「ならば、風間とは種族が同じだが、政治的な意味での繋がりはない、という事だな? よかった。安心した。
お前の話だと雪村も鬼、という事になるが、あいつは……どうもそう思えんな」
「うん、千鶴ちゃんは……人として育てられたから、何も知らないの。力の使い方も知らないし、
鬼って言われて今頃きっと動揺してる。なのにまだ話してないのは、安心させてあげられないからなの。
だって、いきなりあなたは人じゃないって言われたら、悲しいでしょ? 自分を否定されたみたいで。
どう説明したら苦しませずに済むか、分からないんです」
「……難しいな。だが風間達はお前と雪村の二人を連れて行こうとしただろう?
今後の為にも、話しておいてやった方がいい。気の毒だが、避けて通るわけにはいくまい。
それと、盟約とは何だ? 鬼特有の約束事でもあるのか?」
「ええ、これは鬼の矜持なんですけど……。互助の精神というか。仲間が困れば助ける、という約束です。
他家の鬼が窮地に陥れば救いに行き、助けを乞えば手を差し伸べて貰える、そういう決まり事です。
たぶん、あちらにしてみれば、人に囚われている女鬼二人を保護しようっていう申し出だったんだと思います。
誤解は解けたと思いたいけど……信じてるかは分からない。鬼が人に利用されるのはよくある事だから。
野心の為に力を求められたり、逆に危険だと殺されたり。……逃げる事が多いから、盟約が出来たんです」
「なるほど。それは……同じ人として心苦しいな。いつの世も、金と権力に弱い人間は絶えんからな。
話は大体分かった。だがこれは、俺一人の胸に留めておくには事が大き過ぎる。
雪村は勿論だが、他に副長にも話しておいた方がいい。あいつらはまた来ると言っていただろう?
……大丈夫、お前の力を利用するようなお方ではない。誰よりも武士としての矜持を持ち合わせている人だ。
それに、あってはならんが万一の時は俺が守る。話してもいいか?」
「ええ、斎藤さんから言って貰えると助かります。私よりずっと説明が上手だし。元々、斎藤さんに話した後は
幹部の皆にも伝えた方がいいだろうなって思ってたから。線を引かれそうで怖いけど、皆を信じたいの。
でも、千鶴ちゃんには……私から話す方がいいかな、やっぱり。不安とか……全部分かるから。
最後にもう一度だけ聞いていいですか? あの……私の事、それでもまだ好き、ですか?」
「ぷっ! 何を言うかと思えば……。いや、笑ってすまん、心配もするだろうな、内容が内容だ。
だが、最初に言った通りだ。気持ちは変わらん、お前が……好きだ。月宮千恵を好いている」
斎藤さんは優しく笑んで私の首元に手を添えると、そっと囁いた。
「目を閉じろ。どれほど好きか教えてやる」
私は眦に涙を溜めて目を閉じた。心が震えるほど嬉しかった。
熱い唇は激しく動き、舌は私の体に甘い痺れを走らせる。誘われるまま求められるまま、口付けに翻弄された。
頬を伝った涙が自然に乾くまで続いたキスは、赤くなった唇に余韻を残したまま、私の心に斎藤さんの想いを刻んだ。
部屋を出て行こうとする斎藤さんが、思いついたように立ち止まり、振り返って尋ねた。
「ああ、ところで、お前はありえんが、男の鬼は人を食らうのか?」
「へ?……クスクス、あるわけないじゃないですか! あれは作り話です! もう、斎藤さんったら。
あ、でも欧州の吸血鬼なら血は飲むか。あれも架空の生き物なのか、それとも本当は私達みたいにいるのか、
出会った事がないんで知りませんけど。日本の鬼は男だろうが女だろうが、とにかく人は食べません! 風間達もね」
「吸血鬼、というのもいるのか、世界は広いな。だが、おかしな事を聞いて悪かった。人の言い伝えはいい加減だな。
副長に話した後、幹部を招集するから少々長くかかるだろう。雪村にはお前から話してやれ。
不安は消えたな? 想いがまだ伝わらんようなら、もう一度口付けるまでだ。いや、伝わっていてもそうするか」
「斎藤さん!」
斎藤さんは、悪戯っぽい笑みをよこして襖を閉めた。
彼の冷静沈着な表面と内にある激しい情熱のギャップに、頭がクラクラする。
キスであんなだったら――
その先を想像しては赤くなったり照れたり。丸ごと受け止めてくれた恋人のキスの、余韻や予感を楽しんだ。
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