42 警護 -2
斎藤は休憩から戻らない千恵が気掛かりだった。だが持ち場から勝手に離れられず、懸念は募るばかりだ。
すると、原田が走ってこちらに向かってきた。何かあったのだろうか? 千恵の事か?
「おい斎藤、千鶴を見なかったか? 土方さんが、戻って来ねぇから探せっつってよ……斎藤?」
「雪村もか……左之、月宮もいない! ……すぐ探しに行く。伍長、戻るまでここで警護を続行しろ!
木下、副長に伝令だ……いや、いい。もう来られた。左之、手を貸してくれ」
「ああ、言われるまでもねぇ」
斎藤と原田が動き、その様子を遠くから見ていた土方も動いた。胸騒ぎが収まらず、気が急いた。
やがて見えた光景に、一気に緊張が走る。千恵と千鶴は、厄介な三人組から身を守るように後退りしていた。
「そこまでだ! 雪村と月宮は新選組に属している。薩長の手勢が手出ししていい者ではない。何故こいつらに近づく!?」
「っと、千恵と千鶴は後ろに居ろ? もう大丈夫だ」
斎藤と原田は、千恵達に近寄る不知火と天霧を押し留めるように、その間に割って入った。
「ハンッ、折角ご招待して差し上げようってのに、つれねぇなぁ。鬼さんこちら、手の鳴る方へってな!」
「不知火、余計な挑発はおやめなさい」
不知火と天霧は、ひと跳びに下がって間合いをとる。
少し遅れて到着した土方は、風間を見ると一気に怒りが湧き上がった。禁門の時といい、本当に邪魔ばかりしやがって!
「てめぇら将軍参内中と知っての狼藉かっ!? しかも警護の隙をついて女に手を出すたぁ見下げた野郎だ!」
「フン、またお前か。その女共の尻を追いかけて走ってきた番犬がよく言う。……雪村千鶴は我らが預かる。
お前らには過ぎたる華よ。月宮、お前も来い。北の頭領の末裔なら、姫として下へも置かん扱いをする。
みすぼらしい成りで人間の下働きなぞ、名を汚すだけだ。ククッ、なんなら好いた男も連れてきていいぞ?」
「千恵ちゃん……」
皆の動揺が伝わる。隠していた事実が広がる。斎藤さんの目が……見られない。
自分から話す前に、こんな形で耳に入れたくなかった。こんな言い方されたくなかった。
「大丈夫、千鶴ちゃんが望まないなら、渡さない。……風間さん、独断が先行しすぎです。
無理強いなさるおつもりなら、京の守護者たる八瀬に調停を求めますよ? 無用な気遣いはご遠慮願います。
私達は……私達の意志でこちらに居ます。どうぞお帰り下さい」
お願い、もう何も言わないで! そんな願いも込めて、力強い風間さんの目に訴えかける。
「……まぁいい、確認したまでだ。同胞として盟約を果たす意思はある、考えておけ」
「ええ、里の者一同と、心よりお待ちしています。千鶴さんも千恵さんも。いずれまた」
「ま、今は好きにしろ。情勢も不確かだしな。また来てやっから。あばよ、人間ども!」
風間と天霧と不知火は、ひと跳びで石垣の上に戻ると、そのまま闇に消えた。
残された者達の目はやがて、石垣の向こうから私へと移っていった。視線が……痛い。
でもその空気と沈黙を破ったのは、斎藤さんだった。彼は私の傍らに立つと、俯く私の頭をそっと撫でた。
「怪我はないか? ……無事でよかった。そろそろ山崎が来るだろう、雪村と一緒に屯所に戻って休むといい」
「斎藤さん……私っ!!」
「今は警護に戻らねばならん。大丈夫、お前達はお前達だ。こちらを選んでくれた事だけは伝わった。
話はよく見えなかったが……打ち明けられるようなら話してくれ。じゃあ、後でな」
そう言っている間も、斎藤さんの目は穏やかで優しくて。やがて山崎さんが来ると、目で合図して私を預けた。
土方さんも原田さんも、安堵の表情を浮かべて私と千鶴ちゃんを眺めると、警護の仕事へと戻っていった。
聞きたい事が沢山あるだろう。でも屯所への帰り道は山崎さんが横にいたし、戻れば平助君と沖田さんが出迎えた。
千鶴ちゃんは何度も口を開きかけたが機会を得られず、私もまた、本当に知る事が幸せなのか分からなかった。
「貴女も鬼なの。私も鬼。人間じゃないの」
誇りを持って言えるはずの言葉が、今は喉にひっかかって伝えられそうにない。
月は空高く上り、その光は庭を明るく照らしたが、私の心までは届かなかった。
「何かしでかして戻されたっていうより、何か怖い事から逃げてきたって顔だね、二人とも。
コホッ、千鶴ちゃんは平助とここに居なよ、僕は千恵ちゃんと中庭に居るから。行こう、千恵ちゃん」
沖田さんは立ち上がると、草履を履いて庭に下りた。きっと、あの二人の側で咳をしたくなかったんだろう。
長椅子に腰掛け月を眺める沖田さんの横に、私も座った。しばらく沈黙が続いたけど、不思議と居心地は悪くなかった。
私は、肩の力を抜いてポツポツと事の次第を話し始めた。風間達が来た事、私達を連れて行こうとした事、
斎藤さん達が駆けつけて、風間達が退散した事を。沖田さんは特に相槌を打つこともなく、最後まで聞いていた。
「それで山崎さんが連れて帰って来てくれたんです。ハハハ、小姓二人、途中退場です。役立たずですね」
「そういう言い方はやめなよ、君に似合わない。伝令も頑張ったんだし、いいんじゃない?
風間が来るんなら、土方さんの言う事を素直に聞くんじゃなかったな。池田屋の借りがまだ返せてない」
沖田さんはそう言うと、少し悔しげに刀の柄を握った。見えない敵が目の前にいるかのように。
「何も……聞かないんですか?」
「何を? ああ……だって約束でしょ? はじめ君に話すまで待つって。君も守ってるんだから僕も守るよ。
誰にも話さずにいてくれてありがとう。僕はまだ……ここに居たい。ここにしか居られない。
生きる時間が長いか短いかなんて関係ないんだ。刀と近藤さん……僕の全てがここにあるから」
沖田さんの言葉と想いは真っ直ぐで、不安も揺らぎもなかった。きっと最後まで変わらないんだろう、そんな気がした。
「私も……私もここに居たい。この一年半で築いたものが、ここに全部あるから」
「はじめ君も含めて、ね?」
「お、沖田さん!!」
「ハハハ、茶化すつもりはないよ、大切な事だ。僕の近藤さんへの想いとは少し違うだろうけど。
好きな人の側にいて、その人の役に立って守る事が出来たらいいなって思うのは、同じだろうから。
千恵ちゃんの場合は、はじめ君が守るんだろうけど。想いに男か女か、人かそうじゃないかなんて、関係ないよ」
私が人じゃない事を知りながら、まるでそれが些細な事かのように話す沖田さん。
しっかりした優先順位があるから、情報を自分なりに上手くふるい落とす事ができるんだろう。
私も、話しているうちに、自分にとって何が一番大切か確認出来た。そう、大切なのは……自分の気持ち。
家柄とか血筋とか、余計な事に捉われて揺れていた心が、しっかり定まった。
帰ってきたら話そう。それでも好きなんだって伝えよう。きっと……大丈夫。私は私、だよね?
西本願寺と二条城。そんな僅かな距離ですら、今は離れているのが寂しかった。
「大丈夫だ」 「好きだ」 「俺が守りたい」
大切な贈り物を心の引き出しから取り出しては思い出し、眺めては慰められ、一晩中そうやって自分を励まし続けた。
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