40 帯刀

相部屋生活にもようやく慣れてきた閏五月初頭。質実剛健というのは彼の為の言葉だろうと、私は実感していた。

勿論早起き。三食きっちり食べ、よく働きよく鍛錬し、合間合間に書き物をこなし、夜も早めに床に就く。

部屋で正座の足を崩すこともなく、暑さで着物を着崩すこともない。

襟から物差しを入れれば引っ掛からずにストンと入るだろうと思うくらい、いつも背筋をピンと伸ばしている。

今は、木陰の椅子に腰掛けて繕い物をする私の前で、居合い刀を振り自主鍛錬中だ。

少しもぶれない重心に感心しながら眺めていると、軽く額に汗をかいた斎藤さんがこちらに寄ってきた。

傍らに置いた竹筒の水を渡すと、ゆっくりの口に含んで飲み下す。その喉の動きが男っぽくてドキッとした。

「日差しが昇って暑くなってきたな。折角の非番だ、買出しにでも付き合おうか?」

「そうですね……今日は一緒に、刀を見繕って貰えませんか? 小振りな脇差を刃引きして持とうと思うんです」

脇差なら、町人でも届出を出せば持っていいし、刃引きすれば人を傷つけずに済む。

いくら人より身体能力が高くても、訓練もしていない上に丸腰では、男に侮られるだけだと例の一件でも痛感した。

「男のなりを強いた上に、刀まで持たせるのは、正直あまり気乗りはしないが……長州再征も始まるしな」

斎藤さんは少し申し訳なさそうに眉を下げた。不憫、と思われているのかな? そうでもないんだけど。

着物は夏暑く冬寒いのが困るが、平成生まれの私からしたら、袴姿は女子大の卒業式ぐらいの感覚だし。

女物の着物は裾を気にしないといけないから、こっちの方が家事も楽だ。

まぁ、たまには斎藤さんの前で女の子らしい格好がしたいな、とは……思うけど、ね?


「皆みたいに信念や志を持って握る刀なら、人に向ける資格がある。でも、私のように護身や逃走の手助けに、

 手段として用いたいだけの刀には、刃は要らないと思うんです。それは、私のしていい事じゃないから」

いくらここの暮らしに慣れたとはいえ、じゃあ私も、と気軽に手に取っていいものじゃない。

斎藤さん達がよく口にする「刀を手にする以上は」という言葉からも、そこにかける想いが分かるから。

「分かった、なら俺が見立てよう。刃引きか、考えたな。まず抜く事態にならないのが一番だが……。

 万一の場合も、下手に打ち合って無用な手傷を負わせるより、逃げるほうが賢い。足は速いようだしな」

斎藤さんは苦笑しながら私の頭を撫でた。多分池田屋や禁門までの走りっぷりを思い出したんだろう。

まぁ、特殊な血筋のお陰なので、普通の女の子と比べる事自体、出来ないんだけど。

本気を出せば多分斎藤さんより速いはずだ。駆け比べで私に負けたら驚くだろうな、フフフ。

「クスクス、男なら飛脚になれたかも! でも女でよかったかな、昔は嫌だったけど、今はそう思うの」

「嫌だったのか?」

「そう、嫌だった。私が私だからじゃなく、私が女だからっていう理由だけで、色々望まれたから」

小さいうちから許婚にしようと働きかけてきたり、縁談を持ち込まれたり。全て親が跳ね除けてくれたけど、

耳には届いていたし、その度不安になった。両親という後ろ盾がなくなった後は更に。でも今は――

「でも今は斎藤さんと出会えたから。それにきっと、私が男だったら、まず保護されてないでしょ?

 きっと土方さんに首根っこ掴まれて放り出されてたか、下手したら隊士として入隊してたかも、アハハ」

「そうかもしれんな。それは……困る。いくら中身がお前でも、男だったら…………これが出来ん」

私を見下ろしていた斎藤さんの瞳が色濃くなり、視線が熱く唇に注がれる。予感、緊張、それと、期待。

屈んだ斎藤さんの影が私を覆い、目を閉じるのと同時に感じた唇への甘い抱擁。私だけにくれる情熱。

そっと重ねられた唇は、胸の奥に甘い疼きを残して離れていった。

「っ、こんな場所ですまん。つい……いや、いい訳はよそう。……ふぅ、支度して出よう」

斎藤さんは自分の前髪をクシャリとかき上げると、視線を外して身を起こした。

人気がないとはいえ、明るい所、しかも外。今頃になって、二人して赤くなっても遅いんだけど。

「わ、私、繕い終わった隊服を返してきますね!」

このちょっとぎこちない空気を振り切るように、二人は慌しく出掛ける準備をした。



およそ一年の居候生活で貯めたお小遣いと、総長小姓時代の給金とを合わせると、手持ちがおよそ十両ある。

今手にしている脇差は、長さ十三寸、値段は約一両。高いのか安いのか……全然分からない。

「刃引きするなら切れ味を吟味する必要がないからな。最初の一刀で折れても困るが、これなら大丈夫だろう。

 副長と局長には先ほど許可を貰ってある。明日から手ほどきしよう。毎日続ける事が大切だ」

「ありがとう! 宜しくお願いします。フフフ、斎藤さんの個人指導が受けられるなんて、小姓の役得ですね」

初めての大きな買い物。斎藤さんが選んでくれた脇差。やる気が湧いて、明日からが楽しみになった。

が、私が銭入れを出すと、斎藤さんがそれを制した。ちょっとムッとする。買って貰う為に連れてきたんじゃないのに!

「自分で払います。斎藤さんのお給金は、命を掛けて稼いだ大事なお金です! 自分の為に使うべきです!」

「だがお前を守るのも俺の仕事のうちだ。なら、守る為の道具代も、俺の給金に含まれているはずだ」

「そんなの屁理屈です。それに、仕事だから守ってるなんて思いたくありません。そりゃ、仕事なんでしょうけど……。」

口を尖らせ拗ねる千恵。代金の支払いで揉めると思っていなかった斎藤は、意外な所で頑固な恋人に面食らった。

「可愛らしい小姓さんですなぁ。斎藤先生ならこんな安もん、なんぼでも買えまっさかい、遠慮せんと貰っときよし。

 それにしても、簪か櫛の一つも贈りたくなるような別嬪さんや。斎藤先生の目利きは刀だけやおまへんなぁ」

「っ! 俺の名でつけておけ。月宮、行くぞ!」

斎藤さんは慌てたように勘定を書かせ、さっさと店を出て行ってしまった。あ〜あ、結局出されちゃった。

きっとお金は受け取らないだろう。諦めて脇差を取ると、店主に礼を言って斎藤さんの後を追った。

小走りで追いかけると、数軒先の店先で斎藤さんが立ち止まって振り返った。怒ってるかな?

けれど、斎藤さんの口から出たのは意外な言葉だった。

「一番最初の贈り物が刀というのは、やはり不粋だったな。すまん、先に気付くべきだった。

 あと……確かに守れという命は受けているが、俺自身も……お前を守りたい。いいか?」

労わるような眼差しと優しい言葉に、胸が詰まった。本当に……どこまでも誠実で、温かい。

逆に自分の至らなさを気付かされ、恥ずかしくなった。どうして素直に買って貰わなかったんだろう。

こちらの時代の、女には支払わせないという皆の態度に少し抵抗したかったのかもしれない、と反省した。

「斎藤さん……私もごめんなさい。意地になって……そんな人じゃないって分かってるのに。

 仕事だけじゃないって、知ってるのに。でもありがとう、言葉にしてもらえて凄く嬉しいです!
 
それに、贈り物ならもう貰ってますよ? これは三つ目です」

「三つ目? 何かやったか? 覚えが――」

「言葉を。言葉を貰いました。最初に貰ったのは、大丈夫だっていう言葉。二つ目は……好きって言ってくれました」


「簪みたいに壊れないし、私の中にあるから誰にも取られない。それに、一生持ち歩けます。大事な……贈り物です。

 三つ目の贈り物も、本当にありがとうございます。大事に使いますね!」

本当にそう思っていた。斎藤さんの言葉は一つだけじゃなくて全部宝物だ。救って支えて、私を包み込んでくれる。

出来ないけど、もしお金に換算したら、きっと私は世界一の大富豪だと思う。

「……ふっ、俺は果報者だな。早く俺達の部屋に帰ろう」

斎藤さんは嬉しそうにそう言うと、屯所に向かって歩き出した。俺たちの部屋。その言葉がなんだかこそばゆかった。



俺は安物の鈍ら刀一つでこんな風に喜ぶ女子は月宮以外にはいないだろうと思った。

言葉一つが贈り物だと喜び、男装も意に介さず、小姓の仕事に精を出しながら、家事や雑事もきっちりこなしている。

同居当初、総長から贈られた蔵書の多さに驚いたが、論語を読むほど学がありながらそれをひけらかさない所も好ましい。

俺の金を命の対価だと言い、自分で支払うと自立心を見せたり、仕事で守ってるのかと可愛く拗ねてみたり。

なるほど、大幹部が揃いも揃って「大事にしろ」と口酸っぱく言うだけの事はある。

真っ直ぐな言葉で心情を伝える彼女が愛おしく、口付けたくなって急ぎ連れ帰ったと知ったら笑うだろうか。

俺は、脇差を置いた千恵を抱き寄せると、そのまま顎を掴んで顔を寄せた。

いきなりの事に驚いた様子だったが、構わず唇に舌を滑り込ませる。まだ慣れぬのか、勢いに気圧されているのか、

奥に引っ込んだままの千恵の舌を突いて呼ぶと、少しずつ差し出してくるのが可愛らしい。

陶然とした心地になりながら、腰に回した手に力を込め、舌先を絡めながら胸と胸を合わせるように抱き締めた。

腕に添えられていた彼女の手がキュッと袖を掴み、何かを堪えるように身を震わせる。

「んっ……はぁ……んんっ」

息を継ぐ間だけ与えて、また深く千恵の口腔に潜り込む。喘ぐ声すら砂糖のように甘く感じる。

そろそろ止め時だと分かっていても中々離せず、体を支えてやりながら千恵が腕の中に居る幸福を存分に堪能した。

ようやっと満足して唇を離すと、彼女の瞳をみつめながら、伝えたい想いを表せそうな言葉を探す。


「千恵、仕事柄俺には隠し事が多いが、これだけは分かってくれ。嘘いつわりなく、お前が好きだ。

 何を見ても何を聞いても、それだけは覚えておけ。不安になったら思い出してほしい」


いつ間諜に飛ばされるかも分からん。情報を得る為なら、命令あらば遊郭にも行くだろう。

晒し首になる可能性だってある。闇に葬られれば、訃報も届けられず行方知れずで処理される。

今のところ、そんな危険な任務の予定はないが……。

先の見えない男を好いてくれた千恵に、せめてもの誠意を表したかった。

アレの存在を知らぬまま、新選組と俺を好いて支えてくれる彼女に、唯一保障してやれるのは俺の気持ちだけだ。

「私も好きです。斎藤さんが好き……」

襖を閉めた部屋は蒸し暑かったが、こんなに上気して色っぽい千恵は誰にも見せられない、としばらく抱き締めたまま。

己の燻る欲情を宥め、千恵の火照りが治まるまで。千恵を守るように腕に納めながら、買った脇差を見つめ続けた。



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