39 灯火

千恵が斎藤と襖続きの相部屋生活を始めて半月。千鶴の方は、広く感じる私室で溜息をついていた。

もう十八だ、一人で寝るのが怖い訳じゃない。起きれば皆がいるし、日中は相変わらず探索や家事で忙しい。

だけど……約一年半一緒に寝起きしていた千恵ちゃんがいないのは、やっぱり寂しいな。

一組しかない布団、話し相手のいない夜。何かぽっかり穴が開いたような気分だった。

江戸から戻った平助君も、以前に比べてどこかよそよそしい気がする。

一人部屋になった、ただそれだけなのに、ポツンと一人取り残されたような気分だった。なんだか寝付けない。

少し喉が渇いたから、湯冷ましでも貰ってこようかな。千鶴は夜着に羽織を引っ掛け、夜のお勝手に一人向かった。

夜目に慣れてくると、月の光で裏庭が明るく感じ、ツイとそちらに目をやった。…………灯りが点いている?

屯所の裏手、竹薮の細い小道のずっと向こう。柵で囲われた離れには、誰も住んでいないと思っていた。

日中、人の気配も出入りも感じられないし、隊士達の立ち入りも禁じられている。勿論千鶴もだ。

幹部の住む並びの廊下と裏庭からしか見えないその建屋は、藪で遮られてはいるが、今は確かに灯りが点いて見える。

悪い人達の密会場所とかだったらどうしよう。

千鶴は、ここ西本願寺が以前、西国浪士達を匿っていたことを思い出した。

どうしよう、誰かに言った方がいいのかな? でも皆眠ってるだろうし、騒ぎ立てて間違いだったら大変だし。

千鶴は草履を借りて庭に下り、恐る恐る藪の方へ近づいて行った。月の光が千鶴を後押しする。

大丈夫、明るい方から暗い所は見えないよね?

一歩、また一歩と近づいていくうちに、藪の小道の入り口まで辿り着いた。藪は真っ暗で流石に怖い。

立ち尽くしてもっとよく見ようと腰を屈めた時、急に口元を誰かに塞がれた。

千恵の遭った事件を思い出し、血の気が引いて身を捩ると、よく知った声に耳元で囁かれた。

「ったく、こんな夜中にチョロチョロ動き回って、一体何してやがる!? いいから、ちょっと来い!」

土方さん!? なんでっ……はぁ、絶対怪しい行動だと思われてるよね、どうしよう?

諦めたように脱力し、きっと怒っているだろう鬼副長の後ろをトボトボと付いて行った。



行灯の灯る副長室。土方は溜息をついて、目の前に座る夜の来賓を見つめた。

「で? なんであんな所にいた? ……まぁ聞くまでもないな。大方、お勝手か厠にでも寄るつもりで出て、

 明かりに気付いて庭に下りた。もっとよく見ようと近づいた所で、俺に捕獲された。そんなとこだろ?」

なんで分かったんだろう!? といった表情で驚く千鶴を見て、また盛大に溜息をつく。

こいつには、知らずに危険に近づく才能でもあんのか? 若い娘がそんな格好でうろついて、何かあったらどうする?

叱られるのを待っている子供のような表情に、何だか少しおかしくなった。最近じゃ怖がらなくなったが、

流石に今夜は土方が怖いと見える。手に取るように分かるその顔は、素直な気質をまんま表している。

まぁ、本当にただ素直なだけなら夜中の庭を横断しないだろうが。好奇心と若干の気の強さも混じっているんだろう。

「あの……すみませんでした。でも浪士の密会現場だったらどうしようって思ってそれで――」

「だったら一番危ねぇだろうが。丸腰で夜着の娘なんて狼の餌だぞ。手込めにされて泣いてからじゃ遅いんだ。

 月宮の件もあったってぇのに、もうちょっと用心しやがれ。心配してる人の気も知らねぇで、ったく」

「心配……してくれてるんですか?」

「当たり前だ、でなきゃなんで庭に下りるんだよ? 他の連中に見付かってみろ、明日から当分話のネタにされるぞ?」

意外な顔をされてムッとする。確かに口は悪いが、千鶴にはなるべく優しく接してるつもりだった。

だが、次の瞬間、そんなことはどうでもよくなった。千鶴は少し頬を染めて、はにかんだように笑って言った。

「ありがとうございます。とっても嬉しいです! いえ、悪い事をしたって分かってるんですけど、

 土方さんが気に掛けてくれてるって思ったら、なんだか……温かい気持ちになりました」

軽く頭を下げたその表情が予想外に女らしく、ハラリと肩から滑った長い髪が行灯の光に艶を帯び。

いつの間にか千鶴が少女から女性へと変わりつつある事を土方に教えた。

ガキだとばかり思っていたが……。

親思いで健気で素直。明るく優しく誰にでも分け隔てなく接する。その反面、江戸から歩いて来たり、

戦場に付いて来たり。そんな跳ねっ返りな所も実は土方の好む部分だった。江戸の女らしくていい、と思う。

今はまだ蕾だが、あと数年でかなりいい女になるんじゃねぇか? その辺の男には勿体無いくらいの。

……今はそんな事考えてる場合じゃねぇな。こいつに釘を刺しておかないと、いつまた藪を突っつくか分からねぇ。

「まぁ俺の小姓だしな。お前は大事な預かりもんだ、面倒はみるさ。だがそれとこれとは話が別だ。

 あそこは前にも言ったように立ち入り禁止だ。今後は近づかないようにしろ。

 世の中には……知らない方がいい事もあるんだ。分かったな?」

「はい、分かりました。本当にご迷惑お掛けしてすみませんでした」

「ああ、ならいい。部屋へ戻って早く寝ろ。起きるのが辛くなる。それと……あんまり夜着でうろつくな。

 若い連中には目の毒だ。一応女なんだって、少しは自覚しとけ。それから……おやすみ」

その言葉に千鶴は慌てて羽織の前を掻き合わせたが、もう遅い。首元まで羞恥で赤く染まった。

「おやすみなさい。失礼します!」

千鶴が頭を下げて出ていた後、土方はまた盛大に溜息をついた。いつまでもガキ扱いしていられない、か。

だが、そんな風に僅かでも揺れる自分を叱責するように、再び文机の書類に向かった。

大勢の隊士の暮らしが肩にかかる今、色恋なんて不要だ。大事なのはこの組と、近藤さんだ。

時折筆が止まってしまうのは。仕事で溜まった疲れだけのせいではない。

本当の理由が分かっていても、今の土方はそれを認められない立場にあり、また、立ち止まる事も叶わなかった。



藪の向こうの静かな離れに土方の忠告が届き。屯所の裏庭に面する側には、翌日から簾が掛けられた。



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