23 恋慕 -2

千鶴が片付けを済ませ私室に戻ると、千恵は積んだ布団に上体を伏したまま眠っていた。

濡れた睫毛が痛々しく、千鶴はそっと羽織を掛けると、少し襖を開けて大きな月を眺めた。

もうここに来て九ヶ月かぁ。最初の頃は不安で一杯だったな。でも、千恵ちゃんが居てくれたからやってこれた。

あの凍てついた夜。千鶴は新選組が秘かに囲っている、化け物のような人間を目撃して拘束された。

狂ったように肉を斬り血を啜る音を、今でも覚えている。忘れようと心がけてはいたが、簡単には忘れられない。

翌朝保護してやる、と言われたが、恐怖と不安と心細さで一杯だった。だから千恵が現れたのは天恵だと思った。

部屋から出られない時も、外に出られなかった期間も、ずっとずっと、励まし続けてくれた優しい友人。

父の安否を気遣う私に、必ず見付かる、見付けよう、と今も応援してくれている。

千恵には両親も身寄りもなく、時代すら越えて戻る手立ても見付からないというのに。

しかも体の秘密を打ち明けてくれた。仲間だよ、隣りにいるんだよ、と教えてくれた。どんなに勇気がいったろう。

もし知らなければ……自分は一生この特殊な体質を隠して、負い目に感じながら暮らしただろう。

千恵ちゃん……。

斎藤さんを好きなら、応援してあげたい。二人が両想いならもっと嬉しい。絶対幸せになって欲しい。

あの真面目な斎藤さんのことだ、一度通じ合えばずっと大事にしてくれそうだ。千鶴には、そう思えた。


「んっ……」

千恵は身じろぎをして顔を上げると、真横で自分と同じように、布団の山に身を伏して眠る千鶴を見た。

きっと私を起こして布団を敷くのが悪いと思ったんだろう。肩に羽織も掛けてくれていた。

月は真上を少し越えた辺り。まだ夜中だ。起こして着替えて寝た方が、お互い明日が楽だろう。

私のせいで体に負担を掛けるのは申し訳ない。千恵は、そっと千鶴を揺すり声を掛けた。

「ごめんね、千鶴ちゃん。片付けも押し付けて布団も取っちゃって……動ける?」

「んっ……あ……千恵ちゃん。大丈夫? あの……。斎藤さんの事――」

「ハハハ、ばれちゃったね、やっぱり。……うん、好き、だよ。とても……大切」

「あの、沖田さん悪かったって。あの沖田さんが反省してたよ? 朝の当番も替わってくれたの」

「フフ、あの沖田さん、ね。千鶴ちゃんいっつもからかわれてるもんね。でも……うん、いいよ。

 本当に私の勝手だもん。責める権利もないし、妬ける立場でもないのに……。ふぅ、困った女だよね」

「千恵ちゃん……。あのね、私が言うのも変だけど、ああいう所って誰でも……どんな真面目な人でも、

 近くにあれば誘われるし、目上の人からだと断れないっていうか……。斎藤さんも嫌だったと思う、よ?」

「クスクス、千鶴ちゃん真っ赤! うん、そうだね。きっとそうなんだと思う。思いたい。

 ありがとうね、心配してくれて。もう大丈夫だから。明日からちゃんと普通にするし。

 うぅ、でも皆にばれちゃったんだよね、参ったなぁ、もうっ。皆も普通にしてくれるかな?」

「それは多分大丈夫だと思う。ちょっと永倉さんが心配だけど、原田さんが何とかしてくれると思うの。

 ねぇ、千恵ちゃん……応援するね。勿論変な事はしないし、何も言うつもりないけど、応援したいの」

「千鶴ちゃん……フフ、ありがと。でもそばにいるだけでいいの。このままで、いい。

 きっとさ、斎藤さんの道に……私の気持ちって邪魔になると思うんだ。武士の道に」

「違うよ! そんな事ない!! 邪魔じゃなくて、支えになってあげる事だって出来ると思う!

 千恵ちゃん、私の事もずっと支えてくれてる。千恵ちゃんがいなかったら、私とっくに折れてた!

 千恵ちゃんがそばで笑ってくれてるから、私も笑っていられるの。頼ってばっかりだけど……。

 だからそんな千恵ちゃんが邪魔になるなんて、気持ちが邪魔だなんて、そんな……悲しい事、言わないで?」

「千鶴ちゃん……」

真剣に励ます千鶴ちゃんの言葉は、想いに蓋をしようとしていた私の手を止めるのに、充分だった。

驚いたけど……嬉しかった。好きでいていいって、諦めなくていいって、背中を押してくれて。

「ありがとう。でも今でも幸せだよ? 隣りの部屋に住んで、毎日一緒にご飯が食べられる。

 これ以上ないくらい贅沢な片思いだよね。充分なのに……欲張りだよね〜、もっと近づきたいなんて。

 でも、こそっと応援してくれたら、嬉しいかな。大事に温めたいから。初めての気持ちだから、大切に育てたいの」

「うん……うん! 千恵ちゃんが幸せならいい。でも……もし両思いだと感じたら……勇気、出してね?」

「そうだね。そうなったら……いいなぁ。さぁ、もう寝よう! って、私のせいで眠れなかったんだけど。

 お布団敷くね、あの……布団くっつけていい?」

「うん、そうしよう!」

二人は襖を閉めて、寝支度にかかった。今まで少し空いていた入り口の隙間から、二人の言葉が流れ出て、

隣室の住人の心を揺さぶっているとも知らず。閉じられた部屋はやがて穏やかな寝息だけになった。



あんな話を好いた女の前でされて、斎藤は不愉快な思いで広間を後にした。

いい訳するほどの事でもないが、人に話すべき内容でもない。女子の前なら尚更だ。

付き合い上成り行きで、あるいは情報収集の任務などで、情交に金を払った事は幾度もあった。

自分にとってはどうでもいい事だったが、あんな形で話のネタにされるのは敵わなかった。

部屋に戻る時、小走りに私室へ駆け込む千恵の後姿が見え、ドキッとした。

だが、己の私室に入っても、隣りから何一つ音は聞こえてこなかった。

別に聞き耳を立てている訳ではないが、布団を敷く時など、薄い壁を隔ててかすかに音が聞こえるのが日常だ。

仕方ない。総司に悪気はなかった、忘れよう。無音の隣室を気にしつつ、行灯を点し刀の手入れを始めた。

やがて千鶴の足音も隣室に消え、静かな夜の帳が下り、斎藤は寝静まった屯所の廊下を、お勝手に向かった。

酒とお猪口を部屋に持ち込み、行灯を消し月明かりで呑む。今夜はあまり旨くないが、仕方ないだろう。

明るい月が美しい十五夜近く、秋の夜長を堪能した。やがて月も真上を越え、酒も空になった。

そろそろ寝ようと空の銚子を持って部屋を出ようとし、隣室の物音と話し声に足を止めた。


足は床に吸い付いたように動かない。心臓がうるさく、今頃になって酔いが回ったように体が熱い。

不用意に開けられた隣室の襖から、自分への想いが言葉に込められ、耳に流れ込んでくる。

邪魔だ、いや支えになると言い合う二人。共に暮らす幸せを喜び、贅沢な片思いだと言う満足げな声。

初めての気持ち……大事に育てたい……。

聞こえた思いがけない告白に打ち震え、月宮も同じ気持ちなのだと分かると、喜びが込み上げて来た。

俺は……お前を愛していいのか? お前も好いてくれているなら……許されるんだろうか。

斎藤は呑んだ後片付けに行くのをやめ、隣室と私室を隔てる壁に背を預けて座り込んだ。

この壁の向こうに、好いた女が同じ思いを抱いて眠っている。そう思うだけで、幸せで満ち足りた気持ちだった。

いつか。自分の胸にあるこの想いが、何ものにも揺るがない確かなものだと自信を持てたら。

その時はお前を……俺のものにしたい。

斎藤は、思いがけない幸福を味わえた夜に感謝し、軽く笑んでまどろみに身を委ねた。



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