22 恋慕 -1

九月に入り、新しい隊士の勧誘に、平助君や近藤さんが江戸に行く事になった。

千鶴ちゃんは、平助君に江戸の実家の様子を見て来て貰う為、地図を渡した。

快諾した平助君は、それを懐に入れると、元気に手を振って出立した。戻るのは来年になるそうだ。

見送った後の夕餉は、なんだか物足りなかった。特に原田さんと永倉さんは、ちょっと寂しそうだった。


「新しい人達が来たら、どこに寝るんですか?」

素朴な私の疑問は、思ったより難問だったようで、皆さん揃って首を傾げた。え? 考えてないの?

まぁ個人の家にしてはかなりの大邸宅だが、平隊士さん達は今でも雑魚寝だ。あそこに押し込むのだろうか?

「何人増えるか分からないからね。足りなくなったら、君達だって二人きりでは使えないかもよ?」

「ええっ!?……いえ、確かにご迷惑かけてますけど、困ります! 千恵ちゃん、どうしよう!?私……無理」

「総司、馬鹿言ってんじゃねぇ! 何かあったらどう責任取るってんだ。ったく、雪村も本気にすんな。

 お前らの部屋はそのまんまだ、安心しろ。ま、誰かと一緒でいいってんなら有難いが……。どうだ、斎藤?」

「副長!? 自分は! ……め、命令なら。いや、だが……。即答は無理です」

「おいおい、土方さんそりゃあんまりだ。なんで俺らじゃねぇんだよ?」

「はぁったく、冗談に決まってんだろ? 真に受けんな。斎藤、悪かった、冗談が過ぎた」

「僕は別に同室でも平気ですよ。女の子って、見るのは好きだけど、触るのはあまり好きじゃないし」

「触るのは好きじゃねぇってお前……買ったことあるだろうが。なんもしなかったのか?」

原田さんが驚いて聞き返した。私は……聞かぬ振りをして、耳ではしっかり聞いていました。ハハハ。

「しましたよ、それなりに。払った代金分はね。でもそれだけですよ。別に付き合いでなきゃ行かないし。

 はじめ君も何度も行った事あるよね? 誰だって行けばするでしょ、断る方が面倒だ」

「……知らん! それに、女子の前でする話ではない。いい加減にしろ。俺は部屋に戻る、馳走になった」

斎藤さんは怒ってスタスタと膳をお勝手に持って行った。……行ったこと、あるんだ。何度も。

この時代じゃ当たり前なんだよね? 当たり前だけど……斎藤さんは悪くないけど……。

「千恵ちゃん?」

「あ、うん。私もご馳走様。永倉さん、残りのおかずどうぞ。後で片付けに行きますからお勝手に置いておいて下さい」

どうしようもなく胸が塞いで、喉を通らなくなったおかずを押し付け、逃げるように広間を出た。

やだ、どうしよう。こんな態度を取ったらばれちゃうのに……今は上手く笑えない。

私室の襖を閉めると、部屋の隅に積んだ布団に顔をギュッと押し付けた。沖田さんの馬鹿!

……ううん、馬鹿は私だ。焼き餅を妬く権利なんてないのに。でも……聞きたくなかった。

私は勝手に零れる涙を布団に吸わせ、動悸が治まるまでそのままじっとしていた。



「あ〜あ、千恵ちゃんはやっぱりはじめ君だったか。ならちょっと苛めすぎたかな?

 千鶴ちゃん、明日の当番替わってあげるから、話聞いてあげて。流石にまずいよね、あのままじゃ。

 左之さんはいいの? まあもう決まっちゃってるみたいだけど。僕は……仕方ない、応援するよ。

 女の子を泣かせたこと、ないんだ」

沖田は最後に部屋を出て行く千恵の顔を見てしまった。ズキン、と胸が痛むほど、悲しい顔だった。

他愛の無い話が思いがけず傷つけた女の子。一度も……ここに来て一度も泣いたとこなんて見なかった。

強い子だと思っていたから、驚いた。泣かせるつもりはなかったが、悪い事をしたと素直に反省した。

元はと言えば、左之さんが買うとか話を振るからだ、後で……お礼しなきゃ。

でも左之さんも少し、いや、かなりまいってるかな。はぁ、仕方ない。今回は全面的に悪者になってあげよう。

沖田は膳を持ち、広間を出た。はじめ君もきっと、千恵ちゃんが好きだ。でも、言わない気がする。

突然湧いた屯所での色恋沙汰に顔を顰め、だから女の子って分からないんだよね、と一人溜息を付いた。


「えっ? おい左之、総司の言ってたこと、どういう意味だよ!? 千恵ちゃん、斎藤が好きなのか?? なぁ? って――」

「わりぃ、今ので分かんなきゃ説明してもな。ま、そういう訳で、俺は飲む。土方さん、秘蔵の酒、もらうぜ?」

「……ああ、持ってけ。戸棚の下の段だ。お前はもう……いいのか?」

「……まだ無理だ。今は……飲んで寝る。それしかねぇだろ? 千鶴、片付け頼むな」

原田は広間を出ると、土方の酒とお猪口を取り、私室へ向かった。斎藤、か。千恵……。

幸せになって欲しい。笑って欲しい。だがそんなの建前だ。本当は……。

幸せにしたい。俺のそばで笑ってて欲しい。秘かに願った想いは、大きく育つ前に遮られてしまった。

でも、もしあいつに出来ねぇなら。斎藤が叶えられないなら……まだ諦めるのは早いか?

斎藤の気持ちも確かめたいが、それより今は、千恵の気持ちを知ってしまった自分を慰めたかった。

飲んでも酔えるか分からねぇが……飲まなきゃやってられねぇよな。

溜息を付いて私室を開けると、ドカリと畳に寝そべった。一人部屋でよかったと、つくづく思った。


永倉も土方も食べ終え、千鶴はお勝手で皆の膳を急いで洗った。千恵ちゃん……斎藤さんのこと……。

ツツジの花で遊んだ時の事を思い出した。ひょっとしてあれって……。あの時感じた温かい何か。

あれは二人の間に生まれた何かだったんじゃないだろうか? だとしたら、斎藤さんも千恵ちゃんを……好き?

そういった事には疎い為、話は聞けても良い相談相手にはなれないかも、と千鶴は嘆息した。

原田さんも千恵ちゃんが好きなんだろうか? 土方さんは……土方さんにも好きな人、いるのかな?

突然湧いた疑問は、ツキンと心を刺した。何考えてるんだろう。誰が誰を好きだろうと関係ないのに。

土方さんが誰を好きになろうと……自由なのに。

最後だけ、何かがひっかかった。魚の小骨を飲み込んだ時のように。

だが、洗い物の手を忙しく動かすうちに、また思いは千恵の事に戻り。大丈夫だろうか、と気持ちが急いた。

話をしたいようなら聞こう。言いたくないようなら待とう。それだけ決めて、千鶴は膳を片付けた。


私室に戻った土方は、厄介なことになったな、とこめかみを揉んだ。付き合いの長さは違うがどちらも大事な仲間だ。

信頼の置ける部下と、真っ直ぐな娘。これが新選組の中じゃなけりゃ、手放しで喜ぶんだがな。

原田も……まぁあいつは大人だ、自分でどうにかするだろう。問題は斎藤、か。

頭の回転が速く、剣の腕も立ち、汚れ仕事も二言なく引き受け、口も堅く、よく働く。

融通が利かないのが些細な欠点だが、若さゆえだろう。いっそくっつけちまうか?

その方が仕事に精を出しそうな気もする。しかしそうなると間諜には使えなくなる。

心を悟らせない斎藤は、そういった類の仕事にも役立った。潜入も脱出も手際がいい。

くっついても……いつか泣かせることになるか。土方は、その先の涙に自分も一枚咬む事になるだろうと予測し、

盛大に溜息をついた。一番難しい奴選びやがって。それでも幸せになってほしい。それもまた、本心だった。



十五夜近く。月は大きく輝き、屯所の庭を照らしたが。光の分だけ影も濃かった。



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