136 心揺

時折細かい枝葉がパシッと顔や手に当たり、道なき山奥には自分の荒い息と鳥のさえずりが聞こえるばかり。

斎藤は追撃を諦めた小隊が引き返していくのを確認すると、初めてその足を止めた。


「大丈夫か?」

「はぁはぁ……はい。あの、梅戸さん達は?」

いつの間にか二人きり。大勢で山に入ったはずなのに、皆どこに行ってしまったんだろう?

千恵は振り返って来た道をみやったが、木々や草が茂り木漏れ日が差し込むそこには誰もいなかった。

「途中の大岩で別れた。きっとあちらは峰沿いに伝ってから山を降りるつもりだろう。

 四散した方が追っ手がかかりにくいからな。大丈夫だ、梅戸は山を読むのが上手い」

心配げに眉を寄せる千恵の髪を撫で、その表情から不安を取り除こうと頬に手の平を添えた。

冷えた頬に手を置くと、逆に心のざわつきが消えていくのを感じ、斎藤は初めて自分が不安だった事に気付いた。

胸の奥底でもたげた不安……いや、揺らぎ、だろうか。

同志達と背中を預けあいながら、しっかりと築き上げてきた物が、成す術もなく崩れていく。

伏見を敗走し、大坂から江戸に移り、こうしてまた甲州の山中を逃げている。

立ち向かう敵がいて抗う意志もあるのに、何も出来ずにジリジリと後退していく……。

俺達の……いや、俺の信じていた誠は、今も新選組にあるのだろうか? 今の新選組に──


「誠とは……己の心を主君として武士である自分を律し、信念に誠実な事。俺はそう思っている。

 俺の信念は、生きる道を与えてくれた新選組に報いること、そう決めてここまで来た。……お前も連れて来た。

 だが……もしかすると新選組は……俺の知る新選組は京に消えてしまったのではないか、と……。

 いや、まだ考えがまとまっていないな。すまん、聞き流してくれ。お前に問うのもおかしな話だ」


弱音を漏らした自分を恥じるように、斎藤は軽く溜息をついた後、木の根に腰を下ろした。

千恵は頬から離れた手が寂しくて、彼の側に寄りそうように自分も座ると、片手を夫の膝に置いた。

「自問するのも、迷うのも、信じたいからじゃないですか? クスッ、はじめさんの信じている新選組なら、あります。

 ……信じ続ける限り、はじめさんの胸の中に。もちろん私の中にも、ちゃんと根付いています。

 近藤さんの中にも、それに原田さん達の中にもちゃんとあると思いますよ?

 表に出る形が違うだけで、私にとっては皆……誠の武士、です。ずっと見てきましたから」

丸四年。もちろん一番最初っからじゃないけれど、ずっと皆と一緒にいて、瞳の輝きと心の熱さを見てきた。

だから、私に答えを求めていないのは分かっていたけれど、自信を持って自分の気持ちを伝えられた。

貴方達は本物の武士だ、と。



「千恵…………」

彼女の言葉に胸が詰まり、奥に芽生えかけていた何かがいとも簡単にその震えを止めた。

この細い体に縋る俺は弱い男だろうか。

掻き抱いた体は腕の中に納まるほど小さく、力を込めれば折れそうな肩は女らしく丸みを帯びている。

なのに、紡ぐ言葉は俺の心を光りで照らし、小さな陰りすら優しく吹き飛ばしてしまう。

斎藤は、穏やかに笑う千恵の頬に再び手を添えると、顔を寄せて熱く囁いた。

「この先に炭を作るための小屋があるはずだ。そこで夜を待とう。夜まで……腕の中にいてくれ」

行軍の間抑えていたものが込み上げてくる。抱きたい、今すぐに。

言葉では到底伝えられそうもないこの想いを、受け止めてくれ。

今のありのままの俺を全て差し出して足るか分からないが……俺はお前のすべてが……愛おしい。



彼の熱い視線に囚われて、鼓動が弾む。体温が上がる。

差し出された手を取ると、二人で立ち上がり再び山道を歩き出す。

追われているのに、まるで散歩でもしているみたいに。

祝言の翌朝、紅葉狩りに行ったあの時のように。


さっきまで不気味だった木々の陰よりも、間から差す日差しの温かさに目を細める。

二人の繋いだ手は、離れるのは嫌だという風に、その指先をしっかりと絡め合っていた。





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