135 不戦

ふた晩体を休めたことで行軍の疲れは抜けたけれど、鎮撫隊に漂う不安感は強まるばかりだった。

土方さんは今どの辺りにいるんだろう。間に合うかな。

一緒に朝餉の支度をする千鶴ちゃんをチラッと見ると、どうしたの? と首を傾げている。

「ううん、何でもない。早く用意しないと! 皆おなか空かせてるもんね」

「寒いから汁物はきっと喜ぶね。厩で寝た人もいるみたいだし」

野宿じゃないだけでも有難いけど、もう三月だというのに朝の冷え込みは厳しく、私は赤くなった手を擦り合わせた。

その時。大きな爆発音と共に地面が振動し、鍋のふちに添えていたお玉が土間に転がった。

「千鶴ちゃん! 始まった!!」

お勝手から飛び出した私達が見たのは、被弾して崩れた家屋から立ち昇る、砂煙だった。

砂粒が入らないように目を細め、袖で口元を押さえながら母屋へ駆け出す。

騒然とした村人と隊士達が入り混じり、怯えて姿の見えない敵に向かい発砲する者も。

はじめさん、どこ!? 近藤さんは?




突然の砲撃に、迎え撃つ陣形も整わないまま隊士達が動き出してしまい、原田達は舌打ちしながら弾の出所を探っていた。

振動と同時に、激しい砂埃が幾つも上がる。あっちとこっち……高台の上もかよ。くそっ、囲まれてんじゃねぇか!

「新八っ! 突破口探せぇっ!!」

「んな事言ったってどこにもねぇだろうがっ!」

「死にたくなきゃ、死ぬ気で探せ!」

無茶は承知で新八に前線を任せ、槍を片手に近藤さんの指示を仰ぎに行く。

退却命令がなきゃ、全員犬死だ。



「近藤さん、無理だ! 今すぐ退却の指示をくれっ!」

「原田君、俺の初陣だ。無理でもどうでも、ここは任せてくれんかね?」

「何馬鹿な事言って……っ! あんたまさかっ――」

ここで死ぬ気か? 進軍を食い止めるほどの人数も軍備もないこの状況で、負け戦をおっぱじめるつもりなのかよ!?

誰か着弾に巻き込まれたんだろう。断末魔が木霊する中、長年苦労を共にしてきた同志と睨みあった。

……引かないつもりか。

近藤の眼力から覚悟は否応無しに伝わり、原田は胸の内に燻っていた怒りをぶつけた。

「あんたの気持ちはよく分かった。分かっちゃいるがな、俺も譲れねぇんだ。

 局長の首を守るのが組長の務めだろ? わりぃがあんたをここで果てさせるつもりはねぇ。

 幕臣として抗うってぇんなら、土方さんと合流して兵を集めてからにしてくれ。

 あんたは……死なせねぇ! 生きて新選組の名を残してくれなきゃ、今までの苦労が水の泡になっちまう!

 こんな所でっ! 俺達をただの賊軍で終わらせるつもりかよっ!!」

荒ぶる気持ちのまま怒鳴ると、それを横で聞いていた斎藤が口を開いた。

「局長、このままでは反撃の前に全滅します。俺からも……撤退を進言します」

「斎藤君、君まで……」

今まで一度も口出しをした事はなかったが、流石に今のこの状況は分が悪すぎる。

せめて副長が戻っていれば、違ったかもしれないが、もう間に合わない。

斎藤は諭すように静かに近藤を見つめ、固唾を呑んでその返事を待った。


「……ふぅ、分かった。応戦しながら退路を開こう。原田君、皆に伝えてくれ」

近藤は一度軽く瞠目し、諦めたように眉を下げると原田に指示を出した。

城への入城が不可能になった今、ここで敵を迎え撃ち、志士として散りたいと願っていたが。

「……そう簡単に死なせては貰えんか」

出て行った原田の剣幕と言葉に、自分達が築き上げた新選組の重みを実感した。

その時、入れ違いで駆けて来る二人の女性が目にとまる。千恵と千鶴だった。



「雪村君! どうやら鎮撫どころか始める前に負けてしまったようだ。ハハハ、俺じゃなくトシを残すべきだったなぁ。

 あいつならまだ何か策を思いついたかもしれん。……落ち合う場所は決めてあるんだ、俺と一緒に来てくれんかね?」

果てるつもりの命を惜しんで逃げるなら、せめてトシに土産の一つも持って帰らんとな。

恐らく自分を死なせないようにと、最後のお守りとしてトシはこの子を置いて行ったんだろう。

あいつは俺が女子に弱いのを分かってて、はぁ、やれやれ……俺の事は全部お見通しか。

近藤が親友の洞察力に白旗を揚げると、千鶴は大きく頷いてその側に寄り添った。

「行きましょう! 千恵ちゃん、合流地点で待ってるから!! 斎藤さん、千恵ちゃんを必ずっ――」

守り抜いて! 願いを託した声を残し、二人は永倉と原田の開く退路に向かって走り出した。



「千鶴ちゃんっ!!」

──きっと、必ず……落ち合おうね。

戦うならまとまった方がいいが、逃げるならバラけた方が追いにくい。

山を下ってこちらに向かう大軍の咆哮が辺りに響き渡り、もう一刻の猶予もないことを告げていた。

「千恵、俺達も行こう。隊士達に指示を出す、付いて来てくれ」

「はい!」

斎藤は千恵を促すと、村人達と共に右往左往する隊士達の中から伍長を探した。

すぐそれと分かるその顔には、頬から胸にかけての大きな刀創が残っている。

「梅戸! 撤退だっ! 命令を伝達しろっ!!」

「斎藤組長、分かりやしたっ! へへ、だろうと思って三番組はもう集めてありますよ。皆組長に続けぇ!!」

天満屋で斎藤を庇った梅戸は伍長に昇進し、組長の右腕として手腕を奮っていた。

覇気のある号令に三番組が一斉に動き出し、それに釣られて判断を迷っていた者達も後に続いた。

山道にさえ入れば、人数の多いあちらの方がかえって動きが取りにくい。

駆け出した足は加速し、後方で銃を発砲する音が聞こえたが千恵も斎藤も振り返らなかった。

きっと遅れた者は助からない。助けたくとも術もない。

次々に聞こえる呻き声を後ろから背に受け、千恵は懸命に嗚咽を堪えて駆け続けた。

ごめんね、本当にごめんなさい。

後ろ髪を引かれて千恵が振り返ろうとする度に、斎藤はその腕を強く引っ張った。

「今は生き延びることだけを考えろっ!」

叱責というより、自分に言い聞かせるように彼女を促し、木々を分けて山へ入る。


「近藤はどこだぁぁっ! 近藤を探せぇっっ!!」


怨恨。耳に飛び込んで来た怒号は紛れもなく、深い深い恨みを孕んでいた。

流石にその声には斎藤もピクリと反応して足を緩めたが……手に伝わる千恵の震えで我に返り、再び歩を進めた。



甲陽鎮撫隊は、砲撃からわずか四半刻で村を追われ、山間へと散って行った。

村の広場には、江戸から担いできた大砲が二門、空しく残されていた。





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