117 悲憤

一月四日。伏見から退却した私達は淀に到着し、凍えるような寒さの中で陣を張った。

そして、戦闘で散らばっていた幕軍もようやく集まった翌五日。

千両松で敵方と交戦。そこで初めて私は……戦での身近な人の死を経験した。



千両松は広大な湿地帯だった。足を取られた西軍は、銃火器を上手く使えず、戦いは幕軍の優勢で進んだ。

はじめさんの言った通り、刀で戦えば強いのはやっぱり新選組で、皆足元の水を跳ねながら果敢に攻めていった。

いける、これなら勝てる。そんな手ごたえを感じながら激しく交戦して、一刻が過ぎた頃。

ついに足場を確保した西軍からの、砲撃と銃撃が始まった。また、火器と刀の戦いに逆戻り。

一気に形勢は不利になり、私は戦闘から離れた濡れていない場所で、運ばれてくる負傷兵の手当てをしていた。

最初は充分だろうと思っていた晒が残り僅かになった頃。ひどい銃創を負った山崎さんが、担ぎ込まれた。

被弾した部分から血が溢れ、押さえても止まらない。銃弾を摘出したり縫合したり、なんて出来るわけもなく。

千鶴ちゃんと二人がかりで祈るようにきつく晒で縛るだけだった。

「早く……淀城、にっ」

「淀城? 淀城に援軍がいるんですか? 呼んでくればいいんですか?」

「城を……拠点、に、する」

歯を食い縛って痛みを堪えた山崎さんの言葉……きっと伝令に向かう途中で被弾したんだろう。

代わりに誰か向かってるの? それとも……もし誰も知らせていなかったらこのまま……。

砲火からの大きな盾となるお城。入れば山崎さん達負傷者の手当てもきちんと出来る。……行こう!

「千鶴ちゃん、ここお願い。私、淀城に知らせてくる! 早く伝えないとこのままじゃっ!!」

立ち上がった私の後ろに、負傷者を担いできた井上さんがいた。

「月宮君、伝令なら私も行こう。このままでは総崩れになってしまう。淀城は重要な拠点だからね、急いで知らせよう!」

「はい、道案内をお願いします。場所が分かれば私が先に走りますから!」

「ハハ、君の駆けっぷりは有名だからね、期待してるよ!」


私は井上さんの水先案内に従って、湿地を駆け抜けた。

足元はほとんどが水溜りで、膝下は寒さも痛さも通り越して感覚がなくなっていった。

やがて城門が見えると、励まされたように足が速まった。早く伝えないと! 頭にはそれだけしかなかった。


パシンッ バシャッ 

突然駆けている私のすぐそばで、握り拳ぐらいの石が投げ込まれたように、泥水が跳ね上がった。

それに気がいって速度が落ちた時、井上さんが大声で叫んだ。

「危ないっ! 銃撃だっっ!! 月宮君、逃げろぉっっ!!!」

「えっ!?」

足を止めて振り返った私の髪を掠めるようにして、銃弾が再びパシッと地面に当たった。

慌てて私が小さな茂みに飛び込もうと大きく跳躍したのと。

追いついた井上さんが私を隠すように大きく手を広げて仁王立ちしたのは…………どっちが先だったんだろう。

分かったのは、茂みに着地して振り返った時、井上さんがにっこりと笑っていた事。

いつもみたいに穏やかに、優しく、大丈夫かい? と尋ねるように……笑って、た。

大きく両手を広げたまま、何かに跳ね飛ばされたように、仰け反って後ろに倒れていく――

倒れ……て……

バシャンッッ

ひと際大きな水しぶきが跳ね上がり、井上さんの顔にも体にも泥がかかっていて。

お腹には大きな銃創がポッカリと開いていた。なのにまだ、私を諭すように優しい顔のまんまで――

「早……く、逃げ、な……さい……ゴホッ」

笑顔のまんま。こっちを見たまんま。

その口元から血が溢れた瞬間…………動かない体を残して、井上さんの魂はどこかに行ってしまった。


「あ……い、の……上、さん? っ井上さん!? ……い、嫌ぁぁっっ!!」


身を乗り出した私は、井上さんの両脇に腕を差し込んで、茂みに引き摺り込み、その体を抱きかかえた。

揺すっても頬を擦っても……もう、井上さんは笑ってくれなかった。

まだ体は温かいのに、今にも目を覚ましそうなのに。腕の中の井上さんは、困った顔すらしてくれない。

どうしてっっ……なんで淀城から銃撃がっ……。

援軍を呼びに来た私達の前で、門は固く閉ざされたままだった。

そして銃弾は……淀城の城門の櫓から発砲されていた。淀藩は、官軍に寝返っていた。

放心していた私の耳に、雄たけびのような勝どきを告げる歓喜の声がして、そちらを振り向くと。

西軍から高らかに何本もの錦の御旗が立ち、寒風にはためいていた。

「嘘よっっ!! こんな事あっていい訳ないんだからっっ!! なんでよっ!! なんで私達がっっ!!」

池田屋で血を流したのは誰の為? 禁門の変で走ったのは何の為!?

京の町と御所を守ってきたのはっっ! 貴方達が攫われず殺されず暮らせたのはっ、誰のお陰よっっ!!


西軍に寝返ったのは淀一藩ではなく。朝廷も、そして帝も今や、西軍を官軍と定めた。

京都守護職の下で、たとえ市井の人達に嫌われようとも汚れ仕事を請け負って、京と朝廷を守ってきた新選組は。

何度も孝明天皇や皇族の方から、感謝状や品物を下賜されたにもかかわらず。

今はっきりと、朝廷から「お前達は敵だ」と刃を向けられた。

幕軍は、そして新選組も……名実ともに賊軍となった。

体から何かが抜け落ちたように、井上さんを土に横たえた私は、その胸に縋って泣き叫んだ。

絶望して、絶叫して、悲しくて悔しくて苦しくて……空しくてやりきれなかった。

戊辰戦争、明治維新。知ってるよ、負けるんでしょ? 分かってるよ、だってそうなるんだから!

でも……ねぇ、貴方達に何が分かるの? この痛みは伝わってるの?

旗の向こう側にいる偉くて賢くて、そして愚かな人たちを睨みつけるように、心で問い掛けた。

やがて疼く激しい痛みを胸に抱えたまま、私は立ち上がった。ようやく自分の使命に気がついた。

「土方さんに……知らせないとっ!」

井上さんの亡骸から刀だけを抜き取ると、目だけでさよならをして、一気に全速力で駆け出した。

誰にも邪魔させない。私達の道は……まだ終わってないっ!!

意識を集中すると、飛んでくる銃弾すらゆっくりに見える。

まるでスロー再生の画面の中で自分だけが普通に動いているみたいな、不思議な感覚だった。

私は誠の旗を目指して、真っ直ぐに一直線に走り続けた。





淀城の寝返りと錦の御旗は、幕軍の戦意を根こそぎ削ぎ落とした。

その旗に向かって刀を振り上げるには、あまりに皆愛国心を持ちすぎていたから。

苦境を脱する為、悔しさをぶつける暇もないまま、新選組の一行は、城を睨みつけた後、即座に撤退を開始した。






[ 118/164 ]

頁一覧

章一覧

←MAIN

←TOP


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -