118 包囲

淀城の門は開かれなかった、と悔しそうに報告する千恵から井上の刀を受け取った土方は、

撤退して西軍を引き離した所で一旦休陣し、仲間と共に穴を掘って刀を埋め、弔いに時間を割いた。

「井上さん、最後まで……笑ってくれてたんです。きっと私を安心させたかったんだと思います。

 大きく手を広げて。私に早く逃げなさいって、最後まで……勇敢で大きくって――」

千恵は斎藤に寄りかかりながら、皆に井上の最期を伝えた。自分を守って亡くなった最期を。

道場時代から兄のような叔父のような存在だった井上を失い、皆遣り切れない思いだった。

けれど、千恵を責める者は一人もいなかった。土方も井上の性格を誰よりも知っている。話を当然だと受け止めた。

「そんなツラすんな。美人が台無しじゃねぇか。……無事でなによりだ。伝令、ご苦労だったな。

源さんの刀、よく持ってきてくれた。礼を言う。お前のお陰で供養が出来た」

「ああ、源さんは武士だ。最後に千恵を守れたなら、本望だったはずだ。お前自身が、源さんの形見だ」

斎藤は千恵の肩をしっかりと抱き締めると、まだ震える手を握って励ました。

やがて炊き出しの汁が振舞われ、手拭いで足を拭いて乾いた草履に履き替えた千恵も、それを飲んで温まった。

パチパチと焚き火の小枝のはぜる音が、揺れる暖かい炎が、体と心を鎮めて癒してくれた。



「これからどうするんですか?」

尋ねたのは千鶴だった。千恵が一人で戻ってきたと聞いた時、千鶴もまたその意味を察して泣きそうになった。

けれど目の前で横たわる負傷兵を不安にさせまいと、必死に涙を堪えて、後は介抱に専念した。

といっても出来る事といえば、やっぱり傷口を縛って励ますだけだったけれど。

それでも皆、口々に有難うと礼を言ってくれた。少しは役に立てているようで、その言葉は何より嬉しかった。

千鶴は、負傷した人達を出来るだけ早く安全な場所に連れて行ってあげたかったから、行き先が気になっていた。

土方が暗い森の向こうを指差しながら、千鶴に説明してやる。

「今、羅刹隊が幕軍の砲台とその周辺を偵察に行ってる。足が速くて夜目が利くから、こういうのにゃ向いてるしな。

 その報告を待って移動するから、今のうちに休んでろ。……寒くねぇか?」

「はい、大丈夫です。土方さんは寒くないですか? あ、まだお汁が残ってたはずですから、貰って来ましょうか?」

「ククッ、いや、いい。ったくやせ我慢すんじゃねぇよ、これ羽織っとけ」

火のそばといっても、一月の野外は寒い。膝を震わせて平気だと微笑む千鶴に、土方は自分の羽織を掛けてやった。

「でもっ、これじゃ土方さんが風邪引いちゃいます!」

「いいから着とけ。こんな時くらい格好つけさせろ」

そう言って千鶴の頭をくしゃりと撫でると、土方は他藩大将との軍議に参加する為、陣中に戻って行った。

羽織からは砂埃の匂いと共に、ふわりと土方の香りが漂ってきて。千鶴は顔が赤らむのを押さえられなかった。



橋本には淀川を挟んで右岸と左岸に砲台があった。これは異国船が川を上ってくるのを防ぐ目的で作られた。

けれど、今は西軍を迎え撃つための重要な軍事設備。淀から流れた幕軍はそこに集まりつつあった。

両砲台にカノン砲が四門ずつ。通り抜ける道は狭く、防御に最適な地形を見て、羅刹隊に同行していた山南も満足だった。

「藤堂藩も砲台を守っているそうですよ。クスクス、寵愛を受け損ねたご落胤としては、どんなお気持ちですか?」

「だあっっ、もうその話はいいって! 山南さん! ……まぁ、悪くない気分だけどさ」

父が本妻の怒りを恐れ、身ごもっていた母に立派な太刀と多額の金子を渡した、という話が本当かどうかは分からない。

けれど、平助はどこか自分の血に誇りを持っていたし、藤堂藩が砲台を守備していると知って嬉しかったのは事実だ。


山南も平助も尊皇攘夷派だ。けれど、昨日の錦旗を見て、今回の朝廷のやり口は余りに卑劣だと慷慨した。

朝廷は西軍に「官軍」という大義名分を与えたけれど、本当に大義は……義はあるのか?

「どっちが正しいなんて誰にも言えねぇけどさ、あっちのやり方は男らしくねぇよな」

「ええ。幕府そのものが正しい存在かは、私にも分かりませんが。武士としての義は、こちらにあると思っています」

兄弟子は弟弟子を見て微笑んだ。不器用に自分の想いを伝える目は真っ直ぐで、頼もしかった。

「賢く生きるより……熱く生きて燃え尽きたいですね。立場より志しです」

常に俯瞰で物事を見てきた山南は、新選組の立ち位置をずっと憂えてきたが。……案外そう悪くないかもしれない。

平助に気付かされた。幕府を守る為に朝廷に反逆するのではなく、我々は武士としての不義に立ち向かっているのだ、と。

ここで上手く西軍を打ち負かせば、流れが変わる。数ではまだ優勢だし、大阪城には将軍もいる。勝機は充分あった。

情報収集から戻った羅刹隊士達を見て、その真剣で明るい瞳にも満足だった。

彼らにもようやく、生きる目的が出来た。戦って死ぬという、花道が用意された。……人として。

「皆、大丈夫ですね? 戻ります!」

暗に吸血衝動はないか、と聞いてみたが大丈夫なようだ。平助と頷き合うと、陣への帰路を駆け出した。




翌六日。淀川沿いの隘路を通って追ってきた西軍に向けて、両岸から幕軍による砲撃が開始された。

幾ら銃隊が訓練していようと、大砲の弾には勝てない。西軍は混乱を極め、形勢は逆転した。

そこを一気に叩き潰そうと、新選組も特攻隊として躍り出て、辺りは乱戦の様相を呈した。

だが。午の刻……正午を過ぎた辺りで突然、藤堂藩の守る砲台から対岸の砲台に、その砲身が向けられた。

敵を挟み撃ちにするはずの片方の陣が、藤堂藩が……西軍に寝返ったのだ。

突然の味方からの砲撃に、幕軍は大混乱に陥る。ようやく藤堂藩の砲台を制圧した頃には、弾がもう尽きていた。

大砲という最大の難関がなくなったのを見て西軍は息を吹き返し、以後の戦いは熾烈を極めた。

やがて……敗色濃厚になった幕軍が退き始めた。そして最期の砦は、西軍によって制圧された。




味方が敗走し始めた時。負傷者二名を看ていた千恵の所にもその報が届いたけれど、彼らを見捨てられず、動けなかった。

千鶴達とも斎藤ともはぐれ、男山の山中でいつの間にか千恵達は西軍に包囲されてしまっていた。

「山に逃げ込んだ奴らを片付けろっ!」

っ! ……どうしよう!?

遠くから聞こえた言葉に反応し、千恵は脇差に手をかけた。刃引きしたそれで、立ち向かおうと。

だが、刀の柄を握り締める千恵に、一人の負傷兵が首を振った。

「もう置いて逃げて下さい。俺達は……ふっ、覚悟してますから。あんたは斎藤組長の奥方なんだろう?」

「どうして知って!?」

「ハハ、誰だって見りゃ分かりますよ。……行って下さい。あんたに刀を抜かせたら、俺達の男が廃る」

もう一人の男も頷いた。

「あんたを死なせたら、あの世で仲間に小突かれる。ほら、行くんだ。最期は見せたくねぇ」

最期……あ……。

敵兵に討たれるまえに、ここで果てる気なんだ。……自刃して。

「何馬鹿な事言ってるんですかっ! 命を粗末にしないで下さい! 足を怪我した位で死なれてたまるもんですかっ!」

自分の言ってる事が無茶苦茶だって分かってた。自ら潔く果てたい、それが武士なんだろう。

でも、それがこの時代どんなに男らしい行為だとしても、千恵から見れば自殺だ。見過ごせるわけなかった。

「武士ならっ! 男ならこんな戦場の真っ只中に、女一人を残さないで下さい。どうなるか分かるでしょう?

 最期の覚悟はとっておきましょう? 私を……連れて逃げて下さい」

この際嘘も方便だ。本当は千恵一人なら掻い潜って逃げられる。

けれど、生き抜くには何かが必要で。自分を守って送り届ける、という道を選んで欲しかった。

「ククッ、ハハハ、あんた強いな。……はぁ、分かったよ。おい、今は千恵さんの言葉に乗っかろう」

「ああ、別嬪さんに連れて逃げてなんて頼まれた日にゃ、頷くしかねぇもんな、ハハハ。

 斎藤組長がゾッコン惚れてる奥方様だ、一丁気張って届けてやるか! 韋駄天の千恵さんがついてりゃ勝機もある」

自分の言葉の意図がばればれだった事にちょっと恥ずかしくなったけれど、二人の笑顔が嬉しかった。

そうよ、とことん足掻かなきゃ! 諦めたらそこで終わってしまうもの。

立ち上がった千恵は、集中して気配を探った。出来るだけ包囲の薄い所を探して。突破口を求めて。

その時、すでに止んでいたはずの剣戟の音が、ある方向から聞こえた。

戦っている。味方がいる! あの声は……はじめさんっっ!?

熱いものが込み上げた。気付いて戻って来てくれたのが分かると、信じられないくらい体に力が漲った。

あそこに向かえばきっと抜けられる! 絶対に連れ出して貰える!!

「味方が救援が来ました、付いて来て下さい! いえ、違うわね。……皆で一緒に行きましょう?」

「「分かった!」」

一緒に。その言葉と共に添えられた、晴れやかな笑顔に、男達の気合は充分に入った。

足を止血していた布をきつく縛り直すと、立ち上がった。そう、もう一度立ち上がったのだ。


三人は、木々に隠れながら音のする方へ急いだ。刀の金属音がこれほど心地よく耳に響いたのは、初めてだった。

後少し、もう少しで姿が見える! 声を掛けられる!!

そう思った時。

「こっちにいたぞっ!!」

三人の姿を目撃した敵兵から、声が上がった。肉眼で確認出来るだけで四人の兵士が後ろから向かって来ていた。

千恵は……再び脇差に手をかけた。





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