116 開戦

慶応四年一月三日申の刻。耳にした銃声は、遠くで布団でも叩いてるかのように、パンッパンッと軽い音だった。

そのせいか、私はどこか平静だった。ただ……ああ、もう戻れないんだ、と。それだけが頭に浮かんだ。

討ち入りに浪士捕縛、内部闘争に暗殺、変若水に羅刹。

新選組が平和だった事なんてないはずなのに、切り取った日常の風景には笑い声と笑顔が溢れていた。

でも今は。誰もが刀の柄を握り締めている。銃を取って表に出る者もいる。もう、戻れない。



皆が、外と土方の顔を交互に見て、号令を待っていた。日没まであと僅か。

と、その時。通りを挟んで北側にある御香宮から、砲撃が開始された。

「「きゃあっ!」」

建屋が揺れて鼓膜が震え、地震でも来たように千恵と千鶴は抱き合った。

距離が近い上にあちらの方が高台にあるため、俯瞰で見下ろされて、砲弾は笑えない程よく命中した。

戦闘に向かおうとする兵はことごとく銃の的となり、結局、防戦と消火に右往左往する羽目になった。

土方は、火器に圧されて苦戦する状況を脱する為、銃の効かない夜を待って、夜襲をかける事に決めた。

「決死隊を募る。我こそは、と思う者は名乗り出ろ! 日暮れと共に薩摩の銃隊を叩いて砲台を潰すっ!!」

一瞬静まり返った室内で、ククッと笑い声が聞こえた。振り向くと……永倉が笑いながら手を挙げていた。

「土方さんよ、名を上げる機会は俺が貰うぜ? 永倉新八ここにあり! てとこ、見せてやっからよ。

 おい! 俺に命預ける奴ぁ手を挙げろ! 地獄の底でたらふく酒飲ませてやっから、付き合えよ!」

「組長! お供しますよ! 当たり前じゃないですか! あっちにゃ女もいますかね?」

「美人な姐ちゃんもわんさか居るに決まってらぁ! おめぇが相手して貰えっかどうかは分かんねぇけどよ、ハハハ!」

豪快な笑い声に場がドッと沸き、我も我もと手が挙がった。な、簡単だろ? と永倉は土方に目配せした。

土方は苦笑しながらも頷いた。頼む、突破口を開いてくれ。互いの目で……覚悟を受け取った。

すると、そんなやり取りをみていた原田が、永倉の側に寄っていった。

「わりぃな、俺が行ったら地獄の女は皆俺んとこに来ちまう。ま、お前にゃおこぼれを回してやっから安心しろ?」

「ぬぅおっ、お前は付いてくんなよ!? こっちで生身の姐ちゃんにさんざモテただろうがよ!」

場を沸かす二人の背は逞しく、隊士達の不安を取り除いた。島田は頷いて、周囲を見渡し鼓舞するように言った。

「何言ってるんですか、勿論我らが先に向かいますよ! 組長達はこっちでちゃんと嫁さん貰って下さい!」

そうだそうだ! とあちこちから掛け声が上がり。特攻隊の士気は一気に上がった。

先に組長達を守って我らが先陣を切り、盾となって突き進もう! 地獄に行くのは俺達でいい。

いつも見てきた背中に、付いて行くのではなく。今日はその前に立って背中を見せよう。……俺達の、背中を。

「おめぇら……ハハハ、言ってくれるじゃねぇか!」

笑う永倉の目は潤んでいた。人一倍こういう情に弱い永倉は、平隊士達に渡された鎧を着込んだ。

すぐに日が暮れて、一旦砲撃は止んだ。千恵と千鶴は手を真っ赤にしながら、次々にお結びを作って渡していった。

斎藤達は、特攻隊が突破口を開いたら一気に総攻撃をかけられるよう、奉行所の塀を背に待機した。

灯りの消された奉行所の闇で、夜目の効く幹部らは合図した。  

行くぞ!!



塀伝いに表へ出た特攻隊を暗闇が支援する。銃器は夜には使いにくい。今なら抜けられる!

誰もがそう思い、実際に通りに身を躍らせて一気に駆け出した。数なら勝る。流れを覆すなら今だ!

ところが。その時再び薩摩による砲撃が始まった。運悪くその大砲が奉行所の一角に命中し、たちまち炎が上がった。

火の勢いは強く、消火が困難なほどあっという間に燃え広がった。

そして奉行所は大きな火柱となり、闇夜を煌々と照らした。

そう。……闇に乗じて陣営に切り込もうと駆けていた永倉達をも、赤々と照らしだしたのだ。

「敵兵だ、撃てぇぇぇっっ!!」

気付いた銃兵からの一斉射撃が始まった。すでに懐に飛び込む手前まで来ていた一行は、

背後から照らされる炎で射的となり、また一人、また一人、と銃弾に倒れていった。

本当の地獄は、あの世ではなくこの世にあった。

それでも突破しようと試みた勇敢な隊士の命は、幾つもの銃弾に阻まれ、儚く散った。

斎藤は土方の耳打ちで、隊士達を待機させたまま駆け出した。通りを渡る時耳の側で銃声が聞こえたが、幸い真横を逸れた。

今や大きな松明のようになった奉行所に、身を潜める場所などほとんどない。一刻も早く逃れないと、全員が危うい。

原田は駆けてきた斎藤を見てギョッとしたが、その意図を理解すると、大声で永倉に知らせた。

「新八、退却だっ! 退却命令が出たっっ!! 殿は任せろ、早く行けぇっ!!」

「くっそぉっっ!しかたねぇ、皆、とっとと逃げるぞ! 地獄にゃ明日でも行けらぁっ!!」

既に炎は奉行所の門の入り口を塞いでおり、仕方なく皆塀をよじのぼって中へ逃げた。

重い甲冑が仇となって永倉が塀に上がれずにいると、その手をむんずと捕まえた男がいた。島田だ。

「永倉組長の一人や二人、軽いもんです。引っ張り上げますよ、ほら!」

その言葉通り。噂に違わぬ怪力で永倉を塀に引き上げた島田は、平生と変わらぬ穏やかな顔で笑っていた。

バツの悪かった永倉はその笑顔で救われた。けれど、後ろを振り返ると溜息をついた。

「いけると思ったのによぉ……あいつら馬鹿みてぇに俺の……前からどかねぇんだ」

「組長、今は退却を! それがあいつらの望みだったんです、受け取ってやって下さい」

「ハハ、ずしっとくる贈りもんだな……。っと、左之達も戻れたか。よし、土方さん達に合流だ! 斎藤、助かったぜ!」

「いや、俺が一番近かったからな。炎さえ上がらねば……残念だが今は体勢を立て直そう」

永倉達の合図で皆一斉に駆け出した。奉行所が落ちたせいか、薩摩の砲撃と銃撃は止んでいた。

炎の光が届かない所まで逃げ切ると、息が上がった。永倉は原田の横に座り、汗を拭った。

「とにかく分かったのは、はぁはぁ、あっちの鉄砲が滅茶苦茶だって事だ。あんな遠いとっから届くなんて詐欺だぜ?

 後。鎧は軽いほうがいいな。ハハハ、まさか鎧のせいで死にかけるなんてよ、冗談じゃねぇ、はぁ」

「大事な斬り込み隊長が蜂の巣にされるよりゃマシだろ? ……たった半日で奉行所を放棄、か。参ったな」

炎を見つめて顔を顰める原田達の所に、尾形が走ってきた。顔は悔しそうに歪んでいる。

「幕軍諸藩の合議で……大坂に向けて退却する事になった。くそっ、なんて弱腰なんだ!

 永倉さんと原田さんもすぐ来てくれ。今、副長と斎藤君が幕軍の拠点を確認してるんだ。

 一緒に見て道順を決めてくれ。はぁ、と言っても、結局は藩士達に押し切られるんだろうがね。

 うちを寄せ集めって馬鹿にするけど、あいつらの方がずっとまとまりないんだから、始末に負えないよ」

新選組最大の強みは、組ごとのゲリラ戦法と機動力だ。だが幕軍と行動を共にすると、折角の長所が生かしきれない。

それがどうしても勿体無く感じられる尾形は、ブツブツと零しながら原田達を誘導した。

……この戦、まずいかもしれないな。大軍ゆえの統率の無さに、一抹の不安を感じながら本隊に合流した。

尾形の読みは当たっていた。鳥羽方面に布陣していた幕軍も、鳥羽街道を縦一列に走って正面からまともに火器を浴び、

大打撃を被って敗走を始めていた。もしひとかたまりにならずに三方から西軍を攻めていれば、勝っていたかもしれない。

けれど、それは後世の者にしか分からない。歴史は今、作られている真っ最中だった。





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